20xx年8月21日


 20xx年8月21日 静岡にある画廊にて


 駅から遠く離れた潮風が吹き荒れるような場所に、その画廊はあった。といっても、画廊というには、見た目は古すぎる民家であり、今流行りの古民家ギャラリーと呼ばれる場所だ。軽くイノベーションだけした画廊は、持ち主が道楽でやってるような適当さであり、良心的な値段ではあるが集客を見込むには難しいものだった。


 その画廊に、一人の中年男性が自分の様々な形態の作品に囲まれて、しょぼくれたように座っていた。アーティストになろうとして、藻掻き続けたその空間は彼の人生であり、苦悩の塊であった。

 油絵も、イラストも、線画も、水墨画も、水彩画も、デジタルアートも、陶器も、彫刻も、粘土細工も、手作り時計も、金属加工も、漫画も、小説も、絵本も、ぬいぐるみも、刺繍も。ゴシックや、ダークなものが好きで、それを詰め込んだ不気味で陰惨なアートたちは彼であり、彼が作りたい作品だった。

 しかし、その全て情熱を詰め込んだ割には、評価されなかったものたち。というよりも、評価してもらおうにも、機械音痴でソーシャルメディアマーケティングというものが得意ではない彼にとって、評価に出す場もわからなかったものだ。

 ただ、人生終わりが近づいてきたのを悟った彼は、最後の願いを込めて、ひっそりとこの古民家で個展を開いたのだ。


「お前たちも誰かに一目でも見てもらえれば、俺も、お前たちも報われるのに」

 

 寂しげでどこか諦めたような言葉を言いながら、男は腕にある女の子の人形の頭を優しく櫛で梳かす。他にも彼が座る席の近くには、作品だけではなく、趣味で作っていた自作ドールたちも置かれていた。服や、目のガラス、化粧まで自分で仕上げたビスクドールやドルフィーたちは、陰鬱な彼の癒やしでもあった。


 個展を開いて、三日目。誰一人として、この古民家に訪れることはない。ああ、後三日で終わってしまう。男は自分の人生を振り返りつつも、その悲しい時の流れの中で、諦めがついていた。

 そんな時だった。


 ガラガラガラ


 古民家の入り口にある引き戸が開いた。男が、慌てて目をやると、そこには美しい涼やかな空色の紋紗の着物を着た美女が立っていた。艷やかな濡鴉色の髪を綺麗に結き、その手には日傘が握られている。なによりも、その着物の上に纏う、まるで天女の衣のようなショールが、美女を神秘的に魅せていた。


「ごめんください。まだ、展示会やってますか?」

「はっ……はい」


 美しい人は声までも、美しいのか。鈴よりも心地よい声に思わずうっとりとしかけた男は、少しばかり気の抜けたような声になってしまった。


「良かったです。ここに、素敵な作品があるって知りましてね、居ても立っても居られなくて、来てしまいましたの」


 美しい人はそう言いながら、男の顔を見て嫋やかに微笑んだ。


「あなたが、作者さんよね。これから、よろしくお願いしますわ」


 男は呆気に取られる。ソーシャルメディアにも広告も出していない無名の自分をどこで知ったのだろうか。疑問は湧き上がるが、それよりも目の前で微笑む女性の美しい光に、すべての思考が焼かれてしまった。


 男はこの翌日、ゴシック好きな女性やスチームパンク好きな人、ドール愛好家たちが、こぞってこの古民家に現れることは想像もしなかった。


 

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