第23話

 電車は奏太たちを運んでいく。

「この時期になるとさ、じいちゃんとかぼちゃを取ってた」

「たくさん出来るの?」

「すごい。帰りにカボチャを積むと車がいつもより遅く感じるんだ。煮付けにしたり、カレーに入れても美味しかった。じいちゃんはよくクッキーにしてくれてさ……」

 ホウヤから離れたことで、以前の思い出が蘇った。以前は他愛のないことだと思っていたが、ホウヤとの思い出はどれも大切なものだった。

「他には何かあった?」

「あとは……」

「令嬢」は奏太の言葉に耳を傾けていた。収穫のこと、小さいころ巳月公園に行ったこと、初めて会ったときのこと、手繰り寄せるように話した。

「じいちゃんさ、蜂の巣とかも平気で素手で触るんだ。危ないって言ってんのにさ。でも、全然刺されないんだ」

「刺さない蜂なんだよ」

「俺が触ったら一発で刺されたよ」

 またふたりで笑った。その間も列車は二人を運んでいく。景色が移り変わる。奏太は恐怖の記憶が和らぐのがわかった。

 いくつ駅に停まっただろう。隣を見ると、「令嬢」は寝息を立てていた。奏太は彼女を見つめる。埃で服が汚れている。髪を留めるゴムも切れてしまっていた。今はストレートの髪を肩に落としている。涙袋のラメ、瞼のアイシャドウが取れかけていた。不完全な彼女の姿を奏太も愛らしく感じた。


「次は、終点。イメイ、イメイです。お出口は左側」

 車内アナウンスで奏太は目覚めた。疲労でいつの間にか眠ってしまっていた。

 窓を見ると湖が見えていた。全く知らない土地だ。乗客は疎らだった。奏太が座る席は車両の真ん中のドアに近い場所だ。そこから見渡しても五人ほどしか乗っていなかった。

 奏太は肩に重みを感じた。隣で「令嬢」が眠っている。よほど疲れていたのだろう。電車が完全に止まるまではそのままにしておこうと奏太は思った。

 電車が速度を落とす。ゆっくりと景色が流れて駅名が「韋目生」と書くのだと分かった。

「ご乗車いただきありがとうございました。終点、韋目生です」

 列車が完全に止まり、アナウンスの後にドアが開く。「令嬢」の肩を揺らした。

「……?」

 まだ寝ぼけていそうな彼女を立ち上がらせ、降車する。

 一体どれほど遠くまで来てしまったのだろう。空は青く、まだ明るい。駅の時計を見ると午後1時を示していた。伯希町を出てから4時間ほどたっていた。奏太たちはホームの階段を上がっていく。

「そういえば、いくら持ってたっけ?」

 改札口を抜ける前に「令嬢」が聞いた。ポケットを探したが、一円もなかった。

「ゼロだ」

 乗車券は降りた駅で自分がどこから乗ったか証明するためのものだ。降りた駅で乗車賃を支払わなければならなかった。

「そっちは?」

「私も」

 完全なキセル乗車だ。ホウヤから逃げていて今まで気がつかなかった。

「君たち」

 狼狽えていると駅員が奏太たちに話しかけてきた。

「その格好はどうしたんだ」

 奏太は擦り切れたTシャツにスウェットパンツだった。どちらも長い監禁で薄汚れており、血のシミがついていた。「令嬢」は薄いピンクのドレスだったが、同じように血で汚れている。二人とも裸足だった。駅員がふたりを不審に思っても無理なかった。

「ちょっと話聞いてもいいかい」

 奏太たちは事務室に通された。昼休憩をとってる駅員が数人いた。奏太たちをちらちらと見ている。書類が山積みになっている机を通り過ぎて空いている机に案内した。

 駅員が対面に座る。きっとこの駅でもベテランなのだろう。歳は60は超えていた。目尻に皺があり、痩せ気味の老人だった。変わってしまう前のホウヤに似ていた。

「駅はどこからだい」

「伯希町です」

「伯希? 随分と遠いな。乗車賃はバカにならないぞ」

「それが……」

 奏太は事情を説明した。

「……祖父から逃げて来て財布を持ってくる時間が無かったのか。なるほどな」

「信じてください」

 しばらく腕を組み、駅員は言った。

「帰りの切符はいいからこのまま帰りなさい」

「そんな!」

「君。無理があるってもんだよ。いくら中学生とはいえ、こっちもタダでやってるんじゃないんだ」

 奏太は「令嬢」を見る。彼女は押し黙ったままだった。

「それに連れの女の子も誘拐と変わらんじゃないか。大事になる前に帰りなさい」

 そう言って駅員は席を立った。5分たっても戻らなかった。奏太は逃げるタイミングを窺う。このまま戻されてしまえばここまで来た意味がない。

「令嬢」に目配せをする。彼女は首を振った。

「大丈夫」と小さな声で言った。

 駅員がしばらくして切符を持ってきた。切符は四枚あった。先に目に入った二枚には伯希町行きとあった。もう二枚の切符には別の駅名が書かれていた。

「何も食ってないんだろう」

 切符とともに、おにぎりとペットボトルのお茶が添えてあった。奏太が駅員の顔を見上げる。

「逃げるか帰るかは君に任せる」

「どうして……?」

「そんなボロボロの服だったら何が起こったかは想像がつく。私としては駅を出て警察に駆け込んでほしいがな」

 駅員にも子供がいたのかもしれない。ただの気まぐれなのかもしれない。だが、選択肢と食事を与えてくれたことは本当だった。

「ゆっくり食べなさい」

 奏太はおにぎりをかじった。塩気と米の甘みで唾液があふれた。コンビニのおにぎりがこんなに美味しく感じたのは初めてだった。ゆっくり味わって食べようとしたが無理だった。飲み込むように一個食べてしまった。

 まだ「令嬢」は包装を剥がしかけている途中だった。

 ゆっくりと彼女は食べ始める。奏太はその様子を隣で眺めていた。

「電車はいつです?」

「あと30分くらいだよ」

 奏太は考えたが、このまま逃げるのが良いように思った。ここまで来てどうして伯希に戻る必要があるんだ? 

「何を失うかの話だよ」

 彼女はおにぎりを咀嚼しながら言った。

「奏太くんが町から消えればホウヤさんを失う。町に帰れば自分の命を失う」

「そんなの消える方がいいじゃんか」

「奏太くんがそう思うならそうすればいい。奏太くんがしたい方に私は行くよ」

 二種類の切符を交互に見る。伯希町にホウヤを置いていく。このまま町から出ていけば会わずに済むだろう。殴られもしない。

 変わる前のホウヤを思い出す。悪夢を見たときの奏太を宥めてくれたのはホウヤだった。公園で遊ぶ奏太を見守る姿。好きで作ってくれていたミネストローネの味。それらが一人ぼっちだった奏太の心を温めてくれた。打身で体が痛んだ。全て暴力に塗りつぶされてしまった。もう一度あの頃に戻れるのか。

「……じいちゃんから目をそらしたことになる」

 奏太は呟いた。

 自分の中でひっかかること。初めて「令嬢」を公園で見た時、ただ見ているだけだった。お化けホテルで菊池梨香が暴走した時も殺されないようにするだけで何も出来なかった。では、今回は? 奏太の前に大きな二叉路が横たわる。

「……行こう」

「令嬢」を連れて事務室を出た。ホームで電車を待つ。電車の到着まであと10分ほどだった。

 さっきの駅員がやってきた。手にはビニール袋を持っていた。中を見るとレモンサイダーが二本入っていた。

「いいですって」

「持っていきなさい。君らくらいの歳の子がそんな格好をしてるとほっとけないんだ。老人のお節介だと思ってくれ」

 奏太に袋を手渡し、駅員はホームを後にした。振り返る寸前、ジャケットから携帯電話のストラップが見えた。水色のペンギンのマスコットキャラクターだった。奏太は駅員の後ろ姿を見送った。

 5分ほどして、電車が到着する。

「本当にいいの?」

「令嬢」が奏太の顔を覗く。

「いい。これでいいんだ」

 奏太は切符を握る。行き先は伯希町だ。

 電車のドアが開く。奏太は息を大きく吸い、乗車した。ホウヤを元に戻すためなら後悔はなかった。


 電車は走り出す。疲れは感じなかった。景色が流れるのが早い。

「ホウヤさんに会ってさ。どうやって戻すの」

「令嬢」が隣席の奏太の顔を見る。

「さあ、わからない。まずは会ってみないと」

「また殴られるかもしれないのに?」

「大丈夫。俺も強くなったから。じいちゃんにここ一ヶ月ずっとボコボコにされてたんだ」

「なんか嬉しそう」

 少しだけ誇らしい気持ちになっていた。自分でも不思議だった。あれほど地獄のような日々だったのに。呑気な自分に呆れた。

「きっと痛みで奏太くんは成長出来たんだよ」

「そんなわけない」

「あるよ」

「令嬢」は言い切った。

「私もそうだから」

「令嬢」は真っ直ぐ奏太を見て言った。一瞬、初めて「令嬢」を見たときのような冷たさを感じた。奏太はレモンサイダーを傾けた。しばらく沈黙が続いた。

 駅を通り過ぎる。日が落ちつつあった。その日の夕暮れはひどく赤かった。郵便ポストのような赤が、遠く山の端まで続く。そこに雲の影が擦過傷のように細い線を作り出している。奏太は不安を覚えた。

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