第34話 運命の女神は誰に微笑む?

 空が少し明るくなり始めると田中たちは動き始めた。一台のミニバンが道端に止まる。ドアがスライドし、五人の男たちが降りてきた。川沿いの遊歩道に降りると、土手からはこちらの方面の視線はさえぎられるので、人の目を気にすることなく作業ができるだろう。ヒナの捜索は人員を補強して部下に任せると、田中は潜水チームを引き連れて川底の捜索に専念することにした。

 ヒナに逃げられた後、田中は一人で本部に戻り、アーカロイドのデータの奪取成功について椚田に報告した。

 このデータさえ手に入れば、プロジェクトが進むはずだと思っていたが、椚田から伝えられたのは衝撃的なことだった。


 ――これだけでは足りない。もう1つの機体も回収しろ。


 椚田に報告した後、未だ逃げ回っているヒナの捕獲を行うつもりだった。田中の考えでは、追い詰められたヒナがアーカロイドの接続を解除する余裕がない限り、彼女はどこにも逃げられないはずだった。

 しかし、もう1つの詩絵の機体を回収しろということとなれば、自分はヒナを追っている場合ではなくなってしまう。ヒナの捜索は部下に任せ、自身は詩絵の機体の回収の指揮をとらなければならない。

 しかも、すでにヒナの追跡に割いている人員を動員するわけにもいかない 。新たな潜水チームを編成する必要がある。さらにヒナの捜索に割いている人員を使うことはできないので新たな潜水チームを編成する必要が出てくる。彼の前には新たな課題が立ちはだかった。

 

 ――その場で捕まえていたらここまで大がかりになることもなかったのに。

 

 改めて田中にとって詩絵を逃がしてしまったのが、痛手になっていた。


 潜水チームはショッピングモールの西側、詩絵が水面に落ちたと思われる場所に到着し、川沿いの遊歩道でマスクやスノーケル、フィンなどの潜水用具をつけていった。

 屋上テラスに設置されていたオブジェが、落下地点の目印となっていてその位置は田中が覚えていた。

 田中はそれを確認しながらあらかじめ打ち合わせした通り、潜水チームを2つに分け、潜らせるつもりだ。

 水中用のインカムを使い、適時状況の報告など連絡を取りながら慎重に捜索を進めていくつもりだが、水中では音が聞こえにくい可能性があるので、念のため目での合図やハンドサインなどの確認も行った。

 川に深さは人一人が十分に沈むほどあったが、川の流れは川底とともに穏やかだった。

 

 「我々は左方向から、そちらは右側から中心に向かって歩いてください」


 左右方向から中心に向かって調べれば、詩絵のアーカロイドを見つけるのに最適なルートだろう。

 彼女のアーカロイドは等身大で、水底に沈んでいればすぐに目視で分かるはずだ。

 

 しかし、チームが広範囲にわたって捜索を進めてもそれらしきものは見つからなかった。


「目視での確認、無しです」

 

「いや、どこかにあるはずだ!」

 

 左右から中心へと捜索範囲を狭めていったはずだったが、詩絵のアーカロイドの形跡はなかった。

 

「一体どういうことだ」


 田中は混乱する心を抑えつつ、再度の指示を待つチームに向けて考えを巡らせた。


 博士のPCを覗いたときに見た、アーカロイドの詳細資料には水没は厳禁となっていた。

 水に弱いので落ちてしまったら動けなくなるはずだ。そのため、詩絵自身は操作して移動することは不可能なはず――。


 ――まだ一日もたっていないのに、川底に沈んでいたアーカロイドは忽然と姿を消してしまったのだった。




 ◇ ◆ ◇ ◆


 

 

「――行ってきます」


 私はお母さんに玄関で迎えられながら、いつも通り出かける挨拶をする。


「はい、行ってらっしゃい。詩絵。この前は、友達を迎えに行くからって朝早く出かけて行ったときはびっくりしたけど――今日は大丈夫なのね?」


「……うん。今日は普通に行く」


「そうなのね。じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい」


 私はお母さんに手を振り、学校へと向かった。あの日以降、私は三輪さんの家から学校に通うことはなくなった。

 今まで通り学校に通う。それは三輪さんからの助言だった。


 私は三輪さんに先日逢った出来事を正直にすべて話した。

 ヒナと関わりを持てたこと、屋上でヒナと話をしていたら以前ヒナを追っていた男――田中が現れたこと。

 田中がアーカロイドのデータを奪おうとしていたこと、私が気づいた田中の目的。

 そして、田中にデータを奪われそうになった私をヒナが身代わりになって助けてくれたこと。

 ……結果的にアーカロイドは川底に沈んでしまったこと。


 私があの日を思い返しながら三輪さんに説明していると、自責の念が強くなり私の瞳からまた涙があふれて出てしまった。それでも三輪さんは私の話を最後まで黙って聴いてくれた。


「詩絵ちゃん、ありがとう。よく話してくれたね。そうか……あのアーカロイドのログデータにそんな使い方があったとは。気づかなかったな。ただ、何らかの組織が動いているのは確かなんだけど、まだその正体が不明でね。分からないことの方が多いんだ。僕のネットワークも狙われていたみたいだし。早く博士と状況把握や情報共有もしたいが、自分の方が手いっぱいでね……」


「……私も手伝えることがあれば手伝います」


 私にできることを何かしたい――。


 私の中ではそれだけでは収まらない罪悪感が渦巻いていた。


「――ありがとう。でも、もうこれ以上詩絵ちゃんのことを危険な目に合わせるわけにはいかないんだ。組織のことがまだ分かっていない以上、どこで狙われるか分からない。世の中にはね、我々のしらない見えないところでこういう組織が動いているんだ。僕は同僚や旧友に会って調査をしてみるつもりだけど……詩絵ちゃんはこの件から離れて普通に学校に行ってまた元の日常を送ってほしい。でも機械操作が苦手な僕の代わりに、詩絵ちゃんに頼んだことは間違ってなかったと思っているよ。君はしっかりとやってくれたからね。だからこそ、感謝しているよ」




 アーカロイドと出会ったきっかけは突然の出来事だったが、また別れも突然だった。こうして私の日常はアーカロイドと出会う前の元の日常に戻ってしまった。

 

 

 

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