第15話 みおくり


 ドアを開いて入ってきたその人影を見て、鎌倉さんが息を呑んだ。


「ただいま」


 と、現れたのは、縁なしの丸眼鏡をかけた長髪の人物だった。

 背も高くてスーツ姿で、一瞬、男の人かとも思ったけど、


「……姉」


 と、鎌倉さんが私に耳打ちをしてくれたので、その人が女性で、昼間の話で聞いていた大学生のお姉さんだということがわかった。


「笑美子、お客様……か?」


 お姉さんは眼鏡の奥の目を光らせて私の方を見おろした。

 私は慌てて椅子から立ち上がって、こんばんは、と挨拶をした。

 立ち上がってみるとその背の高さがよく分かる。高校二年生の平均身長とほぼ同じな私より、頭二つ分も高い。

 

「あ、あの私、鎌倉さんの友達(?)で、夜野圭子といいます」

「……」


 無言。

 無視――ではなさそうだ。お姉さんは眉をひそめて、何やら驚いたような、戸惑っているような様子で私のことを見下ろしている。

 その目付きはきりりとしていて、それが私のことを見下ろしていて、申し訳ないけれどちょっと怖い、と思った。威圧感がある。

 優しい感じ、とか、穏やかな感じ、とか――と頭のなかで勝手に作り上げていた「鎌倉さんのお姉さん」像が、がらがらと崩壊していく。


「あの……」

「……ああ、えと、笑美子の姉です。よろしく」


 よろしく、できるかなあ、と私は差し出されたその手を握ってみる。

 大きな手。こんな風に他人と握手をするなんて初めてのことだ。

 大人って、こういうことをいつもしているんだろうか。


「ねえ、今日帰ってくるなんて聞いてないんだけど」


 鎌倉さんが抗議をしている。

 お姉さんは「言ってないからな」、と軽く受け流している。

 

「連絡ぐらいしてよ」

「自分の家だもの、連絡なんかしないよ」

「……」


 鎌倉さんが怒った顔をしている。

 お姉さんは軽く受け流している。

 私はそんな二人のやり取りを見て、なるほど、と思った。

 ひどくご立腹な様子の鎌倉さんと、それを軽く受け流すお姉さん。

 その関係が良好かどうかは私にはよくわからない。

 でも力関係は分かる。鎌倉さんには不本意だろうけど、お姉さんの方がその立場は上らしい。見ていて余裕がある。


「ご飯、食べてたのか」


 お姉さんがテーブルの上の空になった食器たちを見る。

 「あんたには関係ないでしょ」、と、鎌倉さんが吐き捨てるように言うその呼び方で、ああやっぱり仲が良くはないんだな、とわかった。


「これは、圭子ちゃんが作ってくれたのかな?」


 鎌倉さんの冷たい言葉(視線も)を無視して、私に訊いてくる。

 いきなり名前にちゃん付けなんてされると焦ってしまうなあ、と思いながら、私はそうです、と答えた。

 気のせいか、鎌倉さんの視線がますます冷たくなったような気がする。


「そうだと思った、笑美子は料理なんかしないからな」

「関係ないって言ってるでしょ」

「ちゃんとお礼言ったか?」

「……うっさいなあ」


 鎌倉さんの語気が強まる。

 私はヒヤリ、としてしまう。

 

 しかしお姉さんは動じる様子もない。

 

「笑美子、お友だちの前なんだから」

「……」

「やれやれ、ところでもう夜も遅いけど、圭子ちゃんは今日は泊まっていくのかな?」


 そう言われて壁の時計を見てみると、夜の九時を回ったところだった。

 驚いた。もうそんな時間になってたのか。


「……いえ、もう帰ります」

「そっか、じゃあ送っていこう。遅いし」

「え……」


 いやそんな、大丈夫です――と私が遠慮するより前に、「何でよ」と鎌倉さんが食ってかかった。


「何であんたが送っていくことになるの」

「車があるから」

「だからって……」

「こんな時間に外を歩くのは危ないだろ」

「……じゃあ、私も行く」

「無理だって。あたしの車は二人乗りなんだから」

「……」

「はあ、もう。笑美子」


 ――お姉さんは鎌倉さんを見おろして、なぜかちょっと笑みを浮かべて、諭すような口調でそう言った。

 言われたほうの鎌倉さんは絶句している。

 たった今聞いた言葉が信じられない、というような様子。


「……」


 私はそんな彼女の様子が気になっていた。




 


 


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