予約

 思い立ったが吉日。気持ちを固めてからの行動は早かった。メールはめんどくさいので、電話することにした。市外局番から始まるということは、固定電話を設置しているんだな。番号を押すと呼び出し音が続いた。

「プルルルル、プルルルル、、、、」

 規則的なプルルルルに、心臓も共鳴し始めた。ドッドッドッと耳の裏が熱くなってくる。左手が小刻みに震えているのは、アルコール生活のせいだけでないはずだ。ちょうど5回目のコール音が止む気配がした。

「はい、、、」

 少し怪訝そうな男性の声がした。思ったよりも若い。というか幼さを感じさせる声。

「もしもし?」

訝しげな様子だ。何か喋らなくては。

「あの、こんにちは、あ、ほりきよさんでしょうか」

「はい、彫り物ご希望の方でしょうか」

 こちらを伺うような、疑わしそうな声色は変わらない。早口で少し舌足らずっぽい。それで若く聞こえるのか。

「あ、はい、友人に教えてもらって、、、タトゥーを入れたくて」

「ああ、ご紹介ですね。図柄やデザインはお決まりでしょうか」

 声が少し柔らかくなった。丁寧な言葉遣いだ。やっぱり礼儀とかマナーには厳しい世界なのだろう。

「あの、何種類か候補があるんですけど、まだ決まってはなくて。ご相談に乗って頂けたりもするんでしょうか」

 薬と酒のせいで呂律が上手く回らないのを、何とか隠そうと必死で敬語を使った。脇の下がじんわりと湿ってきて気持ち悪い。そのくせ指先だけは妙に冷たい。

「では一度打ち合わせをいたしましょう。いつ頃がよろしいですか」

「え、その日に彫ってもらえるんですか。出来れば今日、明日にでもお願いしたいのですが」速る気持ちを抑えて言う。

「いやいや!即日というのはできませんよ。うちでは基本的に打ち合わせをした後、日取りを決めて施術、という行程で進めていきますので。打ち合わせの日はそうですね、もう1月中は埋まってしまっているので、来月の1週目なんてどうでしょう」

 それは困る。非常に困る。先延ばし過ぎだ。決心が鈍ってまた元の生活に戻るのは嫌だ。

「あの、どうしても明日までじゃないと休みが取れないんです。早く入れたいんですっ、、、」切羽詰まって思わず語気が強くなる。

 こちらの悲壮感と切迫感が伝わったのか、

「そうですね、うーん、、、では明日夜遅い時間ならどうでしょう。午後8時とか。そして明日彫りたいということでしたら、今日中に参考画像を送って頂けますか。絵を描きますので。」

「ありがとうございます、すぐに送ります!」

「はい、では後ほど」

 プッと電話が切れた。

 張り詰めていた糸が切れて、思わず伸びをした。錆びついた人生が少しだけ動き出した気がした。

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