戦術狂信者

バラック

第1話


 木枯らしがボールを追う声をクラブハウスに届ける。八王子FCユースの監督である秋田は、掲示されているファンレターを眺めていた。


 監督交代を願う手紙には、幼い字で書かれたものもある。離れて暮らす我が子もこのような文を書くのだろうか。秋田は苦笑した。

「おう、戦術狂もファンの声を聴くのか」

 球団の職員である岡田が秋田に声をかけた。


 岡田は、秋田が現役を引退した十年前、指導者の道を勧めてくれた人物であり、秋田にとっては恩人だった。

「いえ、分析室から出たときに目に入ったもので。会長と外で会うのも珍しいですね」

 スーツ姿で無線を持ち、高校生に戦術やシステムを細かくコーチする秋田は、指導者の中では異色であり「戦術狂信者」ともあだ名されていた。

 岡田はその秋田に、シーズン終了までの条件で、トップチームの監督就任を打診した。



 現在の八王子FCは、残り十節を残してJリーグ二部の中位に沈んでいる。首位と最下位が離れているため、六位までが参加できる昇格プレーオフも狙えるが、連敗が続いている現状では、三部降格もあり得なくはない。 


 現在の外国人監督は、戦力的には十分でありながら中位を脱することが出来ない上に、やりたいサッカーのビジョンも明確ではない。 

 このままでは再建が難しいとフロントで判断したため、秋田に白羽の矢が立った。

 秋田は引退してから十年の間、勉強と実践を重ねてS級ライセンスを取得し、戦術の研究を深めていった。声をかけてくれたチームに報いるためでもあり、現役時代の後悔と汚名を晴らすためでもあった。


 練習場から吹く風に乗って、高校生の喚声が聞こえる。秋田は風の元を一瞥し、岡田に右手を差し出した。



 監督交代の記者会見では余計なことは言わず、ユース出身の選手も複数いたため、秋田は概ね好意的にチームに迎えられた。

 しかしながら実践的なトレーニングが開始されると、秋田の求心力は落ちていく。

 秋田は選手に規律を求め、戦術上の約束事を多く定めた。特に秋田が導入した「偽ウイング」は、日本にはまだ浸透しておらず、技術的にも難解だった。


「偽ウイング」とは、サイドライン付近を主戦場とするポジションの「ウイング」を内側に寄せることで、中央に厚みを、サイドに広いスペースを与える戦術である。

 加えて、ボール奪取後に配給する場所を決めておくことで、最速のカウンターを狙うのが秋田流だ。

 システマチックで選手を縛るような秋田の戦術は、選手の自由度が高くテクニック重視であった前任のやり方とは相反しており、若手や外国人選手を中心に不満が高まっていた。

 中でも、ファンタジスタタイプであって若手の筆頭でもある渡辺は、度々秋田と衝突し、もっと自分達に任せてほしい、自分たちの能力を信頼してほしいと秋田に直接訴えるほどだった。しかし秋田は一蹴した。


「私は君たちの能力を十分に知っている。だからこそ戦術通りにやれば、君たちの可能性を増やすことにもなる。嫌ってくれて構わないから、従ってほしい」



 下位を相手どったホーム二連戦に勝利し、昇格プレーオフ圏内も見えてきた。但し内容はひどく、殆ど相手の自滅によるものだった。


 秋田は試合中、指示エリアいっぱいまで飛び出し、ベンチに座ることはほぼない。そうした戦術上の指示を繰り返すほど、選手との距離は広がっていった。


 選手達との不和が決定的になったのは、次節のアウェイ戦の惨敗だった。


 秋田の事前の指示に対し、選手は思うように動かない。

 ハーフタイム、指示棒を振り回す秋田に対し、選手たちは俯く。ただ一人、渡辺だけが秋田に食って掛かった。


「プレスはきついがそこを抜ければ一気にチャンスが来る。もっと信用してくれ!」

「だめだ。そこで狩られれば必ず逆襲をくらう。ボールを奪ったら必ず決めた場所に出せ」


 秋田は渡辺と長身選手との交代を指示した。



 今まで勝利というタガでしまっていた秋田と選手達は、この試合で完全にばらけてしまった。間を取り持ってくれていたコーチやユース出身の選手も、秋田から離れてしまった。


 なぜ戦術通り動いてくれないのか。悩む秋田は会長に勝利給を望んだが、

「そういう問題じゃないだろう。現役のときのような熱い気持ちはどうした?」

 と断られてしまった。



 スタジアムのブーイングを切り裂くように、試合終了の笛が鳴る。疲労と悲愴がピッチ上の選手に圧し掛かった。

 昇格を争う相手にホームで四点差の敗戦。前半のうちに渡辺が一発レッドをもらい、チームはぼろぼろだった。


 今節の秋田は変化を求め、攻撃の要であった渡辺を低い位置でプレーさせた。しかしそれが完全に裏目にでてしまった。


 秋田が帰りのバスに乗り込もうとすると、チームについているライターが、敗因は退場した選手かと秋田に問う。


 秋田は質問を最後まで聞かず反論した。

「今日は予想外にハイボールが多かった。この結果は私が準備をしてこなかったからだ。戦術やマネジメントが出来ていなかった私の責任。選手は何も悪くないよ」


 惨敗の翌日、秋田は出場選手をオフにしていたが、渡辺が監督室に現れた。昨日の軽率なプレーに対する謝罪と、自分を守ってくれるような発言に対して感謝を述べた。


 聞き流す秋田に、渡辺は現役時代から戦術家であったのかと問うた。

 秋田は、自分の選手時代を知らない渡辺の若さに苦笑し、引退試合のことを語った。



 当時の自分はファイタータイプのディフェンスで戦術なんてこだわらず、監督も細部の判断は選手に委ねていた。


 引分け以上で一部残留が決まる大事な試合、自分は味方に任せきれずボール回しに参加し、飛び出したフォワードを信じてパスを出そうか迷ったその瞬間、ボールを失った。

 慌ててタックルに行ったが、気付いたときには、目の前にはレッドカードが出され、相手が足首を押さえて横たわっていた。


 チームはその後猛攻を押さえきれずに敗戦し、二部へと降格は決まってしまった。

 自分は降格と負傷の原因を押し付けられた。バッシングはひどく、家も特定された。

 妻には「別々で生活することが最良なんだ。分かってくれ、嫌ってもらって構わない」

 と言って娘と一緒に実家に帰らせたが、自分は契約解除を宣告され、移籍先を探すも上手く見つからなかった。


 そんな矢先、過剰な批判への反発からか、負傷させてしまった選手が岡田会長を紹介してくれた。岡田会長はその選手のプッシュを受け、当時新興チームだった八王子FCに自分を迎え入れてくれた。


 しかし結局出場機会はなく、移籍した翌年のシーズン終了後に引退し、岡田会長の勧めで指導者の世界に入った。


 自分が傷つけた選手や岡田会長に報いるため、というのもそうだが、汚名を晴らせれば、胸を張って家族に会える。それに、ラストプレーになってしまった場面で、パスの出しどころが戦術で決まっていればと今でも後悔している。その後悔を感じさせたくないからこそ、口うるさく言っているのだ。と。


 渡辺は黙って聞いていたが、要するに勝てばいいんでしょ、と呟いて監督室を去った。



 今シーズンもラスト一試合。勝ったり負けたりを繰り返しているが、プレーオフをまだ狙える位置にいる。

 今週は天皇杯ウィークのため試合がなく、練習をオフにした日曜日に、秋田は選手達から手荒い誕生日祝いをされた。渡辺が発案し、買い出しはベテランが担当したとのこと。

 私のことを嫌っていたのでは、と問う秋田にベテラン選手が答えた。

「勝ちたい気持ちは皆同じです。記者に対し、失敗した選手を擁護してくれていたことも嬉しかった。戦術は難しいが、プレーの幅が広がり、個人の能力は上がってきています」


「監督を信頼して行動している。だから監督も家族のように信頼してほしい」

 と出場機会が減ったベテラン外人も続けてそう話した。

 信頼。秋田の胸には信頼という言葉が刺さった。秋田はスーツのまま顔を洗い、監督室に戻った。



 最終節は、他会場次第だが、勝てば昇格プレーオフの可能性が決まる試合になった。

 展開は難しく、同点のまま試合は進んだが、前半終了間際、やむを得ない反則によりディフェンスの要が退場になってしまった。


 秋田がディフェンスのサブメンバーに準備を指示して控室に戻ると、チームは劣勢とは思えないほど活気があった。


「監督。指示は?」

 秋田の姿を見つけると、渡辺は文字通り跳んできた。秋田には他の選手から強い視線が降りかかっているのも分かった。


 秋田はディフェンスのアップを辞めさせ、代りに俊足のフォワードにアップをさせるようコーチに指示をした。


 そして目の前にいる渡辺に向かって「任せた」と言い、控室のベンチに座った。

「任せるって言ったぜ、あいつ」


 と口々に言いながら、選手たちは円陣を組み、ダッシュでピッチに入っていった。


 後半が始まる。予想通のり劣勢だった。それでもぎりぎりで跳ね返す守備陣。必死にボールを追いかける攻撃陣。


 秋田は指示エリアから退き、就任後初めて試合中ベンチに腰掛けた。



 自分の最後のプレーが思い出される。フォワードを信用してパスを出せていたら勝利のチャンスはあったのだろうか、持ち場を離れなかったら、無理をしなかったら、もっと仲間に任せていたら。今頃気づくなんて。



 喚声に気付きピッチを見ると、渡辺が二人に囲まれてもキープを続けている。「出せ!」心の中で叫んだ瞬間、ラストパスが出た。


 結局、渡辺のパスから得点し、試合には勝利したが、プレーオフには届かなかった。


 シーズン終了後には球団も新監督を見つけ、監督代行の契約は解消。秋田はユースチームの監督に戻った。


 秋田の戦術は二部では話題になったが、日本サッカー界全体で見れば、少しのさざめきに過ぎず、監督のオファーは来なかった。


 そんなに上手くはいかないよな。全てを押し包んだように重い雪を踏みしめ、秋田はジャージ姿でユースの練習場へ向かった。


 寒さに負けず、若者がボールを追っている。ふと気づくと、コートの外に小学生くらいの女の子が立っていた。


「近くにいると危ないよ。何か用事?」

 秋田が膝を折って聞くと、女の子はハキハキと答えた。

「私とお母さんはずっと八王子FCのファンで、あなたに会いに来た」

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