第29話 誤算

「……いこっか」

 

 と彼女は流し目で私を誘うようにつぶやいた。ヒナが歩き始めると、私も慌てて後に続いた。

 二人きりになっても、ヒナは私と同じように人見知りな部分があるのか、それとも口数が少ないだけなのかは分からなかった。しかし、先ほど椿優海と話していた時よりも、彼女の表情には何となく楽しげな光が宿っていた。

 知らないことがあるのはお互いに同じだ。だからこそ。いろいろと質問を投げかけてみるのもいいかな、と思った私は頻出の質問である「出身地」について尋ねることにした。

 

「「ねぇ」」


 しかし、その瞬間、私たちの口からは同時に同じ言葉が出てしまった。この予想外の重なりに、私たちはそろって目を見開いた。ヒナもまた、私と同様にこの状況を予想していなかったのか、私以上に慌てた顔をしていた。

 お互いにどうぞと手を差し出し、譲り合うものの、その様子を見てヒナは思わず口元を押さえて笑ってしまった。


「ぷっ、あははは。ごめんね、かぶちゃったね」


 私もヒナの笑顔につられて、思わず一緒になって笑った。

 そのおかげか、その場の緊張がほぐれるのを感じた。そして、それが初めての会話の入り口になった。


「ねぇ、旭川さん」


 私は彼女のやわらかい黒い瞳に見入りながら、再び口を開いた。


「ヒナ、でいいよ」


「分かった。ヒナはどこ出身なの?」


 ヒナは私の質問に少し考えこみ、それから、「北海道」と言った。


「え、北海道!そこってすごく寒いでしょ?」


 私は驚きの声を上げた。私自身、暖かい地方の出身だったので、寒い地方の生活を想像することは難しかった。


 ヒナはうなずき、私の驚きに微笑んだ。


「生まれは北海道だけど、いたのは小学生までだけどね。寒い時期は寒いけど、夏はそれなりに暖かいよ。それに、雪景色はとても綺麗だから」


 私はヒナの言葉を聞きながら、自分が全く知らなかった彼女の一面を知ることができたことに、ほっと一息ついた。私たちの会話はそこから始まり、それぞれの好きなものや、趣味、将来の夢について話し合った。ヒナは読書が好きで、特にミステリーやSFが好きだと言った。私自身、そのジャンルの本は好きなのでヒナの言葉に深く共感した。お互いのお気に入りの作家や作品に熱く語り合ったりもした。

 

「……また学校でも話さない?」


「いいよ。詩絵のこと学校で見かけたことはあったけど、話したことはなかったよね。転校してきたばかりでまだ友達少ないから、むしろこっちからよろしくだよ」


「ありがと。私も友達は少ないよ。転校か~」


「うん、訳あって親の仕事の都合でね。……ちょっと屋上行かない?」


 

 屋上に続く、ドアを開けるとそこは私たちを待つ屋上庭園へが広がっていた。アーカロイドでは分からないが空調された室内と違い、夏の暑さがまだ残っている暖かさが残っているのだろう。心地良い風の音を聞きながら私たちは目を細めた。

  この屋上庭園は、街の真ん中に存在するオアシスのような場所だった。一面に広がる緑は瑞々しく、疲れた心を癒してくれそうだ。大小様々な樹木たちは日差しを適度に遮ってくれ、青々とした芝生は広々としていて、心地よい香りが広がっていそうだった。

 園内にはベンチやテーブルも点在し、ちょっとしたピクニックにも利用できるようになっていた。今は誰もいないが通常はここには家族連れ、カップル、友人同士、あるいは一人で静かな時間を求める人々が集まり、その和やかな雰囲気は都会の喧騒から一時的に逃れるのに理想的な場所となっていた。

 私たちは屋上の最も西側に向かった。そこからは川の流れが見下ろすことができ、波立つ水面が太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。川のせせらぎは静かな音楽のように、庭園の中に自然のリズムを刻んでいた。

 西側のエリアには、花壇が広がり、季節ごとに色とりどりの花が咲き誇っていた。この屋上庭園は、目で見て楽しむだけでなく、五感全てで感じることができる特別な場所だった。

 アーカロイドでなければ――。私はこの場所を楽しむことができただろうに。


「すごい場所だね、ここは」


 ヒナは手すりに寄りかかりながらあたりを見回した。私も同じように寄りかかった。


「そうだね。あと……意外と涼しいね」


 私とヒナがいる場所は日陰になっていた。左上の視界内の温湿度表示を見るとショッピングモール内は22℃で、外に出たときは25℃だったが、この陰になっている場所に来ると23℃になったので涼しいと言えるだろう。湿度も今日は低いほうだ。


「……そうかも」


 ヒナも一瞬左上を見るしぐさをしたが、手で確かめるようにして答える。一般的な会話で天気の話はよくするし、ヒナのアーカロイドも私と同じ表示になっているはずなので、私に同意しておけば問題無いだろうと思い、気温の話をしてみた。危ない橋を渡った気がしたが、この手の質問はヒナも日常的にうまく回避しているだろう。


「――そういえば、さっきの話の続きだけど。ヒナは何か言おうとしていたことがあったよね?」


 私の会話が下手な理由は、ふとした瞬間に奇妙な質問を投げかけてしまうことに原因があるように思えた。この状況では、先ほどの話題に引き戻すほうがよさそうだ。


「あ、そうだった。私が転校してきた理由は親の仕事の都合、ってさっき言ったよね?……その、詩絵には言っても良いかな、って思ったことなんだけど。絶対に秘密にしてね。小さいころに私、足を怪我してね。実はこれ――」

 


 ――ガチャ。


 その時、前方から微かな音が響いた。屋上へ続く重厚なドアのノブが回る音だ。ヒナの言葉は途中で途切れ、周囲がひとときの静寂に包まれた。ギィッとドアが音を立てて開き、その背後から現れたのは、一人の男だった。

 ここは庭園は一般開放されていて、様々な人が利用される。そのため、利用者が訪れるのは問題ない。ヒナも確認しただけで、

 

「それでね、続きなんだけど――って詩絵?」


だがその人物をみて驚きのあまり私は身じろぎした。


「――俺が来たことにそんなに驚いたか?だが、あの方が仰ったタイミングは、ばっちりだな。それにしても本当によくできている」


 その男ははヒナのほうを見て言った。彼の言葉は意味深で、何を指しているのかが分からなかった。まさか――。


「……どうしたの、詩絵?」


「私、あの人知ってる……」


 その男は私がよく知る人物だった。彼はあの日、ヒナを追跡していた人物――。


「――田中!」


「ほうっ、よく俺の名前をご存じで。――そうか、あの時、俺らの話を盗み聞きしていた子猫ちゃんは君だな?」 


「ついに見つけたぞ、旭川ヒナ。俺がその続きを言ってやろうか。村雲財団の試作機プロトタイプなんだろ?」


 


 

 

 

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