甘酒とおいなりさん

 地元の稲荷神社で月に一度開かれる市がある。

 地場産品や骨董品、手作り品や地元商店の総菜などの出店でにぎわっている。

 キッチンカーは出張ってこないが、地元有志の簡易食堂や社務所で氏子が作ってふるまう甘酒とおいなりさんはいつも大人気だった。


 蚤の市、マルシェ、地場産市、ぼろ市、呼び方はさまざまだが、端万子はそうした市をひやかすのが好きだった。

 手仕事好きであれば、たいていそうだろう。

 真新しい材料を使って作るのも気持ちのいいものだが、人の手を経てこなれた布や糸は、しっくりと手に馴染むのだ。

 それに手染めや手紡ぎなどで素材から自分で作る人たちの作品を見るのも楽しい。


「先生、左貫さぬき先生じゃないですか」


 呼び止められて端万子は足を止めた。

 左貫は端万子の旧姓だった。

 久し振りにきいた自分の元の名字は、端万子の胸になつかしく響いた。


「ご無沙汰してます、先生、私のこと覚えてますか」


 小首を傾げた彼女は隣り町の教育大付属中学の名の入ったジャージを着ている。

 とは言え中学生には見えない。

 どう見ても二十歳前後だ。

 誰だったかと記憶をたどりながら端万子も小首を傾げる。


「ええっと、私、先生のお教室に通ってた三輪野です」

「え、ああ、るりさん、三輪野るりさん」

「はい、三輪野るりです。ぶきっちょでこらえ性がなくて、先生にはたいっへんお世話になりました」


 三輪野るりは、にこっと笑って小さく舌を出した。


――ああ、このくせ、小学生の頃から変わってない――


「放課後子どもクラブの手芸教室の生徒さんだったのよね」

「はい。私は外遊びが好きだったんですけど、母があなたも少しはお部屋で落ち着きなさいって登録しちゃって、って、ああ、ごめんなさい、あの、先生やさしかったから、それに、手芸も好きだったんですよ、あんまりうまくできなかったけど」


 早口でまくしたてるようなあせってるような話し方。

 思いつくままにしゃべるから、収拾がつかなくなっている。

 それも変わっていない。


 作業の途中で家庭科室の大きな机につっぷしてたぬき寝入りをしたり、作るもののデザイン画の代わりに当時流行していた魔法少女のコスチュームを自分アレンジして描きなぐっていた少女。


 端万子はようやく思い出して相好を崩した。


「久しぶりね。お元気そうね」

「はい、元気です、私はずっと元気です」

「そう、でも、いくら元気でも若返るってことはないわよね」


 端万子が三輪野るりのジャージの胸元を見て言った。

 三輪野るりは、あっと、気がついたという風に学校名を指さした。


「これ、ここ、今バイトで行ってるんです」

「アルバイト? 学校で?」

「はい、部活の外部指導員です」

「学生をしながら?」

「はい、今二年生で、来年教育実習に行く予定の学校なんです」


三輪野るりはラケットを降る仕草をした。


「テニス部?」

「はい、軟式テニスです。今日は早く終わったんで、腹ごしらしてから帰ろうと思ってここに寄ったんです。部活の指導や自分の試合でいつも土日はつぶれてるので、滅多に寄ることはできなくって」

「そう、じゃあ、今日は大当たりね」

「え、はい、大当たり、って、ああ、もしかしたら、先生おごってくださるんですか、やった、大当たり!」


 端万子は思わず笑い出した。


「そうね、大当たり、私もあなたに会えて、なつかしさを感じて、ほっこりした、ありがとう」


 久し振りの恩師に再会していきなりご馳走になるという暴挙ではあるが、三輪野るりの天然っぷりに端万子は嫌な気はしなかった。

 他意のないそのまんまの気持ちを三輪野るりはぶつけてくる。

 小学生の頃から変わらない。


「何にしましょうか。いろいろな出店があるみたい」

「ええっと、甘酒とおいなりさんがいいです」

「それだけ? もっとおなかにたまるものでもいいのよ」

「ここお稲荷さんだし、なんか、先生とは、和風の甘いもの食べたいなって」

「そういえば、放課後子どもクラブで着付け教室をしたわね」

「帯で遊んで怒られました」

「そういえば、そんなことがあったわね」


 端万子は笑い出した。

 一度気持ちがほぐれると笑いが止まらなくなった。


「ああおかしい、思い出した、三輪野さん、金糸銀糸の帯をくねらせてドラゴン退治ごっこをしてたのよね」

「そうです、そうです、きんきらきんの帯がかっこよくって強そうで、これはもう絶対にドラゴンだって思ったら、戦わずにはいられなくなったんです」

 

 そう言って三輪野るりは、はっと口を両手でおおった。


「ごめんなさい、帯から金や銀の糸がほつれてきちゃって、先生にはご迷惑をおかけしました」

「あなた、ちゃんと繕い直すの手伝ってくれたじゃない」

「それは、だって、先生怒らないから、なんか、そばにいてあげなくちゃって思ったんです」

「まあ、そう、反省したわけではなかったの」

「反省は、ええっと、しました、多分、してたと思います」


 三輪野るりは頭をかきながら弁解した。


「あ、あそこ、ベンチ空いてるから席とっておきますね」


 照れ隠しのように言うと三輪野るりはさっと走っていった。


「甘酒とおいなりさん、社務所の出店だったわね」


 端万子の足取りは浮き立っていた。








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