蝿叩き

陸海空は依然として、蝿男の足にしがみつきながら町の上空を漂っていた。小さく身震いしながら地上を俯瞰していると、陸海の頭の中に一つの疑問が浮かんできた。

ヤッベ、なんかノリでコイツにくっついてきちゃったけど、この後どーしよ…。そういや俺まだ飛べねーんだよな~。

すると、痺れを切らしたかのように蝿男が言った。

「お前、いい加減しつこいぞォ~!必死にしがみつきやがって…。さてはお前、飛べないな~!?その羽は飾りかァ?」

「ギクッ…!そ、そっちこそ!」

陸海は図星を突かれた動揺のあまり、頓珍漢な返事をするのが精一杯だった。蝿男は呆れたように首を捻った。

「……お前バカァ?これでも喰らえ、ウジ虫ィ~!」

蝿男が陸海の頭上に手を差し出すと、そこから大量のウジが湧き出して、彼の顔に零れ落ちた。陸海は堪らず絶叫した。

「ギャアアア!キショイイイ!!」

次の瞬間、彼の顔面にスニーカーの靴底がめり込んでいた。蝿男が蹴りを放ったのだ。不意を突かれた陸海は思わず、手の力を緩めてしまった、

当然、地面に向かって真っ逆さまである。

蝿男は勝利を確信し、落ちていく彼を嘲笑った。

「ざ・ま・あーーーー!!」

「うわあああ落ちて死ぬゥ!いやぎりぎりセーフか…!?あっ、やっぱ死ぬゥ!!」

陸海の頭に、過去の記憶がまるでダイジェスト映像のように流れ出した。変わり映えのない淡泊な日常が延々と続くだけの、あくびが出そうなほど極めて退屈な内容だった。彼が如何に味気ない人生を送って来たかを、その映像は雄弁に物語っていた。

え?なにこのクソみてーな走馬灯は…。クソッ、腹立ってきた。このまま終われるかよォ~~!俺の人生…!

「飛べ飛べ飛べ飛べ飛べ…!」

陸海は両の羽に意識を集中させた。



一方、蝿男は市の上空を意気揚々と飛行していた。

「さ~てぇ~、バカは始末したことだし、天ちゃんのもとへ戻るとするかぁ…ん?」

何者かの気配を察し、振り返ると、視界を黒く巨大な拳が埋め尽くしていた。

「ぼぴぃっ」

顔面が湾曲するほどの痛烈な一撃を受けた蝿男は、ラジコン飛行機のようにきりもみ回転しながら落下していった。

「天ちゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!」

蝿男は断末魔の叫びをあげながら、地面に打ち付けられると、緑色の液体をぶちまけて弾けとんだ。

「……よーし、くたばったな。死に際に人の妹の名前叫びやがって…どこまでもキモい野郎だ。じゃあ帰って…暇するか…」

蝿男が絶命したのを確認すると、陸海は巨大な羽を器用に羽ばたかせて、その場を後にした。



月曜日、陸海天が学校を訪れると、校舎の玄関で待ち伏せていた羽賀翔が薄笑いを浮かべながら近寄って来た。

「や、やあ…!無事なようで安心したよ…!昨日は心配で心配で一睡も…」

天は無言で彼の股間を蹴り上げた。

「お゛っっっ」

羽賀は股間をおさえて崩れ落ちると、メソメソと泣き始めた。そんな彼を、天は気にも留めずに校舎へと入っていった。




放課後、帰り道の途中で、月野光が近くにあった自動販売機を指さして、天に言った。

「げっ、見てよ!デカい蛾がくっついてんだけど…キモォ~!」

天はそれをじっと見つめると、少しだけ笑みをこぼし、呟いた。

「…私は別に嫌いじゃないかな」

「え~~!?意外~~」

「…でも、蝿は大嫌い」



その日の夜、天が自室のベッドに横になっていると、突然、部屋の中に兄がノックも無しに入ってきた。天は大慌てで上体を起こした。

「ちょっと…!いきなり何なの!?」

「お前、俺の漫画持ってってない?」

「持ってく訳ないでしょ、そんなもん」

陸海は彼女の部屋の中を眺めると、不思議そうに言った。

「あれ?あのアイドルのポスターは?」

「外した。もっといい人に会ったから」

「ふうーん…どうせツラだけの男だろ…」

陸海のその一言にカチンときた天は、枕元にあった小物入れや目覚まし時計を手当たり次第に、彼目がけて投げつけた。

「うっさいなぁ…!もう出てってよ!出てけ!」

「うひょっ」

陸海はスタコラサッサと去っていった。天はまたベッドに倒れ込み、携帯で動画を再生すると、それを食い入るように見つめた。画面には、蛾のような姿の怪物が写っていた。











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