第31話 犯人《後》⑤



「あれっ、なんでプレートが“不在”なの?…ゆめ~、授業抜けてきたよ~ん…って、めちゃくちゃ先生達居る!」


 いつも賑やかな生徒のたまり場が、大人達でギュウギュウになっている。一瞬入るのを躊躇うが、壁際でしゃがみ、手招きしているゆめに気付く。仮病で保健室に来たのがバレませんように…と祈りながら、愛美はコソコソとゆめに近付いた。


「何でこんなに先生達がいるの~?怖いんだけど~…」

「…うーん、説明が難しい…」

「ふ~ん?…あれっ、ゆめの隣に座ってるのって、おざ?」


 目を細めるゆめの隣。お手本のような綺麗な体育座りをし、膝に顔を埋める大きな男。惜しみなくこちらに向けられた薄毛の荒地は、今日の朝見たばっかりの頭頂部だ。


「えっ、もしかして…おざ、泣いてる?」


 時折スン…と鳴る鼻。荒地の存在が霞むほどの、悲しみに暮れたオーラ。腕で隠しきれていない、パンパンに腫れた目。

 こんなに意気消沈している尾沢は見たことがない。

 心配した愛美は、尾沢の隣にしゃがみ込む。

 試しに「おざ~」と声をかけてみる。しかし、燃え尽きて真っ白になってしまった尾沢には、周りの声が全く聞こえていないようだ。


「尾沢先生、田原先生にフラれちゃったの…」

「ありゃ~っ…ついに~?…えっ、フった田原先生も涙目じゃん!あれっ!?校長先生も目ぇ真っ赤じゃん!」


 「何で!?」と、視線の先の人物達を見て、愛美は目を丸くする。

 何があったの。と聞きたいが、よく見ると凜々花が強面の人と喋っていたり、木戸が床に座り込んでいたり、方泉があの不気味な清掃員と並んで立っていたりする。一気に理解しようとしたら、日が暮れそうだ。

 とりあえず、細かい事は後にして。愛美はポンと尾沢の肩を叩く。


「…そんなに落ち込まないでよ。ねっ!おざ」

「……無理だろ」


 腫れぼったい目が、明るい愛美の笑顔をチラリと見て、下を向く。


「…こんなに毎日ドキドキしたの、久々だったんだもん…」


 消え入りそうな声で呟く尾沢は、憂鬱な乙女のように膝を抱える。膝にちょこんと顎を乗せ、はぁと重い溜め息を吐く。

 そんなしょぼくれたごつい肩を、愛美は慰めるようにポンポンと叩く。


「だからさ~、愛美のママと付き合ったらいいじゃんって、前から言ってるじゃん!ね!ママ本気だよ~?」

「…いや、だってお前のお母さんって…」


 愛美は四姉妹の末っ子だ。そして、その四姉妹を女手一つで育て、この学校に全員通わせた愛美の母は、有名なアパレルECサイトの社長をしている。

 50歳とは思えぬ美しい肌と艶のある髪を保ち、常にハイブランドを身に着けるファビュラスオーラ全開の母は、何度三者面談をしても全く慣れないどころか、自分とは住む世界が違う人間なのだと実感する。

 しかし、四姉妹全員の担任を経験しているからだろうか。

 愛美の母は、何故か尾沢の事を凄く信頼し、気に入ってくれているらしい。

 こんな冴えない男のどこが良いんだ…と自分で思うのも悲しいが、愛美の母親と自分では、誰がどう見ても全っっ然釣り合わない。


「ママは~、おざの生徒に対して熱い気持ちを持ってるところと、恋愛に初心そうなところが可愛いくて仕方ないんだってっ。ねぇ~、一回ママと食事に行ってあげてよ!」

「……お前なぁ…そうやって言うけど…。万が一俺がお前の父親になったら~とか、考えてみろよ…。ほら、どうだ?無理だろ?」


 人差し指でちょいちょいと自分を指差し、顔を顰める。すると、愛美はキョトンとした顔で首を傾げる。


「えっ、全然いいよぉ」

「良いのかよ!!」


 困ったように眉を下げ、仰け反りながら尾沢がツッコむ。


「だって愛美は都内の大学志望だから、高校卒業したら一人暮らしするし。それに、人生一度きりでしょ?ママにはこれからもずーっと幸せでいてほしいから、もし叶うなら好きな人と一緒に過ごしてほしいんだっ」


 うふふ、と嬉しそうに笑う愛美を見て、尾沢は難しい顔で膝に顎を乗せる。


「……俺、まだ田原先生のこと…」

「だーいじょうぶっ!まずは友達から!ねっ」


 うじうじする尾沢に、愛美が「お願い~」と手を合わせる。

 確かに、人生一度きり。愛美の母と恋愛…は想像できないが、食事くらいなら、一度してみても良いのかなぁ…と、思ったり。


「……じゃあ、ご飯だけ…」

「やったぁ!ありがと~おざ~!」


 チラッと恥ずかしそうに愛美を見ると、愛美が大はしゃぎで手を叩く。

 わいわいする二人と、意外な恋の急展開に目を輝かせるゆめ。を、ジトッと横目で見ていた匠真が、抑揚のない声で呟く。


「…この場所に私達が留まる理由を見いだせないのですが」

「…調査とは関係ない話で盛り上がってるもんね」


 至極退屈そうな様子に苦笑をし、方泉は相槌を打つ。

 匠真は方泉に視線を向けると、「でも」と口を開いた。


「方泉様が気になっていた松井様の“秘密”が明らかになったので、良かったですね」


 松井が依頼をしにきた日。

 脅迫文の内容に心当たりはあるかと問う方泉に、松井は歯切れ悪く返事をし、足をモゾモゾと動かしていた。嘘をつく時の典型的な仕草だったので、何か隠し事をしているのでは…と疑った二人は、松井の素性を探るべく、日曜日に尾行をする事にした。

 凛と背を正すその裏に、何か綻びがあるかもしれないと思って。

 

 しかし、ご近所さんへの挨拶も店員さんへの対応も、誠実で丁寧。本人が言う通り、日々真面目に生きているのだろうと思った。


 尾行中、決定的な何かを掴むことはできなかったが、気になる事はあった。

 田原と瀬波に会った時に、バチバチしていたこと。その後二人がカフェに入ったのを見計らって、反対側のお店に入ったこと。テラス席に座り、不自然な角度で自撮りをしていたこと。

 その疑問と、中庭での出来事、そして田原の暴露が結びついた時、あぁ、成る程と腑に落ちた。


「そうだね。本人も秘密を抱えてるのが辛かったみたいだし…結果はどうあれ、解決して良かったよ」


 ニコッと微笑みながら松井を見る。

 依然田原に掴まっている松井は、聞き慣れない美容用語に頭を混乱させつつも、何とかついていこうと聞き入っている。そして、そんな二人を、瀬波は困ったように笑いながら見ている。

 松井が勝手に瀬波を盗撮していたと知った時、穏やかな瀬波も流石に怒るのでは?と思ったが。一瞬ピリついた空気が流れたものの、すぐに自分を責めていて、驚いた。


 あんな風に目の前で泣かれたら、強く出られないのかな。人の気持ちを受け止めすぎて、生きにくくないのかな…なんて勝手に想像していると、方泉の視線に気づいた松井と目が合った。

 松井はパンク寸前らしい。ただでさえ迫力のある大きな目が、ガッピガピに渇きそうなくらい見開いている。方泉は壁にかかった時計を一瞥すると、「松井校長」と呼んだ。


「!!はい」


 やった。この場を離れられる。ホッと胸を撫で下ろした松井は、話足りない田原を制し、方泉に駆け寄る。


「そろそろ5限目が終わってしまいますが…どうしましょう。調査は終了しましたが、一日分の調査料をいただいているので、匠真も僕も引き続き清掃と見学に戻ろうと思いますが」

「あぁ、そうね。急に千葉君が居なくなったら、皆が不審に思うし…」

「?ねぇ、ゆめ。調査って何~?」


 不思議そうな顔をした愛美が、ゆめに問いかける。


「すっっっごいビッグニュースなんだけどね!千葉先生、実は探偵だったんだって!」

「たんてい?たんていって、あの“探偵”?」

「そう!あの探偵!」

「えぇっ!?嘘~!?」


 ビックリして口元を覆う愛美に、何故かゆめが得意げに胸を張る。


「じゃあ…えっ?この学校で事件があった、とか…そういうこと?」


 ワクワクとドキドキの混ざった表情で、愛美が方泉を見つめる。


「うん…でも、みんなを心配させたくないから…相良さん、僕が探偵だってこと、内緒にしてくれる?」


 人差し指を唇の前に立て、ニコッと微笑む。

 うっかりペラペラと喋ってしまいそうなゆめが口を開く前に、しっかりと念を押さなければ。眼鏡の奥の瞳を柔らかく細めると、愛美はほわ~んと顔をとろけさせる。


「わっ、分かりましたぁ…絶対に誰にも言いませんっ」


 ツインテールを指先に巻き付け、瞳の中にハートを描く愛美。“調査”の事よりも、方泉で頭がいっぱいになっていそうだ。ありがとうと微笑む方泉の元に、よたよたと歩く康と凜々花が集まってくる。


「いててて…いやぁ~、誰かに背後を取られたのは久々だったぜ~」


 「やるなぁ、アンタ!」と上機嫌に笑いながら、無表情な匠真をバシッと叩く。


「はぁ…」

「ふふっ」


 全く嬉しくなさそうな態度に思わず方泉が吹き出すと、愛美がポンと手を叩いた。

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