君が百回目の死を迎えた日から、俺の青春は始まった

明石龍之介

約束は守る方だから

「またね、悠馬君」


 口元に耳を近づけないと聞き取れないほどの小さな声で、里美はそう言って。

 そっと、目を閉じた。


 六月二十五日。

 外は雨が降りしきる。

 そんな悪天候の日の夕方に俺の彼女は、病室のベッドでそっと息を引き取った。


「……もう、本当にお別れなんだ」


 俺は、最愛の人の死を見届けたというのに涙一つ出なかった。

 そんなものはもう、とっくの昔に枯れ果てていた。


 いつ、なんて言われても思い出せないけど。

 日付は多分、六月の二十五日。

 今日といえば、今日だ。


「……天気も、変わらないんだな」


 この世で唯一、愛した女の子。

 遠山里美。

 華奢で、つんとした目が少し怖いけど笑うと目じりにしわが寄って、自慢の八重歯がかわいらしい口元からひょっこり覗く、同い年の女の子。


 高校に入学したときに偶然同じクラスになって、隣の席になったことがきっかけで知り合った彼女と、俺はすぐに意気投合した。


 趣味、なんてものは特にない者同士だったけど。

 妙に会話が盛り上がった。

 何で俺なんかと仲良くしてくれるんだって聞いたら、「ピンとくる時ってあるじゃん」とか。

 そのインスピレーションは俺にも働いたのか、知り合って三日目にはもう、俺たちは付き合っていた。

 お互い、友人がいないというのも大きかった。

 そして、手探りで互いのことを知ろうと色んなことを打ち明けていく中で、俺はやっぱり彼女が好きだと、そう思わされた。


 俺の不思議な話を彼女は信じてくれたから。

 バカにしなかったから。




「俺、ちょっとだけ時間が戻せるんだ」


 こんな話は、小学校の頃に何度かしたあとは、一度も誰にも話していなかった。

 理由はもちろん、自分の奇怪な力を隠すため。

 頭がおかしいやつだって思われるから。

 ていうか思われた。

 小学校、中学校ではずいぶんといじめられたものだ。

 それでも高校は頑張って進学校に進んだため、頭の悪い連中が多かった俺をいじめてた連中とはおさらばできたわけだけど。

 

 でも、事実なのだ。

 俺は半日だけ、時間を戻すことができる。

 生まれつきかどうか、いつからできるかも知らない。

 強く念じれば、時間が戻る。

 たった半日。十二時間だけ。

 制限は他にもあって。

 一度使ったら十二時間以上経たないと時間は戻せない。


 つまり、俺は今から半日より以前には決して戻れないということ。


 そういう意味では、時間の流れという感覚は人と同じようにある。

 時間を戻した回数だけ、人より少し人生が長く感じる。

 ただ、それだけの力。

 でも、その力のせいで俺は、やっぱり人と同じ時の歩みを踏めない人生だと感じてきた。

 もちろん力を使わなければそれでいいんだけど。

 嫌なことがあったり、休みの日が明ける前なんかにはよく使ってしまって。

 どこか人と違う時間を歩んでいるような感覚のまま、生きてきた。

 

 そんな話を、お互い悩みがあるかって話題で盛り上がってる時にふと、彼女にはしてもいいのかなって気持ちになって。


 春の日差しが暖かい四月の末に俺は、学校の中庭で一緒にお弁当を食べながら彼女に話した。


「それが悠馬君の悩み? どうして?」

「い、いやその前に信じてくれるの?」

「もちろんだよ。悠馬君って嘘つくの下手そうだし。それに、だから大人っぽく見えるんだ」

「ま、まあそうかもね。でも、気持ち悪くない?」

「なんで? すごいじゃんそれ。でも、私といたらもう、使う必要ないよね」


 彼女は簡単そうに言った。

 自信ありげに、ともいえる感じだった。

 たった一言で、これまでの俺の苦悩を全て汲み取ってくれたような気にさえ、させてくれた。


「そうだね。里美といる時間が楽しすぎて、早く明日になってほしいもん。明日の里美はどんな里美かなって、毎日楽しみだから」

「なにそれ。私は明日も私だよ。百年後だって多分、私は私。変わらないよ、きっと」

「そうだね。ずっと、一緒がいい」

「それって、このままの私がいいってこと? それとも、ずっと二人でいたいってこと?」

「どっちもだよ。里美が変わらずそばで笑ってくれる、それが俺の願いだから」


 そんな話をしたこの日の放課後には初めて彼女とキスをした。

 少し甘い味だった。

 帰り道で買った、飴の味がした。



「ねえ、私がもし死んだらどうする?」


 そんな話を里美がしてきたのは、ゴールデンウィーク真っ只中の五月三日。


「何縁起でもないこと言ってんだよ。そうなったら時間巻き戻して里美を助ける」

「でも、病気だったら?」

「……病気なの?」


 いかに察しの悪い俺でも、彼女が何か言いたそうなことくらいは理解できた。


 聞き返すと、彼女は小さく頷いてから「もうすぐ私、死んじゃうみたい」と。


 その言葉に、俺は震えた。

 そのあと、何を言ってどこに行っていつ彼女と別れたのかも、未だに思い出せないほど。


 動揺なんてものじゃなかった。

 絶望しか、なかった。



「ねえ、私が死んでも時間を巻き戻したりしないでね」


 六月に入った時、彼女は入院した。

 学校の近くの病院だった。

 親はいないと、その時初めて彼女がそう打ち明けてくれた。


 両親に捨てられて、今は知り合いの人の家に居候しているという。

 

「嫌だ。里美が死んだら俺、絶対時間巻き戻す。里美が助かる未来に辿り着くまで何度だって」

「それは無理だよ。私たちは、同じ時は歩めない。それに、ずっと恋人の死ぬところを見るなんて、辛いよそんなの。私は、前の時間で悠馬君と話したことも覚えてないんでしょ?」

「それでも……俺は里美とずっと一緒だ。たとえ無限に同じ時間を繰り返したって、君と離れない」


 そんな覚悟は、多分なかった。

 ただ、目の前の現実から逃げたいだけの強がりだと、わかっていた。

 だけど。


「本当に? 私と、永遠に一緒にいてくれる?」

 

 彼女にそう聞かれて初めて、自分の中の何かが弾けた。


 きっと、覚悟が決まる瞬間ってのはああいう感じなんだろう。


「うん。だから俺は、君を死なせない」


 そう誓って、病室でキスをした。

 外は土砂降りの雨だった。



「私が死んでも、時間は巻き戻さなくていいから」


 六月二十五日。

 彼女は小さな声でそう言った。


 入院した日に交わした約束なんて、もう忘れてしまったのかと言いたかったけど。

 痩せこけて、フラフラになった彼女を責めることは俺にはできなかった。


「……わかった。でも、俺はずっと君と一緒だから」

「うん。じゃあまたね、悠馬君」


 そう言い残して、彼女は目を閉じた。

 そっと、息を引き取った。


「……ごめん里美。俺、やっぱり君と離れたくない」


 涙で目の前がぐしゃぐしゃだった。

 目を閉じて、まだ彼女がいた時間を思い描いた。


 フワッと、体が宙に浮いたような感覚が一瞬だけ俺を包んだあと。


 目を開けるとやっぱりそこは、病室だった。

 

「悠馬君。どうしたの?」


 でも、そこには目を開けた里美の姿があった。

 まだ意識がはっきりしたままの彼女が、いた。

 

 時間が、戻ったようだ。


「ううん、なんでもない。顔色がいいね、今日は」

「そうかな? ねえ、手、出して」

「う、うん」


 時間が戻る前と同じ表情で、同じような話を彼女がすると、俺はこの時間遡行がどれほど無駄なものなのかを思い知る。


 未来は、変わらない。

 それは、昔何度も試したことがあったので知っていた。


 競馬の結果を知ってから馬券を購入しようとしても、何故か馬券売り場に行く前に交通機関が止まったり、ネットで購入しようとしても通信エラーが起きた。

 テストの答案を知ってからテストに臨もうとしても、過去に自分がとれた点数まで記入したところで死ぬほど腹痛に襲われて同じ結果になる。


 ズルはできないことを、俺は知っている。

 今から半日後に里美が死ぬこともまた、俺は知っている。


 そして、


「んっ。悠馬君の腕、逞しい」


 彼女が、俺の差し出した手をカプリと噛むこともまた、知っていた。


 アマガミで、歯形をつけた理由も、これからしゃべってくれる。


「マーキングしちゃった。女の子の歯形がついてる男には、他の女子が寄ってこないもんね」


 そう言って、ヘラッと笑う。

 弱々しいのに、眩しい笑顔だ。


「くすぐったいよ。それに、俺は浮気なんかしない」

「知ってる。私がさせないから」

「ああ、そうだね。ずっと一緒、だもんな」

「うん、ずっと一緒」


 そんな話をした後、彼女は一度眠りにつく。


 そして、彼女の寝顔を見守りながら時間だけが過ぎて行って。


「そろそろ、時間が来たみたい」


 彼女が目を覚ましたあと、しばらく話をしている途中で、急にそう言ってから弱々しく俺の手を握る。


 そして、前回と同じお別れの言葉を言い終えたあと、里美はそっと目を閉じた。



「ねえ、悠馬君は学校行かなくていいの? 両親は何も言わないの?」


 そんなことを聞かれたのは四回目の時だったか。

 

「実はうちも、家に誰もいないんだ」


 身寄りがないわけではないけど。

 複雑な家庭環境ってやつではあった。

 両親は離婚して、母に引き取られたのだけど母は毎日仕事を終えると飲みに出かけていなくなり。

 彼氏ができたらそいつを家に連れてきて俺を邪魔者扱い。

 居場所がないのだ。

 俺の居場所は、ここなんだ。


「だからいいんだ。俺は里美と一緒にいられたらそれでいい」

「うん。じゃあ、お互いひとりぼっちだね」

「里美は知り合いの人と住んでるんだろ? だったらその人が親みたいなもんじゃないか」

「ううん、違うの。ただ、家を借りてるだけ。身内でも、仲のいい人でもない。だからお見舞いにだって来ないし」

「……複雑なんだな、そっちも」

「お互い様だよ。ねっ、元気になったら何する? 私と、一緒に家でも借りて同棲とか」

「いいねそれ。じゃあ、いっぱいバイトしないとな」

「だね」


 そんな話をするほどに、俺は未来へ進みたくなってしまう。


 でも、その先に彼女はいない。

 だから俺は進めない。


 何度も、不毛な時間を繰り返す。



「ねえ、私に隠してタイムリープしてない?」


 もう、何十回か同じ時間を繰り返したって時に彼女にそう聞かれた。


 だけど俺は、


「そんなわけないだろ。俺は約束は守る方だ」


 嘘をついた。

 彼女には時間が巻き戻る前の記憶がないのだからいくらでも嘘はいえるけど。

 亡くなる前の人に嘘をつくのはちょっと心苦しかった。


「ふーん。じゃあ、もし嘘ついてたらどうする?」

「なんでも言うこと聞くよ」

「んー、それじゃ私をお嫁さんにしてくれるとか」

「それは嘘ついてなくてもそうしたいから」

「そんなのつまんない。ねっ、もし悠馬君が嘘ついてたら私と結婚して。約束だよ? 約束、守る方なんでしょ?」

「……うん。いいよ、約束する」

「あと、嘘一個につきお願い一つ。わかった?」

「いいよ。嘘ついたら俺はいくらでも里美の言うこと聞いてやる」


 そんな約束が果たされるのであれば、俺は嘘つきでもなんでもいい。

 誰に罵られたっていい。


 もう、何が嘘なのかもわからないけど。



 五十回以上ループした後、何度かは病室を飛び出して彼女の死を見ないことがあった。


 俺が行動を変えれば結果が、未来が変わるかもしれないからと。

 しかし何も変わらなかった。

 結局嫌なことから目を逸らしただけで。

 すぐに病気の先生から電話がくると、俺は時間を巻き戻した。


 そして、彼女のために何かできることはないかと、必死に考えた。

 たった半日という時間の中で、彼女に何をしてあげられるのか。

 考えるほどに、どうして彼女と知り合ってからの時間をもっと有意義に使えなかったのかという後悔や、もっと早く彼女と知り合いたかったっていう無い物ねだりに心を乱された。

 

 なんで、死ぬのが彼女なのかとも。

 彼女以外の他の誰かが死ねばいいのにって、思ってはいけないことも何度も想像した。


 代わりに俺が死ぬから許してくれないかなって願ったりもしたけど。


 そんな願いが、誰かに届くことも叶えられるはずもなかった。



「ねえ、悠馬君私に嘘ついてるでしょ」


 実に九十八回、死を見届けてきた里美が俺にそんなことを言う。


「なんでだよ。俺は別に」

「嘘。ねえ、いつまでここに留まるつもり?」

「え……里美、記憶があるの?」

「あ、ほらやっぱりタイムリープしてたんだ」

「あ」

「ふふっ、やっぱり嘘つくの下手だね、悠馬君って。でも、私にタイムリープする前の記憶が全部残っていたら余計に思うよ。ずっとここに留まっていてもいいことなんて何もない」

「嫌だよ。俺は……里美を失いたくない」

「悠馬君の青春はこれからだよ。それに、私だって」

「でも」

「生まれ変わっても私、絶対悠馬君と一緒になる。最も、悠馬君がよければだけど」

「そ、そんなの俺も同じ気持ちに決まってるよ! 里美が生まれ変わったら絶対、俺がお嫁さんにする」

「うん。だからね、生まれ変わらせて。ごめんね、こんなことしか言えなくて。でも、私も約束は守る方だから」

「……そうだね。俺も、覚悟を決めるよ」


 しかし最後にもう一度だけ。

 これで最後だと心に決めて、ゆっくり話をしたいから。


 九十九回目の彼女の死を見届けた後で俺は、目を閉じた。



「ねえ、私が死んでも時間を戻さないでね」


 ちょうど百回目のループの時にも、彼女はいつもと同じように俺に言った。



「……わかったよ。俺、時間は戻さない」

「うん、約束。あと、手出して」

「うん」


 スッと腕を出すと、彼女がカプリと俺に噛み付いた。


 そして、この時ばかりはいつもより強く、俺を噛んだ。


「いてっ」

「ふふっ、跡がついちゃった。私、浮気とか許さないから」

「わかってるよ」

「ねえ、そういえば悠馬君に私の悩み、言ってなかったね」

「いいよ、言いたくない話なら。里美が言いたくなるまで聞かないよ」

「自分は私に話してくれたのに?」

「あれは……なんか、里美ならいいかなって思ったんだよ」

「うん、知ってる。でも、私はまだ、話せないの。ちゃんと、改めて話すつもりなんだけど」

「いいよ、無理しなくて」


 もうすぐ彼女は死ぬ。

 そんな死の間際でも言えない話なんて、きっと死んでも言いたくないことなんだろう。

 それを今更掘り下げようとするなんてこと、できない。


 彼女の全てを知らないうちに彼女と死に別れるのは悔しいと思うけど。


 もう、俺は先に進むって決めたんだ。


 里美と話して。

 何度も何度も話して。

 数えきれないほど泣いて。

 覚えきれないほど笑って。

 

 ようやく、進む勇気が持てたんだから。

 俺は……


「悠馬君。約束覚えてる?」

「え? ええと、時間を戻さないって話?」

「それもそう。だけど、そうじゃなくって。ずっと、永遠に私と一緒にいてくれるんだよね?」

「ああ、それはもちろんだよ。俺は、永遠に里美と一緒だ」

「うん。そろそろ、時間かな」


 ぽそりと。

 つぶやいた里美の瞼がゆっくり落ちていく。


 そして、


「またね、悠馬君」


 そう言って、静かに目を閉じた。


 俺は、彼女の綺麗なままの顔を見ても、もう涙は出なかった。


「……もう、本当にお別れなんだ」

 

 戻りたいとは、思わなかった。

 これから半日経てばもう、二度と彼女と会えないという不安や後悔に押しつぶされそうになったけど。


 俺はもう、時を遡ろうなんて、考えない。

 

「約束は守る方、だもんな」


 最後にそう、語りかけて。


 病院の先生に連れられて俺は、病室を出た。


 そして、時が動き始めた。



「悠馬君って、影があってミステリアスだよねー。結構女子の中では評判なんだよ。なんで彼女作らないの?」

「ははっ、悠馬って案外モテるよなあ。一回しかない青春なんだから、彼女くらい作ればいいのに」

「うるさいなお前ら。弁当くらい黙って食えよ」


 高校一年の冬。

 俺は、里美と通っていた学校を転校して地元から少し離れた学校に通っている。


 同情されたくなかった、というのもあるけど。

 あの学校にいると、いつまでも里美のことが忘れられなかったから。

 いや、忘れることなんてありえないんだけど。

 もしかしたら彼女に会えるかもって、そんな無駄な期待を持ってしまって、学校に着いて落胆して死にたくなるという日々の繰り返しに疲れたからである。


 結局俺は弱いままだ。

 長い時間、里美と過ごしたあの時間は俺だけしか覚えていないし。

 繰り返した過去も、思い出とも言えない。

 だって、里美は覚えていないんだから。

 あれが並行世界なのか、時間が逆戻りしてるものなのかもわからないけど。

 少なくともこの時間で亡くなった里美は、繰り返しの中で俺と語らった時間を覚えてはいないまま死んだ。

 

 俺は、結局どれだけ時間をもらっても大して成長できない。

 人より時間があるからって思うからこそ、なのかもしれない。

 

 だけど、転校した先にも優しい連中はいて。

 最近は少しずつだけど、前に進めている気がする。


 昼休みに弁当を食べてくれる友人がいる。

 それだけでも、幸せなことだ。


「悠馬は相変わらずクールだねえ。ていうか、冬休みは地元に帰らないのか?」

「……さあな」

「なんだよ、帰りにくいのか?」

「別に。まあ、考えてみるよ」

「悠馬君、それより明日は三人でカラオケ行こうよ。私、悠馬君の歌聞いてみたいし」

「……それも考えてみる」


 転校初日から、やたらと俺に構ってくれる二人。

 進藤明と、宮内まり。

 よく喋る二人は、しかしどうして俺なんかに構うのだろうといつも不思議に思うんだけど。


 聞けば、「ピンときたから」と、二人が口を揃えて言った。

 その言葉がやけに懐かしく感じた。

 だからこの二人のことは、なぜか憎めなかった。



「んじゃ、また明日な悠馬」

「またね悠馬君。明日の件、考えといてね」

「ああ、また」


 今日は冬休み途中の補習の日だったこともあり、お昼で学校は終わった。


 進藤たちと別れたあと、俺はいつもなら近くに借りているアパートへそのまま帰るのだけど、昼休みに進藤に言われたことを思い出して、足が自然と駅の方へ向いた。


 この日はやけに風が強かったけど、どうしてか家に帰る気にはなれなかった。


 別に世間がクリスマスで浮かれているからとか、そんな理由ではなく。


 今日は里美の月命日。

 それに、俺は彼女が亡くなってから一度も、月命日に何もしていない。


 勝手に言い訳ばかり並べて、避けていた。

 約束、守ってくれなかったじゃんかって。


 生まれ変わって、俺のお嫁さんになる話は嘘だったのかよって。

 

 勝手に里美を心の中で責め続けていたことはわかっていた。

 だけど、半年も経って少し落ち着いた今になって、それがどれだけ愚かなことかわかってきた。


 里美のことも、ちゃんとおしまいにしないと。

 彼女が望むように、俺は先には進めない。

 そして、彼女だって。

 こんなオカルトを本気で語りたくないけど、俺が未練を残したままだと、彼女も成仏できず、生まれ変わりもできないかもしれない。


 ちゃんと前に進まないと。


「……でも、一番の思い出の場所が病室ってのも、なあ」


 百回も同じ時を繰り返す中で、俺はずっと彼女と病室にいた。


 もちろんあの個室は今、他の誰かが使用しているだろうし、思い出の場所と呼ぶにはおかしな話だけど。


 もう一度、あの場所に行きたい。

 そうすれば、薄れかけた記憶の中の彼女の笑顔が鮮明に甦る気がして。

 遠くなる彼女の声が聞こえる気がして。

 そして、そんな幻想とも、きっちりお別れできる気がして。


 まだゆっくりとしか流れない俺の時間を進めるために。

 病院へ向かった。



「ここ、か」


 病院へついて、事情を説明したら当時を覚えていた担当医の先生が快く個室への入室を許可してくれた。


 幸い、今は患者さんはいないそうで。

 そういうタイミングのよさはもしかしたら里美がもたらせてくれたのかなとか。


 ただの病院の一室なのに、ちょっとだけ懐かしい気分になりながら扉をあけた。



 目の前には、ベッドが一つだけ。

 部屋の真ん中に、ポツンと寂しくあるだけのそれはあの頃と一切場所が変わっていない。


 白いカーテンも。

 古いテレビも。

 それに。


「もう、遅かったわね」


 それに、ベッドで体を起こして俺を見る彼女も……。


「……え?」


 思わず目を擦った。

 そして、時計を見た。

 目を、泳がせた。

 自分の目を疑った。

 耳を疑った。

 無意識にタイムリープしたんじゃないかと、自分自身を疑った。


「あ、あれ……」

「なに? 半年経ったら私の顔なんて忘れた?」

「う、うそだ……」


 そこに、里美がいた。

 幻のはずなのに、何度目を擦っても消えない。

 幻聴のはずなのに、はっきりと懐かしい声が俺に届く。

 死んだはず、なのに。

 彼女がそこに、いる。


「嘘つきは悠馬君でしょ。ほんと、生まれ変わったらお嫁さんにしてくれるっていったのに、全然迎えにこないんだから」

「な、なん、で……」

「ごめんなさい、私もあなたに内緒にしてた話があるの。私、吸血鬼だから」

「きゅう、けつ、き?」

「悠馬君の血、吸ったの。だから私、死んだ後に蘇ったんだ」

「血を……え、ど、どういう、こと?」

「ふふっ、驚くよね普通。吸血鬼はね、成人になる前に一度死んじゃうの。ただ、死ぬ前に誰かの血を吸えば本当の吸血鬼になれて、晴れて不死の体で復活できる。でも、血を吸った人は、眷属になってしまって、私と同じ時の迷宮に落ちてしまう。だから最初は、このまま誰の血も飲まずに死のうかなって思ってた」

「な、なんの、話だ?」

「でも、私と永遠を生きてくれるって言ってくれたから。ごめんね、勝手に血をもらっちゃった」

「……なんで?」

「だ、だって悠馬君が私とずっと一緒だって」

「そうじゃない! なんで死なないなら死なないって、そう言わなかったんだよ! 俺、里美が吸血鬼だろうがなんだろうが、そんなことどうだって」

「一度死んだよ。でも、内緒にしててごめんなさい。悠馬君が吸血鬼になる前に秘密がバレると、眷属づくりに失敗しちゃうらしいの。それとね、何度も同じ時間を繰り返させてごめん。私、悠馬君を試してたんだと思う」

「試してた?」

「私と一緒に吸血鬼になるっていうのは、たぶんあの病室でずっと同じ時間を繰り返してた感覚に似てると思う。いつまでも歳を取らず、人と同じ時は歩めない。ずっと、私と一緒。それが嫌にならないのかなって。だけど悠馬君は嫌にならなかった」

「……覚えてるのか?」

「正確には、悠馬君の記憶を覗いただけ。眷属とは、記憶も共有できるの。だから、浮気してもすぐばれちゃうよ」

「は、はは……なんだよそれ」

「ねえ、それより約束、覚えてる?」

「……いっぱいしたから、どれかわかんない」

「もう。嘘一回につき、お願い一つだよ」

「ああ、そんな話したっけ。で、何してほしい?」

「まずは結婚。でも、それ以上はいらないかな」

「なんだそれ。じゃあ一個でいいじゃんか」

「ダメ。私たち、これから何百年生きるかもわからないし。そうだ、百回、結婚してくれる?」

「なにそれ。百年ごとに一回結婚式とか?」

「うん、いいねそれ。じゃあ、約束」

「一万年、か。そんなに生きたら、どうなるんだろ」

「わかんない。でも、ずっと同じ景色を見ていられる。素敵じゃん、それって」


 と、里美が笑う。

 ふと、疑問が浮かぶ。


「ねえ、そういえばどうして生き返ってもここにいるの?」

「だって、悠馬君が迎えにくるならここかなって。だから病院に無理言っていさせてもらったの」

「探しにくれば……ていうか連絡してよ」

「そんなのつまんない。やっぱり私、悠馬君を試してばっかだから」

「信用ないんだな」

「悠馬君こそ。私が時間を戻さないでって言っても、何回も戻したくせに」

「だってそれは……いや、お互い様か。お互いのこと、全然知らないもんな」

「ううん、あれだけいっぱい話せたから、いっぱい悠馬君のこと知ることができたよ。いつも私のために悲しんでくれてありがと。それに、ごめんね」

「いいよもう。それより、今日はクリスマスだね」

「ふふっ、クリスマスもあと何回一緒に過ごすのかな」

「死ぬまで、だよ。いや、死なないのか」

「じゃあ、ずっとだ」

「うん。ねえ、そういえば里美の悩みってなんだったの?」

「さあ。忘れちゃった」


 そう言って、彼女は笑った。

 晴れやかな、まぶしい笑顔だった。


「なあ、俺、友達できたんだ」

「うん、知ってる。女の子もいるでしょ。浮気はだめだから」

「しないって。そうだ、里美のことを二人に紹介したいんだけど、嫌かな?」

「吸血鬼の彼女です、って?」

「大好きな俺の彼女だよって」

「なにそれ、嬉しい」

「よかった。なあ、里美は何回目のループの時に、俺の血を吸ったの?」

「いつだと思う?」

「最後の時、かな。俺、腕痛かったし」

「ふふっ、どうかなあ。もしかしたら出会った日にもう、こっそり吸ってたかもよ」

「なんだよそれ。そんなに俺がよかったの?」

「悠馬君こそ、ずっと私と一緒なんて怖くない?」

「怖くない。君がいなくなることに比べれば」


 そっと、彼女の手をとった。

 ゆっくりと里美が立ち上がる。


「俺、今は二駅隣に住んでるんだ。帰ろ」

「じゃあ、アパートで同棲だ。バイトしないとだね」

「ああ。明日からは学校も、一緒に行こうよ」

「うん。ねっ、私も約束守る方でしょ」

「ああ。でも、嘘つきだ」

「ふふっ、それも一緒だね」

「だな」


 二人で並んで、病室を出た。

 今日から、いや、あの日から。

 俺の青春は始まった。

 

 fin


 

 

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