第24話

「次は伯希町。伯希町」

 車内アナウンスとともに降車する。降りたのは奏太と「令嬢」だけだった。

 電車が行ってしまうとひどく静かに感じた。ホームに来る人は誰もいない。「令嬢」を見ても首を振るだけだった。

 駐車場が見える場所からざっと見回しても明かりのついている家がなかった。

 改札口に行っても人の気配がしない。

「すみません」

 窓口を覗き駅員を探す。誰もいなかった。仕方なく奏太は切符を窓口に置いておく。

「ねえ!」

 先に外に出ていた「令嬢」が声をあげた。奏太が駅の出口に走る。

「あれ……」

 彼女が指をさす。その先にお化けホテルがある。だが、奏太には確信が持てなかった。

 まるで巨大な標本台だった。

 建物の壁に人がピン留めされている。人が壁を作っている。自分の目を疑った。奏太は近づいて何度も見直す。

 夥しい数の人間が刺し貫かれている。どの死体も年齢がバラバラでひとつずつコレクションしたように見える。

 花柄のブラウスの女の胴から電柱が生えていた。隣の男は肩に標識が刺さって腕がちぎれかけていた。その下には顎から上がないお婆さんと、抱きついたままの男女、首と胴体だけになった少年が串刺しにされている。どの顔にも虫喰いのような傷跡が残酷な水玉模様を作っていた。

 人間標本の中に、見知った顔があった。

「藤田……」

 傷だらけの顔は恐怖で固まっていた。手足が折れて関節が増えているように見えた。

「令嬢」も驚いているようだった。悪夢としか言えない。まさか獣のようなホウヤがこんな惨劇を起こしたのか?

「令嬢」が夜見坂の方向へ歩きだす。奏太は現状を確認したかった。駐車場から巳月公園の近道はあえて選ばず、家を目指した。

 奏太も「令嬢」も取り乱しはしなかった。以前見た異常な夢が自分の正気を保たせているのだと奏太は分かった。

 歩き始めてすぐに理解してしまった。ここは奏太の知っている伯希町ではなくなっていた。

 車道に車がひっくり返っていた。自動販売機が赤黒い肉で汚れて異臭を放つ。

 歩道に植えられたツツジからは腕が生えていた。腕ならばなんでもいいような乱雑な植え方だった。指の先がささくれている細い腕があった。結婚指輪が薬指にはまっている。皺の多い日焼けした腕があった。枯れ木のようだ。奏太はホウヤが鍬を握る腕を思い出す。男女問わずツツジを囲むように腕が植えられていた。やった本人は飽きたのか。腕のない死体が車道に山積みにされていた。啄んでいた烏が飛び去る。目玉のなくなった少女の死体が横たわる。岸本だった。

 田んぼの水は赤黒く染まっていた。作業着姿の死体が二つあった。夫婦なのだろう。彼らの顔は抉られて判別できなかった。

 家の軒先に正座した死体があった。奏太は目を見張る。

「斎藤……双葉……」

 ふたりは首を切り落とされていた。頭を抱えるようにして正座している。

「……すごい」

「令嬢」が声を漏らす。奏太は落ちている指を避けながら歩く。裸足に石が食い込むのも気にならなかった。

 遠くでバイクの音がした。

「まだ生きてる人がいるみたいだ」

 バイクの音は夜見坂の方角から聞こえた。

「……先を急ごう」

 農道を歩き続ける。見上げると電線があった。ふたつの死体が引っかかっている。引き摺り出された内臓が風に揺れていた。死体のひとつは刻まれたアーガイルのベストを着ていた。坪井先生だった。

 途中でホウヤの畑に差しかかった。畑一面が茶色だった。どの植物も死んでいる。収穫を逃したとうもろこしは茶色く萎れていた。プレハブ小屋を見てもホウヤはいない。あるのは死体だけだった。

 学校の裏門を通る。学校の昇降口にも死体はあった。正座で五人が円をつくっている。全員が手を繋いだまま首から上がなくなっていた。

 正門から出て曲がりくねった道を歩く。道の家々には赤黒い肉が壁に塗りたくってあった。絵を描いていたのだろうか。画材になった人々の胴体が内臓をほじくり出されたまま放置されていた。

 側溝に首が落ちているのを見た。三つの生首は菊池と角田、須山だった。彼らの首は積み重なっている。顔は別々の方向を向いていた。

「すごいね」

「令嬢」は興味深そうに見ていた。菊池の目に光はなく、何が起こったか分からないようだった。いくら歩いても手足が揃った死体を見ることはなかった。

 奏太が好きだった水田の風景も、磔にされた人間の見本市に変わっていた。

 帰り道は地獄が現界したような惨状が続いている。奏太は考えずにはいられなかった。一体なぜ? 何のために? 何が楽しくてこんなことをするのか? ホウヤがここまでするとは思えなかった。

「わからない……」

 奏太がひとり呟く。

「大丈夫。奏太くんは大丈夫。私がいるから。早く行こう?」

「令嬢」の歩みは速くなる。彼女は今までに見ないほど活気に満ちていた。

 時折、バイクの音が聞こえてくる。

「奏太くん」

 弾んだ声で「令嬢」は名前を呼んだ。

「なんだよ……」

「私の名前教えておくね」

「令嬢」は奏太に向き直って言った。

「星基戻夢れむ。これが私の名前」

「ほしきれむ……。どうして今になって?」

 奏太は問いかけた。「令嬢」は口角をあげた。

「一緒に来てほしいから。私とサンボボたちで苦しい生から抜けてほしいの」

 夜見坂を歩き始める。ずっと歩き詰めだったせいか急勾配が足にきた。その時、再びバイクの音が聞こえた。

 どっどっどっどどどどどどど……

 エンジンをふかす音が鼓膜を震わせる。先ほどよりも近い。それは坂の上から聞こえてきた。

 ゔっゔん、ゔっゔん、ゔっゔん

 生き地獄に轟くエンジンの唸り声。

 夜見坂を奏太が見上げる。空の赤さを背景に異形の影が這っていた。バイクに乗った影だ。影は異様な容姿だった。等身が高く、昆虫のような腕の細さ、黒く長い髪をバイクに垂らしている。奏太の背中が粟立つのを感じた。異形が奏太たちに気づいた。両腕を掲げる。何か手に持っていた。黒い塊がふたつある。

「ママとパパだ」

「令嬢」がそう言った。異形の持つものが生首だと分かった。

 異形がふたつに増えた。首から下はスーツで紳士にも見えた。だが、カブトムシの幼虫を何倍にも大きくしたような頭が乗っている。額の宝石が煌めく。

 じゃりん じゃりん

 異形が三つに増えた。

「あああ……あああ……」

 サンボボが坂に!

 最後に現れた鎖を持った影を奏太は知っていた。朧げに見える仏の顔。右腕を引きちぎられた痛みを忘れるはずがなかった。異形たちが伯希町を悪夢に落とした元凶と瞬時に分かった。

「奏太くん。私は昔から夢の中で殺され続けてた。はじめは痛かったけど気づいた。目が覚めたら何も怖くなくなってたことにね」

 「令嬢」の弾んだ声は奏太の耳には聞こえていなかった。聞こえて来るのは、バイクのエンジンの音と、鎖が地面に擦れる不快な金属音だった。

「奏太くん。夢で殺されるのは予習なの。人が苦しいのはね、想像以上の痛みを受ける時だけなんだよ。あっちで苦しめば現実の痛みはその模倣でしかなくなる」

 エンジンの回転数があがる。影が一斉に坂を下り、奏太たちに突進する。真ん中の異形、仏像の顔を持つ化け物は鎖を地面に引きずりながらこちらを見た。轢き殺す。それとも、捕まえて街の人間のように玩具にするのだろうか。数秒後の自分はどちらなのだろう。そう考えていたときだった。

「奏太ァッ!」

 背後から聞き慣れた声が聞こえた。

「頭ァ下げろッ!」

 咄嗟に身を屈める。消火器が頭の上を通り過ぎる。奏太が振り向くと猟銃を構えるホウヤが立っていた。引き金をひく。発泡音の後に轟音が耳を聾する。赤と白の激しい光がバイクを包む。消火器が爆発した。中には爆薬が仕込まれていた。

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