第6話 にゃんこは一緒にいたい
「じゃあ、いただきます」
「い、いただきます……」
……どういう状況だこれ??
卵焼きを挟むつもりが、箸は意味もなく空を切る。
ぱちん、と箸がぶつかる、気の抜けた音が教室に響くが、俺はそれどころではなかった。
目の前に、あたかも当たり前のようにしてお弁当を置き、椅子を引き寄せて座る、ねお。
「…………」
……いやいやいやなんで、俺を昨日フッたねおが、俺と一緒にランチしてるんだ!?
おかしいだろ! 気まずすぎる!!
脳内パニック発生だ。
俺は心臓をばくばくと言わせながらも、脳を必死に落ち着かせようと試みる。
いや普通、ねおは自分の彼氏とあーんしながらお弁当食べるんだろ!!
てかねおは、俺の事好きじゃないんだし……あ、彼氏が今日休みとかそういうこと?! いやどういうことだ!?
「……なに、食べないの?」
「あっ、は、はい、食べさせていただきますっ!!」
思案していると、ねおが端正かつ息を呑むほど美しい顔をこちらに向け、少し首を傾ける。
不思議そうに揺らぐ瞳に、緊張のせいなのか、少し震えた唇。
さら、と一束の髪が肩から滑り落ち、髪は太陽を反射してきらり、と黄金色に輝く。
るるとは違って、ぱっさりと切られ整った前髪は、かなりの時間を要して整えたものだと思われ、ねおの美しい顔をますます彩っている。
――つまり。
ただでさえ美少女なのに、その首傾げるポーズは反則だ! 綺麗すぎてそれ反則だから!!
「……ふうん?」
悶絶する俺。
と、まるで俺の思考を読み取ったようにして、僅かに笑みを浮かべるねお。
……ま、まずい!
俺はこの状況から脱するために、脳をフル回転させる。
「え、えーと……」
な、なにか話題はないか……っ!? これは気まずすぎる! 気まずいぞ!!
ただでさえ、フラれた側の俺! でもねおから話し出す様子はない!
考えろ、どうするんだ俺……っ、あ。
と、咄嗟に一つの話題が思い浮かび、俺はひらめくがままに言葉を発する。
「あっ、あ、そうだ、ねお。か……彼氏、できたんだってな!」
「…………!」
ねおの瞳が大きく見開かれ、すぐにしくじった!! と後悔する。
いやこれ、この場を一番気まずくするやつじゃん!
なに彼氏の事聞いてんだ俺ええあ!!
しかし、一度口から出てしまった言葉は返ってこない。
二人きりの教室に、しーん、と痛いほどの沈黙が訪れる。
「あ、あのね。実は、そ、それは」
ねおはしばらく俯いて何かを考えていたが、やがて髪を宙に散らせ、ぱっと顔を上げる。
ねおはなぜか、心なしか焦っているように見えた。
頬を桃色に染め、藤色のランチョンマットをぎゅっと握りしめるねお。
ねおは小さく息を吸い、まっすぐ俺を見る。
「実は、か、彼氏は……」
『あ、あー、聞こえてますかーっ? お昼の放送でーっす!!!』
途端、キィーンという不快な機械音が響いた後、教室に備えられたスピーカーが爆音を発する。
「ひゃあっ」
「だ、大丈夫か」
こう見えて、ねおは物凄く怖がりだ。
ネコが驚いた時の習性のように、咄嗟にうずくまろうとするねおに、俺は苦笑しながらもなだめる。
「お昼の放送だから大丈夫だ。それに、放送してんのお前の妹のるるだぞ?」
そう、るるは今や放送委員の大スターで、放送委員会長にまさかのスカウトを受けて入ったのだ。
ちなみに、学校創立以来初の、放送委員スカウトだそうだ。
ただでさえ生徒に大人気な放送委員会。
あまりの志望者の多さに、前回の放送委員会の委員決めは、閉め切りを一週間過ぎたころにやっと決まったらしい。
それくらい、放送委員会は絶大な人気を博している。
人気の理由は様々だが、やはり会長目当ての者が多いのではないだろうか。
放送委員会の会長は爽やかイケメンと噂の先輩で、そいつの親はアナウンサーをしているとかなんとか。
密かに、その先輩のファンクラブもあると聞いたが……本当かは知らんが。
とにかくるるが、そんな会長にスカウトされるとは、当時学校中が騒いだものだ。
『今回はーっ、えーと……あれ、これ? まって、教室に紙忘れちゃったかも!? あ、あーっ、すみませんありました、よかったあ!』
「はは……抜けてるところがウケるのかもしれないがな」
さらに苦笑する俺に、スピーカ―から軽快なメロディーが流れ始める。
『えっと、今回は! 朝日南るるがお送りします、【恋愛相談コーナー】!!』
わああっ、と他の教室から歓喜が上がるのが聞こえた。
そう、放送委員の企画の中で、もっとも人気を博しているのが、この【恋愛相談コーナー】だ。
生徒なら誰でも恋愛相談をすることができ、廊下に置いてある用紙に恋愛相談を書き込んで箱に入れる。
その中で、放送委員が激選した恋愛相談に、こうして週に数回、放送委員が答えるのだ。
しかしどうやら、最近このコーナーを担当するのが、るるの確立が高くなっているようだが……それは気のせいではないだろう。
『では、本日の、恋に迷える小鹿ちゃんの相談を読んでいきましょうっ! 準備はいいですかーっ?』
謎の問いかけに、学校中が咆哮に満ちる。
るるの鈴を鳴らしたようなかわいい声に、このトーク力は、やはり学校中にウケるらしい。
「恋愛……くだらないわ」
ねおがはあとため息をつきながらも言う。
水筒をあおりながらも、俺は呆れたようにしてねおを見る。
「彼氏持ちが何言ってんだ……」
「! そ、そういう風斗だって」
ねおが何か言いかけたが、るるの放送の声でそれは途切れてしまう。
『えーと、ふむふむ……【好きな人にウソをついて、他に好きな人がいると言ってしまいました。どうすれば誤解は解けますか?】だそうです!』
ぴた、とねおの身が固まる。
急に真剣な顔つきになるねおに、俺は唐揚げを頬張りながらも不思議に思う。
『うーん、それは大変ですねー……誤解を解かないと、他の人に盗られちゃいますからねー』
「も、もう盗られちゃったんですけど……っ」
「??」
おかかおにぎりにかじり付きながらも、小さくごにょごにょと呟くねお。
何を言っているのかは聞き取れないが、ねおの悔しそうな顔は初めて見たなと少し感動する。
俺はるるの見解に興味を持ち、放送に耳を傾けた。
『えーっと、やっぱり、ぐいぐい行くしかないんじゃないでしょうか! だって、誤解を解かないと、取り返しがつかないことになっちゃうから……好き好きアピールをすると、誰でもどきっとしちゃいますよ!』
「だれでも……どきっと……」
ねおの呟く声に、るるのどこか照れたような声が重なる。
『わ、私だって、ぐいぐい行った結果、叶いましたし……っ、あっ、え、違いますよ会長! そういう意味じゃないです!』
ざわわっとする校内。
まずい、まずいぞ、口が軽いんだ、るるってやつは!! やめろっ!!
『え、だから違いますって、そんな彼氏とか……えへ、えへへへへへへ』
バレる! バレるから!! とりあえずマイクを消せ! 恥ずかしい!
と念じていたからか、るるがはっとしたように息を呑む音がスピーカーから漏れる。
『あっ、こ、これで放送を終わりますっ! みなさん、素敵な恋をしてくださいねーっ! 朝日南るるでしたぁーっ!』
その音でるるの声は途切れ、優雅なクラシックだけが残る。
「はあぁああぁぁ……」
とにかくぼろが出なかったことに安心しながらも、俺はトマトを箸でつまみ息をつく。
るるが、大人気企画、恋愛相談コーナーを任されるのは、やはりるるのトーク力のおかげなんだろうな……。
確かにるるのトーク力には、頭が上がらないところがあるしな。
「……ねえ、聞いてる?」
「あっ、え、なんだ?」
我に返りはっとしていると、いつになく真剣な顔をしたねおが顔を近づけてくる。
俺はばっと赤くなりながらも、聞いているの意を示すため、こくこくこくと頭を縦振りする。
ねおはしばらく迷ったようにして視線を彷徨わせたが、頬を桃色に染めながらも、口をゆっくりと開いた。
「風斗……る、るると付き合った……のね」
「? ああ、そうだな」
るるのひまわりのような笑みが脳裏に浮かび、俺は思わずにんまりする。
ただの幼馴染だったるるが彼女になったのは、勢いだし運でもあったが……こうやって結ばれたのは、ねおのおかげだ。
正直ねおは、めちゃくちゃに癒しだ。
ほんのり照れた顔や微笑は、俺の心をびしびし刺激してくる。
しかし、いつの間にかねおを想う熱い気持ちは薄れ、るるを大事にしようと思えてきたのは、嘘ではない。
付き合う前のいつか、るると関わっていた時のような感情が、今、ねおを話すと感じるのだ。
「……っ、あ、あっそう! ま、風斗に興味もなかったし、私には彼氏がいるけど?!」
俺のとろけた表情を見てか、ねおは突然ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「……??」
その横顔に、ほんの少しにじんだ何かの感情が気にかかり、俺はねおに問いかけようとするが。
「あー次化学かよ、だりぃな」
「あ、教科書忘れたかも!」
「宿題忘れた、教室戻ったら見してー」
……まずい、弁当の時間が終わった……!?!
廊下からざわめきと足音が近づいてくるのを感じ、俺は慌てて立ち上がる。
「まずい、みんな帰ってきそうだ。席に戻った方がいいな」
「……ええ」
ねおは一瞬迷ったような表情をしたが、すぐに小さく頷く。
「…………ねえ」
「なんだ?」
誰かに見られることに少しそわそわしながらもねおを見ると、ねおは少し迷う素ぶりを見せた。
「いや……なんでもないわ」
何かを言いかけたねおだが、すぐに口をつぐんでしまう。
ランチョンマットを綺麗に畳んで、ねおはさっさと席に戻っていってしまった。
「……?」
「ふーうーとーくんっ!!」
ちょうどその時、教室の扉がばんと開いたかと思うと、るるが姿を現した。
胸がこれでもかというほど揺れやがる……わああっ、何考えてるんだ俺!?
「ふーとくんっ!! 一人でお弁当食べてたんだー?」
ハーフツインを揺らし、俺に突進してくるるるを受け止めながらも、冷静さを取り戻した俺はどう答えようか少し悩む。
ねおと食べていた、と言ったらまずいのか……うーん、どう答えれば……!?
「それよりそれより、るるの放送聞いてたー? どうだった、どうだった!?」
俺が考えあぐねていると、るるががらりと話題を変え、少し呆れる。
るるよ、俺の考え込んでいた時間を返せっ!
脳をフル回転したから、脳細胞数千個は死んだぞ! 知らんけど!
「ああ……悪くはなかったんじゃないか?」
俺がやれやれとため息をつきながらもそう答えると、るるはぷくっとむくれる。
ねおと瓜二つだが、こういう拭いきれない無邪気さが決定的に違うところだろう。
「かわいかった、って言って!」
「それはどうかなー」
「ふ、ふーとくんのいじわるっ」
しゅんとしてしまうるるに、俺は慌てていいこいいこをしながらも、かわいさに軽くノックバックを食らう。
るるは、このようにして遊びすぎると、しゅんとしてしまう傾向にある。
だからこそ、定期的ななでなでは必須なのだ。
「んふー、よしっ、午後の授業も頑張れそうっ! 理科室行くよーふーとくんっ」
るるはしばらく甘えてたようにして頭を撫でられていたが、やがて満足げにぱっと立ち上がったかと思うと、教科書を取りに席に戻る。
そして、慌てて教科書と筆箱を抱きかかえた俺の手を、ぐいぐいと引きはじめた。
「班一緒だから、一緒に座ろうねっ!」
「席は指定されてるだろ? 俺たちは隣じゃないな」
「うぅー……」
またもやしゅんとしてしまうるる。
あとで存分に甘やかしてやらないとな、と俺は苦笑した。
♢
――七限目、終了のチャイムが鳴った。
「……? あれ、ねおか?」
ほとんどの人は部活があるため、そのまま部室へと向かう。
るるは運動部のため、「ふーとくん、後で連絡するねっ!」と言うなりグラウンドへと行ってしまった。
俺は帰宅部のため、荷物を取りに教室へと戻ってきたのだが。
「……風斗!?」
俺の声にびくっと身を震わせたねおは、俺を見て口をぱくぱくとさせる。
頬が桃色に染まり、頭上の二つのお団子がぴょこんと跳ねる。
「ああ……何やってんだ?」
教室に一人残ったねおを見て、俺は少し首を傾げる。
確かねおは部活に入っていないはずだが……どうしたんだ?
ねおの机に広がった紙は、資料だろうか。
それらとにらめっこするようにして席に座っていたねおは、俺の問いかけには答えず、しばらく葛藤するようにして両手をばたばたとさせる。
「……お、女になるのよ私……今、声をかけないと……チャンスよ……で、でも……っ!」
何やら小さな声で呟いているねお。しかし、俺のところまでは聞こえてこない。
……うん、気まずい。帰ろう!
俺はその沈黙にいたたまれなくなり、そそくさとリュックに教科書やノートを突っ込む。
「……え、ええぇい、ぐいぐい行くのよ、私……っ!」
俺はリュックを背負い、ねおの席辺りで響いた小さな物音を聞きながらも、ねおに向かって手を振ろうとする。
「じ、じゃあなねお、またあし……」
が、先程まで席についていたねおが、そこにはいないことに気付く。
あれ、どこにいったんだ? 確かさっきまで椅子に座って……。
――その瞬間、ぎゅ、と袖が引っ張られる感覚が走り、俺はぐらりとバランスを失いかける。
「……い、一緒にいて」
そして。
いつの間にかすぐ横に立っていたねおの、小鳥のさえずりのように綺麗な声が、耳元で響いた。
……?? ?? ……???
耳まで真っ赤になるねお。俺が見下ろすと、慌てたようにしてぱっと目を逸らしてしまう。
が、袖はぎゅっと掴まれたまま。当然、動くことができない。
「…………はえ……?」
俺はというと――間抜けなまでに口をぽっかりと開き、目をぱちくりとさせ、俺の袖にしがみついてくるねおを、ただ見下ろすことしかできなかった。
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