第30話 犯人《後》④



「なっ…!!」

「!」

「えっ!?告白!?」


 ビックリする松井と瀬波。を、上回る驚きっぷりで声を裏返らせる尾沢。

 えっ、ちょっと待って。今、「告白」と言ったのか?

 こくはくのけっか?……田原先生が、瀬波先生に告白したという事か?校内のアイドル…いや、俺のアイドル、田原先生が……。田原先生が…瀬波先生に、告白……田原先生が、告白…こくは……。


「うっ、うわ―――――!!!」


 混乱と悲しみが限界突破した尾沢は、頭を抱えて泣き叫ぶ。


「わ――――っ!!!」


 その声に驚いた康が、起き上がりこぼしの如く飛び起きた。


「康!」

「先生、大丈夫ですか!?」


 「何事だ!?抗争か!?」と辺りを見渡す康の元へ、凜々花が。絶望の表情で肩を落とす尾沢の元へゆめが駆け寄る。


「尾沢先生はゆめに任せて、3人はそのまま続けてください!」


 重たい腕を引っ張りながら、戸惑う教師達に続きを促す。

 尾沢の事は心配だ。だけどそれを100倍上回る好奇心が、早くこの3人の恋模様の続きを見せてくれとうずうずしている。

 「うわ~~ん!」と赤子のように泣きじゃくる尾沢を気にしつつ、瀬波は目の前の2人を見つめる。


「だから私はそんなんじゃっ…」

「なぁに言ってるんですか!校長先生がこっそり瀬波先生とのツーショットを撮りまくってるの、知ってるんですからねっ!」

「ひぃっ!!」

「えっ…どういう事ですか?僕、一緒に写真撮った事ない…と思いますけど」


 口元に手を置いて考え込む瀬波に、松井は冷や汗を流す。


「校長先生ってぇ、ホームページの校長用ブログの為にぃ、いっつも写真撮ってるじゃないですかぁ。その時にぃ、自撮りしてるようにみせかけてぇ、こっそり画面の隅に瀬波先生をいれてるんですよ~。ねっ、校長先生」

「ぅぐっ!なんっ、それっ」

「そんなのスマホの角度見たらバレバレですよぉ~!日曜日のデートの時もぉ、私達がお茶してる時にぃ、向かいのイタリアンのテラスから写真撮ってましたもんねぇ~」

「えっ…」


 困惑する瀬波の目が、慌てふためく松井に突き刺さる。

 松井は「あの、その…」とどうにか弁解しようと口をパクつかせる。が、やがて観念したように項垂れる。そして小さく溜め息を吐くと、ふくよかな体を申し訳なさそうに丸めた。


「…た、田原先生が言っていたのは、本当です…。隠し撮りみたいな事をして…すみません…」


 力なく下がる頭。その姿を、瀬波は複雑な表情でジッと見る。

 勝手に何度も撮られていたなんて、知らなかった。良い気がしないのは勿論だが、教育者として尊敬している松井に、そんな事をされていたというショックがとても大きい。


「どうして…」


 と零れた瀬波の声に、非難の色が混じっている。

 …もう終わりだ。

 二人で楽しく花について語り合う時間は、二度とこない。

 そう悟った松井は、溢れそうになる涙を堪え、顔を上げた。


「…私がこの学校に赴任した日に、私の歓迎会があったのは覚えていらっしゃいますか?」

「…はい…覚えています」


 居酒屋を貸し切って行われた、例の事件が起こった歓迎会。この学校に勤める教師なら、あれを知らない人はいない。


「あの時…一人の男性教師に、自分が一番触れてほしくない…痛い言葉を言われました」


「松井校長ってバブルのまま時が止まってるって言うか~…あっ、鞄にジュリ扇入れてそうですよね~!」

 男性教師からすれば、悪気無く言った言葉。

 けれど、その言葉は松井の心を深く抉った。


 バブルと大学の青春時代が重なっていた松井にとって、あの時の自分が一番輝いていた。と、今でも思う。

 非日常のような煌びやかで騒がしい毎日を思う存分謳歌したくて、派手なメイクと派手な服装を積極的に取り入れていた。だが、教員になってからは目まぐるしい日々を熟すのに精いっぱいで、流行を追う暇も、自分を磨く事も無くなっていった。教育に情熱を注げば注ぐほど、比例するように自分の事を考えなくなった。

 

 本当は、今の時代にそぐわない恰好をしていると自分でも分かっている。

 周りから小馬鹿にされているのも知っている。でも、教師として一生懸命走り続けていたら、あっという間に30年以上経っていたのだ。

 今更ガラッと化粧を変えるのもおかしいし、変えたら変えたで何か言われるに違いない。

 流行の勉強の仕方だって、分からなくなってしまった。鏡だって見たくない。

 そんな悶々とした気持ちを抱えている時に、仙ノ宮女学園への赴任が決まった。

 優秀な生徒達が集まってくる、有名な進学校だ。自分のくだらない悩みなんて捨てて、生徒の為に頑張ろう―――と思い、向かえた初日。そして、歓迎会。あの言葉。


 気を緩めたら、涙が出そうだった。


 「そうですか」


 と、返すのが精いっぱいだった。


「…私は一人、涙を堪えながらお店を出ました」


 擦れ違う人々の中で、自分だけが孤独だと錯覚してしまう。

 こんなにもネオンは明るいのに、この世の果てのように暗くて寂しくて仕方ない記憶を辿りながら、松井は続ける。


「家に着くまでは絶対に泣かないと決めて歩いていたら…遅れてやってきた瀬波先生に会ったんです」

「…確かに、あの日はすぐに対応しなきゃいけない事があったので、後から合流しましたね」


 生徒の親からかかってきた、悩み相談のような世間話のような長電話。数えきれない程相槌を打った瀬波は、電話を切ると急いで居酒屋へ向かった。そして、もうすぐお店につくという時に、硬い表情をした松井とばったり出くわした。

 「用事を思い出したので帰ります」と言う松井は平然としているように見えたのだが、居酒屋で事の顛末を聞いた時、ああ、あの表情はとても傷ついたものだったのかもしれない…と思ったのを覚えている。


「挨拶だけはちゃんとしなくちゃと思って…何とか平常心を保ちながら、挨拶をしたんです。それで、早く帰ろうとしたのですが……その時に…瀬波先生が、………」

「…?」


 急にピタッと口を噤んでしまった松井に、瀬波は首を傾げる。

 松井が帰ろうとした時。自分は何をしたのだろうか。

 当時の場面を何度も頭に描いてみるが、一瞬の事だったので思い出せない。

 む…と眉間に皺を寄せる瀬波に、松井は滲む視界を瞬かせながら口を開く。


「…この…ブローチ…」


 そう震える声で言うと、たどたどしく動く松井の指先が、胸元にあるスワロフスキーの花のブローチを撫でる。


「こっ、このブローチを…褒めてくださったんです…『とってもお似合いですね』って…」

「!」


 ぐすっと鼻を啜る松井の頬を、涙がぽろりと伝っていく。

 

「み、見た目を…バカにされた後だったし…男性に褒めてもらったのは久しぶりだったからっ…余計、胸に刺さって…嬉しくて…っ」

「……」

「その後もっ…い、一緒にたくさん、花の話を…してくれ、てっ…とっても、楽しくてっ…。もっ、もっと仲良くなりたいと…おっ、思った、けどっ…人を好きになったのがっ…うぅっ、ひっ、久しぶりだからっ…ど、どう、していいかっ…うぅ、わ、わからなくてっ…」


 「ごめんなさい」

 そう言って顔を抑える松井は、叱られた子供のように泣き声を上げる。ぽろぽろと指の隙間から落ちていく涙を、瀬波は何とも言えない表情で見つめる。

 自分が覚えていないような些細な言葉を、こんなに大切に受け止めてくれていたなんて。全く気付かないまま、“上司と部下”として、時には“花好きの仲間”として、接していた。


 松井と話すのは楽しいし、好きだ。

 でもそれは趣味の話をするからであって、松井に恋愛感情を抱いた事は一度もない。


「…校長先生」

「う、うぅっ…」

「僕も校長先生の事は好きですが…“趣味仲間”としての“好き”なんです…。気持ちにお答えできなくて…すみません」


 深く下がる瀬波の頭。優しく垂れる前髪を見て、松井の目からブワッと涙が溢れ出す。

 「頭を下げないでください」「勝手に私が好きになっただけなんですから」「ご迷惑をおかしてすみません」「非常識な事をしてしまってすみません」

 言いたい気持ちは沢山あるのに、嗚咽で言葉が出てこない。そんな松井の姿を見て、田原も大粒の涙を溢す。


「うぇ~ん、何~~?少女漫画見てるの?ってくらい切なすぎるよ~~」


 わぁわぁと涙を流す田原に、瀬波が「田原先生」と声をかける。


「うわ~ん、なんですかぁ?」

「田原先生も…すみません。僕、田原先生の事は漫画友達としか思ったことが無くて…付き合うとかは、その…考えられません…」

「え――――っ!?」


 真っ赤な目が飛び出そうなくらい驚く田原に、瀬波は苦い表情で頭を下げる。


「日曜日も、デートのつもりはなくて…」


 あんぐりと口を開ける姿を視界の端に捉えつつ、瀬波が気まずそうに言葉を続ける。


「今まで何度か一緒に出かけましたけど…それは『新しい大きな本屋さんを見つけた』とか、『漫画のイベントがありますよ』って誘ってくれたからで…てっきり、田原先生も漫画が好きだから誘ってくれているだけなんだと、思ってました…」

「いやっ、いくら漫画が好きだからって、こんなに頻繁に誘うわけ…」


 ないじゃない。と言いたいが、断られないよう漫画を出しにして誘い続けたのは自分だ。

 とは言え、少なからず自分にも興味を持ってくれているから、付き合ってくれたのだと思っていた。だって、楽しかったし、瀬波もとても楽しそうだったから。


 …でも、違ったんだ。

 好きだったのは、自分だけ。

 瀬波に喜ばれるのが嬉しくて、学校に漫画を持ち込んだりなんかして。バカみたい。勝手に勘違いして、ルールまで破って。本当にバカだ。


 ツンと鼻の奥が痛くなり、瞼がじわじわと熱くなる。

 むにゅっと不貞腐れたように突き出た下唇に、瀬波は焦った。


 勘違いさせてしまったことを謝るべきか?

 …いや、自分はあくまでも普通に接してきただけだし、謝るのはおかしいのでは?でも、自分の態度が原因で、誤解を招いてしまったわけで。

 ああ、もうどうしよう。と額に手を当てる。

 困惑する瀬波と悔しそうに泣く田原。泣きながら2人を見ていた松井は、鼻を啜ると、緩んだ目元をハンカチで拭った。


「…ふふっ…なによ…あなた、あんなに自信満々だったのに、フラれてるじゃない」


 「デートした」と何度も威勢良く言っていたくせに。瀬波は全くデートだと思ってなかっただなんて、ちょっと笑えてくる。


「うぅ~…も~~っ、ほんとに信じられなぁい!校長先生だって、瀬波先生が私に気があると思いましたよねぇ!?」

「…そうね。あなたと話す瀬波先生の目はいつも輝いていましたからね」


 「漫画のおかげだったみたいですけど」と笑いを堪えながら言うと、田原は両腕をぶんぶん振りながら、「ありえない~~!」と騒ぐ。


「私、今までフラれたことないんですよっ!?瀬波先生の為に沢山漫画の勉強したのに~~~っ!」

「すみません…」

「謝られても困ります~~!」

「……すみません…」


 ポカポカと殴るフリをする田原に、瀬波はしどろもどろに謝る。真っ赤な鼻先をスンと鳴らした田原は、フグのようにプクッと頬を膨らませる。


「まあ、どうせ?私は“松極”みたいな漫画は好きになれないし?瀬波先生を好きになったきっかけも顔だし?上手くいかなくて当然かもしれませんねっ!」


 フン!と腕を組む姿は自棄やけ全開だ。

 逃げるように下を向く瀬波を一瞥すると、田原は松井の腕をガシッと掴んだ。


「校長先生!合コンしますよ!」

「!?なっ…合コン!?」


 急に掴まれたと思いきや。突拍子もない言葉と炎が燃え滾るような熱い瞳に、松井は腰が抜けそうになる。

 “合コン”。即ち、“合同コンパ”。男女が縁を求めて集う、あの合同コンパ。

 それに、自分が参加する?もう50歳を過ぎている自分が?若い田原の隣で?


「…そんなのただの罰ゲームじゃない」


 と、ボソッと呟く松井に、「何言ってるんですかっ!!」と鋭いげきが飛ぶ。


「失恋で開いた穴は新しい恋で埋めるんですよっ!常識ですっ!」

「…まぁ、そんな言葉も聞いたことはあるけど…でも、年齢が…」

「じゃあ相手側も幅広い年齢で集めます!良いですね!?」

「ちょっ、いや、あの…私、見た目もこんなだし…」

「なーに言ってるんですかっ!人の好みは十人十色です!骨みたいな女性が好きな人もいれば、ふくよかな女性が好きな人も、年下派も年上派も人それぞれなんですよ!そうやって言い訳して、相手の範囲を狭めてるのは校長先生自身じゃないですか?」

「!!」

「校長先生は自信が足りなすぎます!自信をつける為にも、今日から私と一緒にメイクや服装を勉強しましょう!」


 そう言って人差し指を立てた田原は、「でも…」「いや…」を繰り返す松井を説き伏せるように“美について”を語り始める。

 その様子を、ゆめが目を丸くして見つめる。


「…田原先生がフラれた…」


 校内一の美男美女教師。二人ならお似合いだし、当然付き合うだろうと何の疑問も持たずに思っていた。

 こんな結果になるなんて…と、ぽかんとするゆめの耳に、ガラガラと扉を開ける音が響く。

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