決意

 何日か前に知り合いと飲んだときにもらったものだった。

「面白いオッチャンよ。俺のこと気に入ってくれとるみたいで、格安で彫ってくれる。」

 いとしゅんは、腕とかお腹とか所々にタトゥーを入れている。半袖の時期に腕のトライバル柄の紋様みたいなものを褒めたら、得意気だった。それから私がタトゥーに興味があると思ったらしく、数日前の忘年会でその彫師の名刺を渡してくれた。格安というのが、どの程度の金額のことを言うのか、そもそもの相場はいくらくらいなのか検討がつかなかったが、わざわざ具体的に聞くのも格好悪かったので「ふうん」と受け取ったのだ。

 両手でつまんで名刺をまじまじと眺めた。白色で少し光沢のある、ごくごく一般的な東京4号サイズ。ただ、そこに印刷されている字面は中々に威圧感がある。

「TATTOO LOVE」「下関文身愛好会」「刺青師」「彫清」

 アウトレイジでしかお目にかかったことのないワードばかりだ。ゴシック体の名前の下に、小さく住所が表記されている。

 タトゥーの「TTOO」ってTとOをふたつづつ重ねるなんて知らなかった。ちょっとポップな響きだ。

 「文身」。身体に文字を書くという意味からか。刺青という熟語はなぜかアオダイショウを連想させた。青違い。

 彫清というのはお店の名前なのかな。それとも個人の源氏名?やっぱり男性だよな。いとしゅんもオッチャンって言ってたし。

 色々と至らぬ想像を巡らせていると、寝起きの鬱屈とした気持ちが少しだけ薄くなった。


 ふと、アメリカで過ごした日々を思い出す。現地の人のタトゥーに憧れていた。シアトルから車で一時間、タコマという片田舎の街だったが、近所のウォルマートの店員やタコベルのウエイトレスは、カラフルな文字や動物を惜しげもなく二の腕に躍らせていた。通っていた大学の先生だって、休日のホームパーティーでは、開襟シャツの胸元から逞しいライオンを覗かせ鼻歌を唄っていた。ホストマザーは肩に可愛いキューピッドを腰掛けさせていた。シアトルの古着屋のパンクロックな姉ちゃんが、ふくらはぎに毒々しい蛇を這わせていたのもかっこよかったなぁ。

 みんな自由で瑞々しかった。

 

 西海岸地域ということもあってか、空は高く、作り物のようにどこまでも綺麗な水色が続いていた。海は常に深い藍色と緑青色に揺蕩たゆたい、水平線が驚くほどくっきりと見えた。薬に頼る日もあったが、それでも私を取り巻く世界は常に極彩色で、どんな時も輝いていた。


 ああ、あんなに毎日興奮してキラキラと世界を見ていた日だってあったのだ。灰色じゃない日々が私にもあったんだ。


 いつからこんな風になったんだっけ。なんで腐り始めたんだろう。どこで間違えたのかな。


 少し視線をずらすと、左手首の引き攣りが目に入った。3本の横線が固まりかけて、瘡蓋を作り始めている。

 肉体は生きようとしていた。


 どうせ傷跡をつけるなら、綺麗で可愛い方が良い。

 一度は手放そうとした身体だ。人生は死ぬまでの暇つぶしって、パスカルも言ってたじゃないか。


 何か変わるかもしれない。


 

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