人嫌いを拗らせ片田舎に引っ込み、近所付き合いも親戚付き合いもろくにせず、猫を話相手に暮らしていた弟が、可愛い女の子と暮らしている。


それはもう見に行くほかはなく、早速訪れてみて驚いた。

猫だ。自分が行くといつも一目散に逃げるので尻尾の先しか見たことがないが、紛れもなく弟の飼い猫である。


何故か突如十五ほどの年の美しい少女になった弟の猫は、こちらを見つけると大きな目を見開いてしゃかしゃかと逆方向に走り出す。そうなると面白くてついつい手を出したくなる。これは男の本能だ。弟ではないが猫は好きだ。女性と同じで、冷たくされるとそそられる。これはどうしようもない自分の嗜好なのだろう。おかげで殆どの猫や女性に避けられるが、たまにうっかり懐いてくるものが可愛くて仕方ない。


弟はどういうつもりか猫の頃とまったく同じように膝に乗せ、当然と抱き上げあちこち撫で回している。そう、見た目ひと回りは歳下の幼気な少女をだ。この変なところが抜けた弟はそれが世間からどう見られているかなど考えもしない。


そして猫の時のように頭から背中まで一直線に撫でられながら、恍惚と弟の胸にもたれているこの猫、どう見ても弟を狙っている。自分は猫のことはわからないが女性の反応にはそれなりに詳しい。観察しているとどうにも純粋無垢に甘える振りをして、その実、狩りの準備を着々と進めているようにしか見えない。

隙だらけの弟は日増しに隙が大きくなっており、いつ喉笛を噛みちぎられるかわからない。まあ、別に命を取られるわけでなし、弟の貞操など正直に言えばどうでもいいのだが。


弟はこのままでは猫と結婚するだろう。義妹が猫とは如何なものか。そもそも猫かどうかも妖しい。元野良だったにしてはやたらと毛並みが白く艶がある猫だった。弟が手をかけ可愛がっているにしても美しすぎるように思っていたのだ。


化け猫もしくは神霊の類いだろうか。猫がどうなろうと弟は飼い続けるつもりのようだが、一度神社や寺にでも連れ出したほうがいいのだろうか。ただ昔から、妖しいからとモノの類いを追い出すと必ず良くないことが起きるという。触らぬ神に祟り無し。特に悪さをしないなら迎え入れるがまず無難。大事にすれば家福を齎すこともまた定番。


見ている限り、弟の精気やらを吸って生きているわけではなさそうだ。寧ろ猫と暮らし始めてから、常に辛気臭い顔で一切を断ち落とし、独り鬱々と考え込んでいた弟が、いつになく艶めいて生き生きと猫の世話を焼いている。そうすると自分にとって好都合なこともあり、ひとまず猫の正体には気づかない振りをしている。




実は弟に話していないが、うちの家は弟が継ぐことになった。


というのも自分が惚れた相手が老舗の問屋の一人娘だった。商人の娘らしく負けん気が強く快活で、非常に自分好みが故に、押しに押して縁談をこぎつけた際に出された条件は婿養子。迷いなく選んだ自分はそれなりに不孝者である。

問題は弟だ。いつまでも多感で面倒な青くさい少年の如く生きていられても困る。弟も年をとってそこそこ思春期が安定した今こそ、人間社会との折り合いをつけるべき時期だろう。


さて自分が婿に行く前に弟をどう引きずり出すかと考えていたところにこの猫騒動。まさに渡りに船である。


我が愚弟は文筆業だか格好つけだか何だか、手慰みに物語を書いて雀の涙に色をつけた程度の収入で暮らしているが、そもそも兄よりもずっと頭の出来がいい。ただ妙な拘りがあり己の能力に偏りがあることを自覚していて、人の拾わなくともいい機微に敏感なあまり、巣穴の獣のようにぶるぶる臆病風に吹かれて縮こまっている。


自分からすれば、人間はみな何かしら足りぬもの。獣のように牙も毛皮もない人はいち個体で生きのびるには弱すぎる。自らの不足は諦めて群れに頼ればいいものを、遠慮やら矜持やらで取り繕うほどにぼろが出る。案外どんな無様を晒しても性根が腐っていなければ、どうにか助けが得られるものだ。


弟は悪い人間ではない上に、落ち着いてさえいれば非常に有能な男である。見ているだけで黴の生えそうな悲観主義と壊滅的な社交性と猫以外を愛せない変態的嗜好は誰かが補填すればよい。…弟は悪い人間ではない。たぶん。


というわけで愚弟本人は露と知らぬまま、内々ではしっかり我が家の後継者に繰り上がっている。人間不信を拗らせてすぐひととの関わりを断ち切ろうとする愚弟を懐柔ならびに操縦し、性根が善良なる女性であれば、正直化け猫でも神様でも構わない。


まあ…嫁としては得体が知れず見た目が少々奇抜だが、見るからに寄る辺ない稚い少女。うちの親がまともなら、まず手を出した弟のほうを殴りつける。なんなら多少こちらで根回しをしてやっても構わない。


こちらとしては、親に婚姻を反対されようが弟が異常者扱いされようが、どちらにせよ弟と猫には結婚してもらう。もし猫に逃げられて、弟に生涯独身を貫かれると困るのだ。何が困るって、婿としてやっていく予定の自分が困る。


「兄さん、…また来たんだ」


そんなことを言う我儘な弟よ。そこらの野良猫より厄介な人間嫌いめ。お前がぱっくり食われるのはどうでもいいが、でっかい仔猫が産まれてきたらどうする。最低限でもひとの形をしていてもらわないと困る。何が困るって最悪自分が実家に引き戻される。


だから一度弟のいないところで猫のほうに念押しと確認をしてみたいのだが、何故だか猫の頃から一目散に逃げられるため一向に話しかけることが出来ない。昔から何故か獣には避けられるか威嚇されるか、兎に角懐かれた試しがないため距離の詰め方なんぞわからない。


だがこの頃、際限なく猫を甘やかす弟は、兄の目の前で猫を膝に乗せるようになった。どういった解決策を見出したかは知らないが、本当にこの弟はずれているし抜けている。一丁前に独占欲がわいたらしい弟の膝で猫はすこぶる機嫌が良さそうだ。思い描いた通りで嬉しいのだろう。俺のほうも弟が猫の檻となってくれて好都合。


取りはしないというのに、弟は自分に猫を取られることを警戒している。というよりも兄の女関係に対し著しい誤解があるようだが、まあそれはあながち間違いでもない。


このままいけば弟は猫を独占するために、厭々でも猫を連れて親戚連中に会いに行くだろう。こちらでも既に根回しはしておいてある。やたらと白っこい嫁さんだが、有難がるように神の使いやら甲斐の恩人だとか色々嘯いておいた。弟も猫相手ならちゃんと大事に守るだろうから、悪い扱いは受けないだろう。顔合わせをして対外的にさっさと身を固めさせれば、自分も心置きなく婿にいけるというわけだ。


「なあ、猫」


煙草も吸っていない。食生活もちょっとは改めた。おかげか以前より嫌悪感剥き出しの態度を取られなくなったが、やはり依然として嫌われている。猫は腹芸が出来ないのか俺に対してしないだけなのか。唇をへの字に眉間に皴を寄せられながら会話しているこちらの身にもなって欲しい。


「おい、ひとを産めるのか?甲斐みたいな尻尾のない、ひとの赤ん坊だ」

「…うめるよ、もうひとだから」

「それならいいけど、もし子が産めなかったら甲斐は他の女と結婚しなきゃいけなくなるからな」

「えっ」

「頼むぞ?」

「……かいーっ!!」


目を見開きぶわりと毛を逆立たせ、甲斐のところに直談判しに走っていった猫の背に手を振った。あれはあれで考えがあったようだが、真正ぼんくらの弟相手には、押して押して押し倒すのが早そうだ。


こちらとしてはさっさと既成事実で証明してほしい。そしてちゃっかり招き猫のように弟と人の縁を繋げてほしい。やれやれ、長らく続いた兄のお節介ももう勘弁。愚弟も愛する猫となら、孤独に逃げ込まずに済むだろう。





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うちの猫がひとの形になった。 梅行き @umeyuki

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