第2話

事件は、今から4年前に遡って始まる。


●四年前 警視庁警備部第二中隊長室

「南雲ぉ」

 革張りの椅子にひっくり返る中隊長が、やる気があるのか疑わしい、聞くだけでだらける声で言った。

「警察官の基本指令を言ってみな」

「はっ!」

 警視庁騎士警備部第二中隊第二小隊所属、警視庁巡査長南雲敬一郎は、直立不動の姿勢のまま、声を張り上げた。

「第一条 公共への奉仕

第二条 弱者の保護

第三条 法の遵守!」

「そんなにデカイ声を張り上げなくても聞こえてるよ……」

 南雲達、警視庁騎士警備部第二中隊を束ねる後藤警部は、タムシチンキを塗りながら呆れ顔で言った。

「それで?その指令通りに従った結果が、強盗の散弾銃の銃身を捻じ曲げた挙げ句、ラリアットで食品冷蔵庫に叩きこんだり、女性にナイフを突きつけた強姦犯のナニを粉砕したり、立てこもり犯を高層ビルの窓から殴り出したぁ?お前はどこの映画のヒーローなの。こんなことが、基本指令に準じていると、本気で思っているの?」

「おっしゃる通りです」

 南雲の声には一点の曇りもない。

 完全な正義だと、南雲が疑っていないことを示していた。

 後藤の後ろに控えていた女性の形のいい眉がわずかに歪んだが、南雲はそれに気づかない。

「はい。いいよ。さすがだ」

 後藤は、ため息まじりにそう言った。

「ありがとうございますっ!―――では、失礼します!」

 敬礼をとる南雲に、後藤は冷たく言い放った。

「ああ。そのまま精神病院へ行って来きて。二度と出てこなくていいよ」



●警視庁警備部第二中隊長室前

「南雲!」

 部屋を出た南雲を呼び止めたのは、後藤の後ろで控えていた女性だ。

 年の頃は三十前後。

 短くまとめた髪に厳しい目をした、「女性警官の典型」というべき容姿の女性。

「なんでありますか?不破巡査部長」

「なんだじゃない!」

 女性―――不破忍(ふわ・しのぶ)巡査部長は、南雲を睨み付けながら怒鳴った。

「貴様、反省というものをしろっ!」

「反省?何の、でありますか?」

 南雲は冷たい眼差しで不破を見下ろした。

 南雲は2メートルを超える大男。

 対する不破は155センチと、社会人の女性としてはやや小柄な方だ。

 自然とそうなるが、南雲のとった「見下ろす」は、「見下す」と表現した方が正しいことを、南雲の目が証明していた。

「貴様の正義が警察の正義ではない!」

「は?何を?」

「貴様の言う正義は、単なる自己満足だということだ!」

「……巡査部長」

 南雲は言った。

「自分は警察官として悪を許しません。“断じて悪を許すな”と、過日訓辞されたのは、巡査部長ご自身ではありませんか」

「私が言ったのはそういうことではない!」

 不破は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「我々の任務は、犯人を逮捕することであって、処刑することではない!貴様に逮捕された中で、確保時に五体満足でいられた者が何人いた!?」

「その程度で済むのは、自分が温厚な人間だからだと、そう思っております」

南雲はきっぱりと言い切った。

「それに巡査部長。お忘れではありませんか?自分がブチのめしてやったのは、すべて強姦、強盗、殺人、いずれも卑劣なる犯罪を行った社会のゴミです。マスコミがいかにやりすぎと言うなら、彼らの行ったことはやりすぎではなかったのですか?彼らに苦しめられ、泣かされ、命を奪われた者達に、警察が何もしないのはおかしな話。自分はそう信じます」

「被害者の仇討ちまで警察が代行してやる必要はない!」

 不破は、南雲に負けじと精一杯の威勢で返した。

「犯人を裁くのは司法の仕事だ!我々は犯人を司法の場に引きずり出すのが仕事なんだ!貴様、その程度のこともわからず、よく警官が勤まるな!」

「―――検挙率は騎士警備部トップですが?」

 南雲の言葉の裏にあるものは、不破にもわかった。

「居合わせた犯人はすべて確保。取り逃がしたりはしません」

「……貴様、何が言いたい?」

「いえ」

 南雲は視線をそらせた。

「子供を人質に取られたとはいえ、応援を呼ぶ間に逃げられ、あげくに子供が刺されるなんて事態、自分なら絶対に」

「貴様っ!」

 不破は南雲を突き飛ばそうとして、逆に弾かれそうになった。

 全身筋肉のカタマリのような南雲を、いかに騎士とはいえ、不破のような女性が突き飛ばすこと自体がどだい無理なのだ。

「―――ようは、犯人を逮捕すればよい。そうでしょう?司法の場に五体満足で引き出す必要なんて、どこにもないんです。尋問に答えられる口と耳と、判決文が読める眼、自分の行いを後悔する脳みそ。それだけあればいいんですよ。犯罪者なんて―――そうでしょう?巡査部長殿?」

「―――くっ」

 トドメとばかりに放たれた一言に、不破はせめてもとばかりに南雲を睨み付ける眼をゆるめはしない。

「そんなことを言っていると」

「はっ?」

「最後に苦しむのは犯罪者ではなく、自分自身だぞ」

「……はっ」

 南雲は弾けたように吹き出した。

「はははっ!これは傑作だ!よく覚えておきますよ!巡査部長殿!」

 南雲は形ばかりの敬礼をとると、踵を返して不破の前から姿を消した。

  


●警視庁警備部第二中隊隊員待機室

「南雲さん、お疲れさまです!」

 待機室に入るなり、同じ部隊の若い騎士達が南雲を取り囲んだ。

「タオルっす!」

「ビール、冷えてます!」

「おう」

 鷹揚にタオルを受け取り、缶ビールを一気飲みする警官。

 それが、南雲敬一郎という男だった。

 その体格とそこから繰り出される力業の前に、南雲を煙たく思い、意見を唱えた者は、すべからく南雲に粉砕された。

 粉砕?

 そう。

 文字通り粉砕された。

 その表現が最もしっくり来る。

 南雲が任官して初めてついた上司は、南雲の性根をたたき直してやるといって柔道場に呼びつけ、首の骨をへし折られた。

 部隊の先輩達、他部隊の上司、騎士、一般人問わず、南雲は何らかの理由をこじつけ、合法の範囲内で次々と相手を二階級特進させていったのだ。

 警視庁において、公然と南雲に逆らう者は、そう多くはない。

 少なくとも、表面上は……。


 警視庁騎士警備部は、まさに南雲の天下そのものだった。


「また、あのオンナに何か言われたんっスか?」

 警官というより、チンピラといった方が正しい、そんな感じのする若手の警官が言った。

 ピクリ。

 缶ビールを持つ南雲の手が止まったことに、その若い警官は気づかない。

「あんなオンナ、よってたかって輪姦(まわ)しちまえば―――!」

 メキョッ。

 そんな音がしたと思った次の瞬間、派手な音を立ててロッカーにめり込んだ者がいた。

 さっきの若い警官だ。

「俺の前で犯罪者じみたセリフを吐くんじゃなねぇ!」

 丸太ほどもある太い脚で彼を蹴り飛ばした南雲が怒鳴った。

「し、しかし南雲さん」

 数名がロッカーにめり込む同僚を助けに動き、残った取り巻きが南雲の機嫌をとるべく、慌てて次の缶ビールを差し出した。

「あの不破巡査部長、この前のあの失態は」

ギロッ。

 南雲の一睨みで周囲は完全にすくんだ。

「あれはやむをえねぇ」

 南雲は飲み干した缶ビールを握りつぶしながら言った。

「犯人は極度に興奮していた。実力行使に出たら子供は殺される。だから犯人を説得にかかる。巡査部長の判断は間違いじゃなかった」

「南雲さん?」

「問題は、俺達警察の阻止を振り切って現場に乗り込んできたあのバカな母親だ。権利だなんだカサに着たがるあのバカのせいだ」

 取り巻き達は互いに顔を見合わせた。

 南雲が不破巡査部長を嫌っているものとばかり思っていた取り巻き達には、その相手を弁護しようとする南雲の言葉が信じられなかった。

「選挙になればアカに投票するようなあのバカなオバンが、犯人が逆上するようなことぬかしたばっかりに、巡査部長の努力は一瞬でパーだ。文句を言うなら、そんなオバン一人まともに止められなかった、そこらのバカ共に言え」

「……は、はぁ」

「まぁ、あめぇとはいえるがな」

 缶ビールの残骸を取り巻きの前に突き出しながら南雲は笑みを浮かべた。

 苦笑いだった。

「犯人をとっつかまえるには、俺のような方法もあるし、あの巡査部長のような方法もある。説得して犯人に自首を促すような……だが、犯罪者は速やかに息の根を止めなければ、被害は二重三重に発生する。だから俺は、巡査部長が甘いと思う」

「そ、そうっすよね!」

 取り巻き達が一斉にそれに賛同する。

「そうさ」

 南雲はニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。

「正義は我にあり―――何しろ、俺達は親方日の丸なんだからな」



●警視庁廊下

「あっ!」

 待機室を出た南雲は、廊下を歩いていた婦人警官にぶつかりそうになった。

 慌てて身を引いた婦人警官の手元から、書類の束が床一面にこぼれ落ちた。

「何やってんだ」

 南雲は腰をかがめて書類を拾おうとしたが、

「やりますからっ!」

 婦人警官は、その手を阻止するかのように慌てて書類を片づけに動いた。

「……なんだよ」

 南雲は面白くない。という顔で相手の顔を睨み付けた。

 一生懸命、南雲の顔を見まいとする婦人警官に、南雲は言った。

「敬子ちゃんよぉ……同じ部隊の同僚だろうが?それはねぇだろうよ。」

「わ、私は!」

 婦人警官―――日下敬子巡査は、震える声で言った。

「私は、あなたなんて、同僚だと思っていません!」

「おいおい」

 南雲はオーバーアクション気味に、肩をすくめて言った。

「この前、殺されかかったのを助けた命の恩人に対する言葉じゃねぇだろうが」

「そ、それとこれは別です!」

 日下は睨み付けるような眼で言った。

「隊長をないがしろにするような人、同僚じゃありませんっ!」

 日下の顔は怒りで真っ赤だ。

「ただでさえ、隊長は警視庁内部の機密漏洩事件の捜査の指揮で毎日!」

「―――ああ。あのバツイチ、そんなことしてるのか」

 南雲は思いだしたように言った。

「お前、あの子持ちの出戻りが、そんなに大切か?」

「なっ!?」

日下は眼を見開いた。

相手の言葉が信じられない。そう、その顔は語っている。

「敬子ちゃん、そんな人生送りたいのか?出戻りになって、子育てにピーピーいいながら仕事に振り回される?フンッ。それとも何か?敬子ちゃん、そういうシュミが?」


 パンッ!


 廊下にそんな音が響き渡った。


「し……信じられませんっ!」

 南雲の頬を叩いた日下が怒鳴った。

「ひ、人にそんなこと言うなんて!」

「痛てぇな……」

 大した痛みはない。

 ただ、痛むフリをしつつ、南雲はわざとらしく叩かれた頬を撫でた。

「隊長のココロの痛みに比べれば、どうってことはないはずですっ!」

 書類をかき集めた日下は涙目になりながら怒鳴った。

「せめて、人としての心を持ったらどうですかっ!?」

 それだけ言うと、日下は走り出してその場から逃げ去った。

「……」

 その背中を見つめながら、南雲は一瞬、

(あのオンナこそ輪姦(まわ)してやろうか?)

 そう思って、すぐに止めた。


 理由はただ一つ。


 俺の美学に反する。


 それだけだ。


●警視庁警備部第二中隊長室

「―――美学、ですか?」

「そう。美学」

 驚く不破に、そう言ったのは後藤だ。

 共に中隊長室で茶を飲んでいる。

「あいつは、確固たる正義、その正義によってのみ実現する美学を持っている」

「しかし……」

 南雲によって叩きのめされた犯罪者の数とその被害を思い浮かべ、不破は苦い顔をした。

「そう。それが問題」

 不破の心の中を読んだかのように、後藤は言った。

「人一人の正義は、必ずしも組織の、ましてや世間の正義と完全な合致はしない。それが正義の難しいところさ」

「私は、南雲巡査長は性根をたたき直せばかなり優秀な人材として」

「今でも十分優秀さ」

 後藤は急須を手にしつつ言った。

「問題は、あいつのなさんとする正義は、警察という世界で実現するには大きすぎるってことさ」

「大きすぎる?」

「そう。そうは思わない?」

「……」

 不破は思った。

 確かにそうかもしれない。

 南雲のいわんとする正義、そしてその美学とは、

 

 悪は殺す。

 

 まさにその一点に集約している。

 悪を殺してこその正義。

 それは警察という組織によって実行される正義としては、あまりに血生臭すぎる。

「だからさ……あちちっ」

 湯飲みから手を離し、耳たぶをつまみながら後藤は言った。

「あいつはいずれ、その正義に潰されてしまう。知らず知らず、正義のつもりで憎むべき悪を行っていることに気づかずに」

「正義は、悪ですか?」

「正義と悪は表裏一体。利益になればそれは正義で、不利益なら悪。そう思ったこと、ない?」

「それはまぁ……」

「悪即斬なんて、近衛にでもやらせておけばいいのにねぇ」

 後藤はデスクの上で手を組んで顎を乗せた。

「……悪く、ないか」

「警部?」

 不破は、後藤の考えていることが何となくわかった。

「まさか、南雲を放出するつもりでは?」

「それもいいかなぁ。と思ってさ。ほら、あいつなら近衛でも十分喰っていける気がしてさ」

「自分は反対します」

 不破はきっぱりと言い切った。

「南雲は、自分の部下でもあります。かならず、自分が真人間にしてのけます」

「……あっそ」

 後藤は興味なさげに言った。

「せいぜい、自分を犠牲にしないようにね?」



●東京都内某所

 それから数日後。

 非番の南雲は、町中をぶらついていた。

 サングラスをした身長2メートル近い大男が歩く。

 それだけでヤクザまでが道を譲った。

「―――ん?」

 南雲はふと足を止めた。

 視線の先。

 そこには大きな荷物を抱え、とんでもない場所から出てきた女の姿があった。

「……」

 南雲は、女の出てきた場所をもう一度見た。


 魔留場津クレジット。


 俗に言うサラ金だ。


 警視庁の巡査部長。

 ノンキャリアでありながら経歴は申し分ない。

 行く行くは警視長まで上れるだろうと周囲からも評判の女。

 不破忍が出てくるには、あまりに不自然な場所だった。


 「……」


 南雲は、不破の後を追った。


 不破が次に向かったのは病院。

 

 誰かの見舞いか?

 南雲がそう思ったのは、当然だが―――。


 「!?」

 道路に面した木陰に用意された、何の変哲もないベンチ。

 そこに座るのは、何の変哲もありまくる相手だった。


 伏木 渡(ふせぎ・わたる)


 外見こそ、

 冴えない、

 頭がさびしい、

 くたびれた、

 あらゆる意味でマイナス要素しかないオヤジなのだが、企業の情報を盗み出して脅迫材料に使ったり、ライバル会社に売り飛ばすことを生業にする、かなりの犯罪者なのだ。

 何より、この男に警察が神経を尖らせるのには理由がある。

 この男の手によると思われる違法データの中に、警視庁のかなりの機密文書が含まれていたからだ。

 警視庁では内偵をすすめているが、その犯人の手がかりすら、ようとして掴めていない。


 その犯罪者の顔は、不破だって知っているはずだ。


 それなのに、


 不破はその顔を見るなり、ベンチの横へ座った。

 警察官が、犯罪者の横に、自らの意志で座った。

 

 ありえない。


 南雲は、信じられないものを見る目で、その光景を見た。

 伏木の足下には、不破の手に提げているのと同じ紙袋が置かれている。

 不破は、その紙袋に並べるように同じ紙袋を置いた。

 そして、何かをためらうような仕草を見せた不破だったが、何事もなかったかのように立ち上がると、紙袋を手にして、その場を立ち去った。


 「……」

 典型的過ぎるほどの光景を見た南雲は、伏木の先回りをして、角を曲がった所で紙袋を手にした伏木の前に立ちふさがった。




 ●翌日 警視庁警備部書類倉庫

「話とは何だ?」

 南雲に書類倉庫へと呼び出された不破は、そこに待っていた南雲に厳しい声でそう言った。

 昨日までなら、威圧感を感じる声。

 それが、南雲にはむしろ虚しくすら聞こえた。

「これ、返しておきますよ。巡査部長」

 南雲はポケットからそれを取り出し、不破に投げた。

「?―――っ!?」

 それを受け取った不破の顔が、一瞬で青くなる。

 それは、何の変哲もない単なるメモリカード。

「紙袋の中身はフェイクで、紙袋に入れたハサミの数で駅の名前、ロッカーの番号、さらには暗証番号まで教えるとは……巡査部長、あんた、大した推理作家になれるよ!」

「……」

 呆然と南雲の顔を見つめる不破に、南雲は言った。

「謹厳実直、警察官の鑑とまでいわれたあんたが、まさかサラ金に借金までした挙げ句、警察の内部データを売り渡していたとはな!」

「知っていたの……?」

「昨日、偶然見かけてね」

「……」

 俯く不破に、南雲が何かを言おうとした次の瞬間―――


「何をするっ!」

 南雲の厳しい声が飛び、不破は南雲に腕をねじ上げられた。

「くっ!」

 ガチンッ

 鈍い音を立て、ねじ上げられた不破の手から落ちたのは、拳銃だった。

「こんな所で自殺なんてされたら、俺が困る!」

「き、貴様に、何がわかって!」

「伏木に情報を売り飛ばしたってことだけで十分だ!」

 そう。

 南雲にとって、それで十分だった。

 理由なんて関係ない。

 悪は悪。

 だからこそ、倒さねばならない。

 たとえ、それが上司だったとしてもだ。

 それが、南雲の正義だ。


「だが、俺はあんたを殺しはしない」

 南雲は言った。

「公安あたりにつきだしてやる。あんたのルールに従って、あんたを罰してやる」

「!!」

 不破の顔色はもう土気色になっている。

「ふん。自分が正義を振りかざすなら、その正義で自らが処理されるのを覚悟しているんだろう!?その覚悟がないで、人めがけて正義がどうの言うなっ!」


 覚悟がない正義。


 不破の言い分を認めつつ、南雲がどうしても不破を受け入れられなかったのは、まさにそこだった。

 不破には覚悟がない。

 何かが、不破の覚悟を鈍らせている。

 そして、不破はその存在を排除しようとしない。

 南雲の目には、それは明らかな不破の怠慢でしかない。

 

 南雲は嫌悪感と憎悪が混じり合った声で言った。


 怠慢と映るモノ。

 それが、不破の―――人の弱さだと、わかっていたから。


「―――殺せ」

 腕の痛みに耐えながら、不破は苦しげに言った。

「私を、殺せ」

「何?」

「それが、貴様の正義なのだろう?」

「上司殺しの汚名を、この俺に着せようと言うのか?」

「相手が誰であろうと、悪は倒す。それが貴様の正義だろう?違うのか?」

「……っ!」

 南雲は舌打ちと同時に、不破を突き飛ばした。

「伏木は罰した」

 書類棚に叩き付けられ、その場にへたり込んだ不破に、南雲は言った。

「根城のマンションは、深夜の不審火で焼けた。身元不明の焼死体が一つ」

「!?」

「……そういうことだ」

 南雲は視線を合わせないようにそっぽを向きながら、不破に言った。

「後は……そうだな。サラ金は、さっさと返しちまった方がいい俺もいろいろ蓄えがあるし……うん。それがいい。」

「貴様……?」

「と、とにかく!」

 南雲は声を張り上げた。

「俺はこれであんたが何をしているかは知らない!それでいいだろう!」

「……ありがとう」

 不破は言った。

「ヒック……あり……がとう」

「巡査部長……」

 警察官としての倫理観が人一倍強い女性が、泣き崩れている。

 一体、背景に何があったかは知らない。

 知りたくもない。

 ただ、この時の南雲にあったもの。

 それは、


 困惑。


 ただそれだけだった。


 困惑する頭で、南雲は言った。

 いや。

 言ってしまった。


「まぁとりあえず、感謝するなら」

 待て。

 南雲の中で、何かがそう告げる。

 それでも、南雲の口は開く。

「お礼、してもらおうか?」

 やめろっ!

 その警告は無視された。

「?」

 泣き崩れた、年上の女の上司が、きょとんとした顔を向けてくる。

 それが、南雲の何かをさらに助長させた。

 二人きりの密室。

 普段なら、言った相手を殺しかねないはずなのに、

 それに便乗するような言葉が、南雲の口からはき出された。


「とりあえず」


 やめろっ!


 何かが絶叫するが―――


「脱げよ」


一度はき出されたものは、歯止めがきかなかった。


「えっ?」

 不破も女だ。

 結婚もして子供もいる。

 南雲より人生経験の深い女。

 その意味はイヤでもわかる。

 不破が、それ故の絶望の眼差しで自分を見つめるのすら、南雲の何かにとっては快楽でしかなかった。


 犯罪者という名の、圧倒的に自分より弱い者を狩る時と違う、もっと違う種の快楽を、南雲の何かは求めていた。


「人生、救ってやるんだ。ソレくらいは当然だろ?―――脱げよ」


「……」

 南雲にとって、その沈黙は快楽に油を注ぐだけ。

 自分を罵倒する上司の見せる、女としての顔。

 時折、時間を忘れて見とれたほどの美しく、毅然とした顔が、屈辱と絶望に歪み、逡巡するのを見るのは、今の南雲にとって最高の快楽だった。


「さぁ」

 猫がネズミを嬲り殺しにするように、南雲は要求と沈黙をもって不破を嬲った。


「どうしたんだ?それとも、本当に公安に突き出されたいのか?」


「……」

不破は胸元に手を置いて、沈黙を続けた。


「子供のこと、考えた方がいいぜ?」


「っ!?」

 不破がこの時、初めて顔を上げた。


 背筋が寒くなるほど美しい。

 南雲はその顔を、そう、とらえた。

 

 だが―――


 不破の顔は、南雲の加虐的欲望をかき乱すだけだった。


「子供のこと考えて行動しな」


「―――っ」

 南雲にはわかる。

 震えながらも、不破が立ち上がったのが何故か?

 わかるのだ。

 その手が、ブラウスのボタンにかかったのも。


 すべては、自分の要求に屈したのではないことを。


 白く細いうなじの下にのぞく下着ですら、

 それを見せるということは、

 それはすべて、

 自らの子を守ろうとする、


 母の一念。


 ただそれだけであることを―――。


 そこに、自分というオトコへの思慕なぞカケラも存在しないことを。


 南雲は思い知らされた。


「もういいっ!」

 南雲は苛立った声で言った。

「お前みたいなバツイチの子持ちの肌なんか見たくはない!」

 南雲は何かを振り切るような声で言った。

「さっさと服を着て、仕事にもどりやがれっ!」

 不破を突き飛ばすと、呆然としてその背を見つめる不破から逃げるように、南雲は足早に部屋から立ち去った。


 まるで、何かから逃げるように……。



 ●数日後


 数日間、


 南雲は不破との接触を避けた。


 不破もまた、南雲との接触を行おうとはせず、二人はすれ違いを続けていた。


 ただ、はっきりと言えることは―――


「……」

 南雲は職務中の飲酒をぱったりと止め、何故か真面目に外回りにいそしむようになったこと。

 それだけだ。

 理由は当然、不破と接触しないためであり、不祥事がきっかけで不破の元に出頭するのがイヤだったからだ。


 「それにしても―――」

 途中のベンチに腰を下ろし、だらしなくふんぞり返る南雲は、空を眺めながら、つくづく。といった感じでぼやいた。

 「いい胸してたよなぁ……」

 子供を産んだとは思えない白い肌と、豊かな双丘……。

 子供を産めば、女はああなるのかな。と、南雲はふと、そんなことを考えていた。


 考え方によっては、惜しかったかも知れない。


 そう思う。


 抱いてみたい。


 そう思う。


「馬鹿な!」


 口ではそう言える。

 何とでも言える。

 それでも、結局ここに行き着くのだ。


「ああ……いい胸してたよなぁ」




●東京都内某所


 結局、二人が再開したのは、翌日のことだ。


「犯人に告ぐ!」

 パトカーのスピーカー越しに警官の怒鳴り声が響き渡る中、二人は小隊の同僚と共に突入装備に身を固め、肩を並べて待機している。


 騎士警備部に所属する隊員、つまり、南雲達公安騎士は、その身体的能力から、人質事件などの際の切り込み役としての任務が与えられている。

 制服警官達が近づくことすら出来ない場所に投入され、あらゆる危険任務につくため、その装備はなかり大がかりである。


「状況を再度説明する」

 不破は自動小銃の安全装置を確認し、部下に振り返ると言った。


「犯人は人質5名をとり、3階に立て籠もっている」


 そう言って、不破が見上げたのは、自分達が張り付く壁の上。

 4階建てのビルのような高級住宅―――政府の高級官僚向けの公邸。

 不破達は、丁度、二階のバルコニーの真下にいた。


「人質は内務省のお偉いさんの家族だ」


 このうなじの下に、あの胸が……。

 南雲はじっと不破のうなじを見つめながら、ぼんやりと指示を聞き流していたが、

「わかったな?」

 の一言で現実に戻された。

 妄想は一時お預けだ。

「いっそもう、全員殺されるの待ったらどうですか?」

 部下の一人がそうぼやくのも無理はないと、南雲は思った。

 自分が総監ならそう命じているだろう。

 もっといえば、自分が犯人の親なら、子供を殺しているとも。


 事件の発端は、官僚のドラ息子が同じ高級官僚の息子仲間と一緒に麻薬パーティを開いた。

 ここまではまだ許容範囲としても、南雲達の出番ではなかったろう。

 問題は、中毒状態に陥ったこのどら息子が、父親が集めていた猟銃を持ち出して2人を射殺、止めに入った使用人を含め、現在では4名が死傷していることだ。

 ただでさえ嫌われる高級官僚の不祥事。

 これでは突入する現場の志気が上がるはずがない。

 ばかばかしい。

 勝手に殺して死にやがれ。

 そう思う現場の隊員は決して少なくないのだ。

 そして、警察上層部から入った命令も、現場のやる気を削ぐのに十分だった。


「他はどうでもいいけど、どら息子だけは無事に確保しろなんて、どうせお偉いさんの圧力か何かがかかってる証拠でしょう?親バカの極みでしょう。こりゃ」

 南雲もたまらずそう言ったが、

「それでも命令よ」

 不破は南雲を見ずに言った。


 避けられている。


 そう思った南雲は目の前が真っ暗になる思いがしたが、


「第一小隊がすでに一階を確保―――」


 ズダァァァンッ


 建物内から銃声が響き渡たり、不破達の目の前に、何かが落下した。


「!?」

 思わず身構える公安騎士達の目の前に落ちてきたモノ―――


「ヒッ!?」

 それが何か気づいて息を止めたのは、日下だ。

「成る程」

 南雲は一人で納得したような顔で、それを見た。

「隊長、アレは人質の一人ですか?」

 ベランダまで逃げた所を撃たれたのだろう。

 口や鼻から血を流して、仰向けに倒れているのは、金髪に髪を染めたチンピラだ。

「ああ……大蔵省事務補佐官の息子だな」

「来年あたり、内務と大蔵、もめるだろうなぁ」

「そんなことは我々の知ったことではない!」

 部下のぼやきを聞きとがめた不破が小声で怒鳴った。

「犯人は大口径の猟銃を所持」

「違いますよ。巡査部長」

 南雲は不破の言葉を止めた。

「な、何?」

「これ……対戦車ライフルの銃痕ですよ」

「たい……せんしゃ?」

「つまり、不法所持の銃で―――っ!」

「きゃっ!?」

 南雲は不破を抱きかかえるようにして横っ飛びに跳んだ。


 鈍い打刻の様な音。

 土煙。

 そして、何人かの隊員達が、奇妙な姿勢で倒れる音。


 それが立て続けに不破の視界に入ってきた。


「第二小隊より指揮所!犯人は大口径の対戦車ライフル及び機関銃とおぼしき武装を所持!負傷者多数、指示を求める!」

 不破の胸元にあった無線機のレシーバーを奪い取った南雲は、それだけ怒鳴るとまた横に跳んだ。

「日下、加藤、新田、諏訪、待田、桃井、大丈夫か!?」

次々と部下の安否を訊ねる不破に、あちこちから返事が返ってくる。

「桃井がやられました!」

「日下です……加藤巡査……死亡!巡査が、なくなりましたぁ!」

「くそっ!諏訪、神田、桃井を連れて下がれ!後は遮蔽物を楯に!」

南雲は不破を抱えたまま立ち上がってバルコニーを睨み付けた。

何者かがバルコニーから走り去り、狂ったような笑い声だけが残されていた。

「南雲巡査長!」

「確保すりゃいいんでしょう?」

「違うわよ!」

 不破は赤面しながら怒鳴った。

「いつまで人の胸を掴んでいるつもりっ!?」

「へっ?」

 南雲は手にそっと力を込めてみた。

 ゴムマリのような弾力のある感触がした。

「あ、ああ……こりゃどうも」

 そう思うならさっさと離せ。

 そう思っても体がそれを拒んでいる。

 南雲は何度も何度も手に力を入れては、それを緩める動作を繰り返した。


「いい加減にしろっ!」


 ガンッ!


「何もソコを殴らなくても……」

 南雲は股間を押さえながら不破に弱々しく文句を言った。

「銃尻で殴られたらハンマーで殴られたのと同じ」

「うるさいっ!」

 不破は赤面しながら怒鳴った。

「せ、セクハラですっ!」

 そう怒鳴り、そっぽをむく不破の顔を見た南雲は、不破のちょっとした変化に気づいた。

「あれ?巡査部長?」

「な、何です?」

「化粧……なんか、変えました?」

 普段から化粧っ毛の少ない女という印象があった不破の顔、特に唇の変化に、南雲は気づいたのだ。

「べ……別にいいでしょう?」

「誰か、オトコでも出来ました?」

「なっ!?」

 驚く不破の顔は、図星をついたことを証明していた。

「まぁ、いいでしょう」

 南雲は言った。

「突入しましょう。相手は武装している。このままでは危険です」

「ま、待って」

 不破は南雲を止めた。

 南雲は、妙に命令口調ではない、女の声で自分に話しかけてくる不破を不思議と受け入れていた。

 不破は言った。

「突入命令が来ていない」


 ガシャァンッ


 窓が割られ、椅子らしい物体が地面に落ちて砕けた次の瞬間―――


 ズガガガガガッ!


 連続した銃声。

 その矛先はパトカーだ。

 制服警官達の何人かが血煙をあげて倒れる。

 スーツ姿はマスコミだろう。


「奴さん、ついに初めやがった!」

 南雲は不破の手を振り払って言った。

 制服組は倒れる同僚を助けるために何人もの警官が危険を承知で飛び出し、銃弾の餌食となった。

 南雲達はそれを指をくわえてみているしかない。

 

 制服組がついに射撃を開始した。


「突入します!」

 制服組が頑張っているが、火器の性能が違いすぎる。

 このままでは、あと何人犠牲者が出るかわかったものではない。

「やむをえないな」

 制服組の誰かが頭を打ち抜かれて倒れる光景を目の当たりにした不破も覚悟を決めた。

「ついに懲戒免職か」

「俺、料理屋でも始めますよ」

「ふん。食べに行ってあげるからおごりなさい」

「女将さんはまかせましたよ?」

 南雲はそう言うと、バルコニーへと飛び上がった。

「えっ?」

 意味がわからず、ぼんやりする不破の耳に日下の怒鳴り声が響いた。

「隊長!」

「―――えっ?」

「続きますっ!」

 自動小銃を抱えた日下達、生き残った部下が不破に叫び、南雲の後を追った。

 現実の職務に戻った不破が、すぐに部下を追ったのは当然である。



 室内はかなり高い調度品で埋め尽くされていたろうことは、モノの価値に疎い南雲にもわかる。

 今は残骸となって床に転がる壺だって、南雲の年収一年分では足りないだろう。

「国民の税金を無駄遣いしやがって……」

 血と脳漿で汚れた壁や絨毯だって同じだ。

「こちら第二小隊南雲、バルコニー及びCルーム確保」

 南雲は無線機に小さく告げた。

「人質5名は全員死亡」

 床に転がる死体は、全員が頭を吹き飛ばされている。

 射殺した死体を何度も撃っていることと、犯人がまともな状態ではないことは確かだ。

『本部了解。犯人確保に全力を尽くせ』

「了解」

 ふざけるな。

 南雲は内心で舌打ちした。

 ここで死体になった連中の無念を払えるほど、司法は万能だとでも言うのか?

 いっそ殺した方がいいに決まっている。

 麻薬中毒による一時的錯乱。

 それだけで5年程度で娑婆に帰ってくる。

 そして犯罪を繰り返すのだ。

 殺された者達にはない日々を過ごすために―――。


 間違っている。


 南雲はそう思うのだ。


 犯人は犯人として処刑されるべきだ。

 決して気の毒な中毒患者で終わらせてはならないと。


 「南雲巡査長」

 バルコニーに飛び移った第二小隊の面々と不破が南雲の背後に続いた。

 隣の部屋からは銃声が断続的に聞こえる。

 「犯人は隣の部屋。自分が突入します」

 「待て―――状況を確認して」

 不破の言葉を無視する形で、南雲はドアを蹴破って隣部屋に飛び込んでしまった。

 「ちっ!小隊」


 続け。


 不破はそう言ったつもりだった。



 捕り物は一瞬でケリがついた。

 南雲の一撃をマトモに喰らった犯人―――どら息子は壁に叩き付けられ、銃を取り落とした。

 ドアのケリ破られた瞬間、

 このどら息子はもう判断能力を薬物によってほとんど失っていた。

 ただ、手に持った機関銃を撃ちまくる楽しみに酔いしれているだけだった。


 どら息子に飛びかかる南雲の背後といわず、壁のあちこちに風穴が開いた。


 無数の弾丸をものともせず飛びかかった南雲は、床に倒れ伏したどら息子の髪を掴むと、無造作にその体を持ち上げた。

「ヒッ……ヒッ……」

 体をビクビクと痙攣させ、ブツブツと何かを呟くどら息子。

 それが何を言っているのか気づいた南雲は、どら息子の頬を思いっきり殴りつけていた。

 親から散々聞かされた事なのだろう。

 どら息子はこう言っていたのだ。

「ぼ……ぼくはえらいんだ。みらいのかんりょうだぞ……ドドドッ……ブタはしね……しね……ドドドッ……ブタは」


 犯人を引きずりながら、不破達の待っている部屋に戻った南雲は、その部屋の光景に、手にしたどら息子の頭を落としてしまった。


「……どうした?」

 感情が消えたような声で、南雲は同僚に訊ねた。

「不破巡査部長……どうしたんだ」

 床に倒れる突入服。

 その横に崩れ落ちる様にしてへたり込む日下が声を殺して泣いている。

 何が起きたか、考えたくはなかった。


「犯人は確保したんだ……起きろよ。巡査部長」


 よろめく足取りで倒れる突入服―――不破巡査部長の元に近づいた南雲は二日酔いにでもなったようなぐらつく世界の中で、それでも不破を起こそうと、手を伸ばす。


「触るなっ!」


 バンッ!

 渾身の力を込めたのだろう、小さな手が南雲の手を払いのけた。


「あんたが―――!あんたがあそこで突入なんてしなければぁ!!」


 そう叫びながら南雲に躍りかかってきたのは、なんと日下だった。

 日下は泣き叫びながら、もんどりうって倒れた南雲の顔を、何度も殴りつけた。


「あんたが!あんたの身勝手が、あんたが!隊長を殺したんだ!」


 そうかもしれない。


「この同僚殺し!」


 そうだ。


 南雲は自分の上に馬乗りになって自分を殴り続ける日下を、ぼんやりと見つめていた。


 俺が……不破さんを……殺したんだ。


 俺の、身勝手が……


 大切な人を……


 殺した。



 南雲は、何発殴られ、いつ、どうやって、その場を離れたか、全く覚えていない。


 自分の信じた正義が、

 価値観が、

 足下で崩れ落ちるのを感じながら、


 南雲は自我を失った。



●数日後 警視庁内第七自習室

「犯人の所持していたのは、すべてオヤジさんが趣味で集めていた非合法品だ」

 自習室で正座する南雲にそう言ったのは、後藤だった。


 命令無視および危険行動により、同僚を死に至らしめた容疑で、南雲がここに押し込められてすでに1週間がたとうとしていた。


「それをラリった息子に使われたんだから、まぁ、親御さんとしても弁明のしようがなかったわけだ。内務の幹部が大蔵、国土、司法、あっちこっちの息子殺したんだから、こりゃもう、来年あたりからモメるだろうなぁ」

 自習室であるにもかかわらず、タバコに火をつけた後藤は、思い出したようにタバコの箱を南雲に突きつけた。

「吸う?」

 南雲は首を横に振った。

「あっそ……ひどい事件だったからなぁ……犯人が死んじまったことが、まぁ、唯一の救いだわ。こりゃ」

「死んだ?」

「おろ?お前さん、知らなかったのか?」

 南雲は驚いて首を縦に振った。

「日下が射殺したんだよ」

「日下が?」

 信じられない。

 あんな弱虫が、確保した犯人を?

「個人的な怨念―――そういうべきだろうが、安心しろ。俺がシナリオを書き換えた。お前が突入した際、さらに銃火器で抵抗する素振りを見せたので、やむを得ず射殺したってことになっている。日下は……退職だがな」

「そうですか……」

「で?惚れたオンナが死んで傷ついている所申し訳ないが」

「惚れた?」

「そう。お前さん、惚れてたんだろう?不破巡査部長……いや、不破警部を」

「……」

「少なくとも、不破はそうだった」

 後藤は天井を仰ぎ見ながら言った。

「あいつはお前に惚れていた。惚れていたからこそ、しっかりしてほしい。その一心でお前につっかかっていたんだ」

「……」

「あいつも苦労人でな。せっかく結婚したのに生まれてきた子供は植物人間……あるだろう?騎士の血は継いだのに、その血と肉体が相容れずってヤツさ。あいつはそんな子供を産んだって、嫁ぎ先で散々罵られてな?慰謝料ももらえず、子供押しつけられて離縁さ」

 病院

 サラ金

 情報提供

 南雲の頭の中で、不破の不審な行動の全てがつながった。

「あいつは死にものぐるいだった。あ、俺もね?支援するっていってたよ?だけどあいつ、わかるだろう?一度こうだって決めると、テコでも動かないんだもの。全然ダメ」

 後藤は手をパタパタやりながらそう言った。

「……それで、不破警部は」

「だが、あいつもオンナだ」

 後藤は南雲の顔をまっすぐに見つめながら言った。

「母親として、警察官として、あいつはそんな境遇だった。だが、お前がいた」

「俺が?」

「そうだ。恐らく、あいつは賭けたんだろうよ。南雲がまっとうになってくれたら、いつかはって。……オンナの身勝手と笑うかどうかは、お前にまかせるけどさ」

「……笑いませんよ」

 南雲はそれだけを言った。

「そうか」


 後藤はタバコをもみ消すと、それまでのぼんやりした顔を引き締めた。

 それは、南雲の知る「昼行灯の後藤」の顔ではない。

 かつて「カミソリ」と恐れられた南雲の知らない後藤の顔だった。

 冷たく、底知れぬ威圧感すら感じる顔。


 こんな恐ろしいヤツが、俺の近くにいたのか。


 ごくっ。

 そう思う南雲は、知らずに唾を飲み込んだ。


「問題は―――お前だ。南雲巡査長」


「俺……ですか?」


「お前―――どうする?」


「どうするも、こうするも」


「俺も今回の事件の責任をとらされてクビだ。同僚助けるために応戦を命じた岩田警視正と村田警視は共に降格……あっちも気の毒だ」


「えっ?」


「当然だろう?部下を掌握できずに死者3名、制服警官やレポーターまで入れたら一桁増えちまう。まぁ、体のいい生け贄にされたわけだ」

 喉を鳴らして笑う後藤の本心がわからず、南雲は恐る恐る言った。

「俺は……?」


 

「そんな俺にお呼びがかかっている」


「……お呼び?」


「ああ。……近衛府だ」


「近衛?」


「一度失った道だが、お前の才能はまだ使える。近衛に忠誠を誓えとな……笑っちまうよ。あいつら」


「警部」


「ここにいれば、もうお前は死ぬしかない」

 後藤の眼は本気だった。


「同僚殺し。お前はそういう烙印がもう押されている。あのバカ息子の放った銃弾が、壁を貫通、ヘルメットぶち抜いたとしても、殺したのはお前だとな」


「……」


「惚れた女を殺したお前だが、俺はお前にまで後を追って欲しくない。なにより」

 ずいっ。

 南雲に近づいた後藤がその肩に手を回した。


「残った子供達の面倒、誰が見る?」


「!?」


「近衛に入れば、実入りは警察よりいい。それで子供が養える」


「俺……俺は」


 南雲の逡巡の理由がわかる後藤は頷きながら言った。


「惚れた女の菩提を弔って、残された命を養え……お前しかできないことだ」



 南雲は、まっすぐに後藤を見つめ返す。


 そして、南雲の唇が、言葉を紡ぎ出した―――。



 警察の記録ではこうなっている。



 後藤貴一警部

 南雲敬一郎巡査長

 日下敬子巡査

 以上、依願退職に伴い、登録抹消。



 

 それから数日後の近衛の記録


 後藤貴一中佐  作戦本部付き参謀補佐官に任命

 南雲敬一郎大尉 近衛騎士団右翼大隊騎士に任命

 日下敬子軍曹  巡洋艦最上付きオペレーターに任命




●???

「成る程?」

 真っ暗闇の中で、そんな声がした。

「そういうことですか」

 ふふっ。

 オトコの笑い声がした。

「まぁ、いいでしょう」

 そんな声がした。

「この男……楽しめそうですね」


●信楽未亜のマンション

「にゃ?」

 未亜が目を覚ました時、辺りは静寂そのもので、いつもの光景が広がっていた。

「うにぁ?誰かの声がした気が……」

 あたりをきょろきょろした未亜はもう一度眠ろうとして、別な声を聞いた。


 横で眠っている南雲の寝言だ。


 南雲はにやけた寝顔でこう言ったのだ。


「不破さん……その胸で……挟んで欲しい」


 ガッシャァァァン!!


「な、何だ!?―――み、未亜っ!?」

 突然の激痛により、夢の中でのお楽しみを邪魔され、現実に引き戻された南雲は、目の前に仁王立ちしているのが、未亜だということだけはわかった。

 眼がつり上がり、髪が逆立っているところなんて、どこぞのトップアイドルと張り合える。

「この浮気者ぉっ!」

 ベッドのサイドチェアーを振り上げる未亜が怒鳴る。

「私が横で眠っているのにぃ!」

「な、何の話だ!?」

「夢でナニをだれに挟んでもらっていたのっ!?」

「ゆ、夢の中まで介入するなっ!」

「夢で見るだけで死刑だぁぁっ!」


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