第18話 新たな旋風

 ――チチチッ、チチチッ。


 携帯の6時のアラーム音がなる。その電子音は私の意識へ介入し、深い睡眠から私を引きずり出そうとしてくる。だが、その程度では私の意識は浮上しない。まだ深く深く、深いところを潜ったままだ。

 アラーム音が鬱陶しくなり私は目をつむったまま、携帯を触ると画面を操作し、スヌーズボタンに触れる。アラーム音が止まり静かになった。

 ――よし、これであともう少し眠れるぞ……。


 だが、スヌーズはおそらく十分程度だろう。それはこの幸せな時間のタイムリミットを示す。

 私は意識をまた深く潜らせようとした時――。


 「――詩絵、そろそろ起きなさい!今日学校でしょ?遅れるわよ」


 ドア越しにお母さんの声が聞こえた。ドアの外ではバタバタと忙しそうに動き回っている音がする。なんで朝早くから慌ただしいの?

 

 というか……が、学校? 今日からだっけ? 秋休みはまだ……いや、でも昨日の夜、秋休みの課題を確認したから――もしかして。

 

 不安がよぎる。この嫌な予感を糧にすっと意識を浮上させ、一旦覚醒させる。安らかな眠りを確保するために確かめないといけない。重いまぶたを無理やり開け、枕元にあるはずの携帯を探す。

 えっと……日付は――。


 10月24日(月)6時16分。


 ――月曜日……!本当に今日から学校じゃん!


 私は布団を跳ね上げると、ベットから転がり落ちる。落ちた時の痛みで意識をはっきりさせる。

 学校がある時は身支度などの朝の準備があるため、早く起きなければならない。休みの期間中はだらだらと寝ていて――遅くとも7時半には起きていたが――普段のゆっくりするリズムに体が慣れてしまっているため、学校が始まるとそのリズムをもとに戻さなければならないため、きつい。

 それなら、朝早く起きられる裏技――『明日は6時に起きる、明日は6時に起きる』って寝る前に念じておけばよかった。

 もう後悔しても遅い。でも6時半までに起きられたので良しとしよう。

 洗面台に向かうと、急いで顔を洗う。だが、洗顔後の保湿は忘れない。しないと肌が乾燥してニキビができやすくなる。

 私の髪の毛はボブヘアなので、髪の長さが短く、スタイリングにはあまり時間がかからない。そもそも校則で髪を巻いたりはできないが、寝癖を直しても直らない癖っ毛があり、特に毛先が少しはねやすいのでその癖を活かしながら整える。

 ここまでやって7時前。順調だ。あとは起きる時に跳ね上げてしまった布団をきれいに整えて、制服に着替える。このペースで行ければ登校時間には間に合うだろう。朝食はゆっくり食べられるぞ――。

  もう一度、鏡を見て身だしなみを整えた。

 

「よし……準備完了!」

 

 私は部屋を出て階段を下りてリビングに向かった。

 

「おはよう、詩絵」

 

「お姉ちゃん、おはよー」

 

 朝ごはんを作っているお母さんとソファでくつろいでいる姉――まどかがいた。お父さんはまだ寝てるみたいで姿はなかった。


 「起きれたわね。良かった」

 

 朝食のいい匂いを充満させながらできたばかりの料理を運ぶお母さんにも、おはよう――と朝の挨拶をすると、私も料理を運ぶのを手伝った。


 「今日から学校ね。準備はもう大丈夫なの?」


 いつもより朝が早いから大変そうだと感じたのだろう、お母さんは心配してくれる。


 「うん、大方準備の方は終わっているから大丈夫だよ」


 朝は血圧が低いこともあって、起きたばかりは大変だったが体を動かしているうちに頭も働くようになった。また秋休みも短かったためか、朝の準備のルーティンは覚えていた。だが、これがいつまで続けられるのやら――私は三日坊主だからな……。

 朝食を食べ終わると、時間も7時半になっていた。学校は8時15分に朝礼が始まるので8時には学校に着いていれば問題ない。だけど、学校まで自転車で15分くらいかかるからそろそろ出かける準備をした方がいいな――意外とあまりゆっくりしていられないので立ち上がると玄関に向かった。

 靴を履いていると、片づけを終えたお母さんが玄関まで見送りに来た。もちろん姉は来ない。ソファで寝っ転がっているのだろう。


 「詩絵、いってらっしゃい」


 「いてらー」


 「行ってきます。……あ、お父さんは今日は仕事無いの?」


 姉がいるリビングを向きながら、お母さんに聞くと、


 「今日はお休みなんだって。仕事で疲れているから起きられないのかな?それにしてはまどかは早く起きたわね――ふふ、詩絵がいるからかな?」


 少し茶化すような口調で返された。そんなんじゃないと思うけどね……。

 玄関を開ける前にもう一度だけ振り向くと、 姉が手をあげながらこちらを見ていて目が合った。寝ぐせでぼさぼさの髪の姉を見るといつものビシッとした覇気がなくてなんだかおもしろい。

 そういう時もあるのだろう。私は学校へ行くが、姉とお父さんはゆっくりしてくだされ。


「行ってきます!」

 

 そうして、私は家を後にした。


 

 いつも通りの通学路を歩く。私の中には大きな変化があったのに町並みは変わらない。そういうときって何か不思議な感じがする。自分だけ前に進んだような――そんな感じがする。

 学校に着き、玄関をくぐると外よりも冷え切った冷気が私を襲う。


 「さむっ」


 秋が終わり、冬に近づこうとしているのだろう。季節の変わり目というのは普段なかなか気づかない。行事が終わって気づくときもあるが、いつの間にか変わっているものだ。去年のこの時期は確かまだ暖かさがあったが、今年はもう寒いようだ。

 ここまで寒ければきっと教室も暖房がついているだろう。早く教室に行って温まりたい。私はローファーから上靴に履き替えると、教室を目指して階段を駆け上がった。




 教室に着くと、暖房で温まった空気が私を包んだ。


 「ん~」

 

 ――最高、生き返るわぁ。

 

 教室内を見回すと既に何人かのクラスメートが集まっていた。彼らも休み明けで少し緊張している様子だったが、その緊張を紛らわすかのように休み中の話や近況の話題で盛り上がっていた。私は自分の席に座り、カバンから必要な教科書やノートを取り出して机の上に並べた。

 

 「おはよう、詩絵!」


 隣の席に座る友達、ゆかりが笑顔で挨拶してきた。彼女とは小学校からの付き合いで、いつも明るくて頼りになる友達だ。


 「おはよう、ゆかり。休みはどうだった?」


 「そうね、私はまぁ普通に過ごしたよ。お?でも、なんだか詩絵は何か楽しいことがあったみたいだねぇ――私の目はごまかせないよ?」


 ――え、ゆかり怖い。察しが良すぎないか!?


 私は緊張を覚えた。一瞬体が熱くなって体が冷える感じ。人間って面白いなとつくづく思う。言葉で発していなくても相手に自分が考えていることが伝わる瞬間がある。それは伝えようと思ったときは伝わらないけど、無意識下の時、伝わってしまうことがある。表情を見て感じ取っているのか、本当にテレパシーみたいな脳波が出ているのか、何を感じているのか分からないが。

 それでも私はなんとか平静を装って無邪気な笑顔で「そんなことないよ」と答えた。ゆかりは――もしかして男でもできたのか?詳しく、詳しく!――と気になる様子だったが、それ以上は聞かれないように何とか笑って話題を変えた。

 次第に教室には他のクラスメートが入ってきて、朝の賑やかさが増していく。8時15分になると、先生が入ってきて朝礼が始まった。

 授業もいつも通り進み、放課後へのカウントダウンが近づいていく。

  いつもみたいにこうして考えていると、また学校生活が始まったのだな、と感じる。

 だが、いつもと違うことは――。

 ――授業中もずっとアーカロイドのこと考えていた。

 

「そういえば、まだ三輪さんから連絡が来ないな……」


 調整中のアーカロイドはどうなったんだろう。博士と連絡がついたのかな。また学校が終わって帰ったら三輪さんに連絡してみよう。

 



 ――キーンコーンカーンコーン。



 チャイムが鳴り響き、放課後がやって来た。テニス部のゆかりは部活に参加するため、テニスコートへ向かわなければならなかった。私も彼女と途中まで一緒に行こうと思い、彼女の後を追って歩いた。やがて、テニスコートの周りがなにやら騒がしい雰囲気に包まれている。テニスラケットがボールを打つ音と、観客たちの歓声が空気を満たしていた。


 「何かあるのかな?」


 ゆかりが興味津々で話す。私たちは覗いてみることにし、テニスコートに近づいた。見物人たちの間を縫って、私たちは何とか最前列に立つことができた。目の前に広がっていたのは、息をのむような女テニ――女子テニスの試合だった。彼女たちのプレイは圧巻で、周囲の観客たちも夢中になって観ていた。お互いに繰り出すショットが次々と交錯し、歓声はさらに大きくなる。


 香奈先輩と――その相手は誰だ?


 対戦しているのは、テニス部のエースであり部長の3年生の香奈先輩と、見慣れない少女だった。香奈先輩は選抜大会で活躍したことがあるほどの腕前で、女帝という異名を持っていた。その彼女が繰り出す鋭いショットに対し、見知らぬ少女は見事な反射神経とスピードで飛びつき、返していた。


 「飛び入りの新人すげぇ!」


 「あの女帝と互角に打ち合ってるぞ!」


 観客たちの驚きの声が飛び交う。その中で私は、あの少女が誰なのか理解し始めていた。

 

 ――あの人は。


 その彼女の顔立ちと日が当たるとピンクベージュに見えるセミロングの髪を持つ少女を私は知っている――。彼女は紛れもなく、旭川ヒナだった。

 


 


 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る