普通でないものをそばに

 朝市広場の一角には、ベンチやパラソルテーブルの置かれている飲食コーナーがある。朝市には、地場産品で作った食事ものを販売する店も出ているのだ。

 一店は和惣菜とおむすびをパックにした朝ごはん弁当、もう一店は昔ながらのパン屋で卵、ハム、チーズのサンドイッチやコロッケやメンチカツのコッペパンサンドを並べている。

 和菓子屋も出ていて、豆大福や草餅、みたらし団子にすあまといった昔ながらのおなかをくちくする和菓子がお年寄りによく売れている。

 そこで買った弁当や総菜、餅菓子などで朝食をとっている家族連れをよく見かける。


 よく買っていた弁当屋の前を通る時、叶恵はちらりと視線を移した。本日のお弁当は、新鮮卵と小口切りの浅葱あさつきの甘い卵焼き、鮎の甘露煮、折り菜の煮びたし、きゃら蕗や梅干を入れたおむすびだった。そのまま食べていく人には、自家製ほうじ茶をサービスしてくれる。

 いつもなら二人分買って休日のブランチにするのだが、その日の叶恵は両手に抱えた猫ちぐらで手がふさがっているので買うことはできなかった。


「おなかへってない。確か、ピザがあったから、それを焼けばいいわね」


 そうつぶやくと叶恵は、持ち歩くうちに重くなってきた猫ちぐらを置きたくなって、空いているベンチに腰掛けた。猫ちぐらはパラソル付のラウンドテーブルの上に置いた。風呂敷きに包んだ猫ちぐらをぽんぽんと軽く叩くと、中から同じように叩く音が返ってきた。


 返答があったことに驚いて、叶恵は風呂敷包みを解くと、しげしげと猫ちぐらを眺めた。狭くて暗い所が好きな猫のために、出入り口は猫一匹が通れるくらいの大きさしかない。

 そこから中を覗くと、石と岩の間くらいの大きさの塊が見えた。

 今は生きているようには見えない。

 生きものではないが、泥をこねてかたどった人形が膝を抱えて眠っているように見える。

 返答をしたのだろうか、この塊が。


 店主の語りがよみがえってくる。

 淀みない口調で勧められた時のことを思い返しているうちに、だんだんこれはただの塊ではなく、人の形をしているように見える、人の形をなぞった妖怪泥田坊。

 だからさっきは顔があるように見えたり、呼びかけられる声が聞こえたりしたのだ。


「話術にはまって買ってしまったけれど。気の迷いだったかしら」


 叶恵は急に目の前の猫ちぐらを持ち帰るのが億劫になってきた。

 座っている膝にのせて重石にするにはいいかもしれない。

 普通でないものをそばに感じていれば、浮いてどこかに行ってしまいたくなる、そんな気が紛れるかもしれない。

 けれど、持って帰るには、重いのだった。

 ため息をついて猫ちぐらの中をもう一度のぞくと、塊がもぞもぞとうごめいていた。

 叶恵はぞくりとして、慌てて猫ちぐらを風呂敷で包み直してきつく結びつけた。


 このまま返してしまおうか。

 叶恵は迷った。

 自分でもわけのわからない衝動で気になって求めてしまったが、それは、これ自体に何か魔の力があるからではないか。


 店主の愚痴めいた言葉がよみがえる。


「今日引き取り手がなかったら、お祓いの専門業者に渡そうと思ってるんですよ。

 ええ、猫ちぐら自体もだいぶくたびれてますしね。

 何より、中身が、あれなもんで。ごみに出すなんてのはもってのほかですし、そこらに転がしとくのも障りがありそうですしね。

 妖怪の子が入ってるってことで、物珍しがって引き取ってくれるお客さんがいるかと思ってたんですがね。

 景気があまりよろしくないのか、これについては話しかけてくる人もいなくて。

 お客さんが初めてだったんですよ。

 縁のある物と人は惹き合うって言いますからね。きっと、お客さんのお役に立つんじゃないですか」


 妖怪の話や猫の話の合間に、店主はこんな語りを細々とはさみこんで、叶恵の気持ちをしっかりこの猫ちぐらに留め付けてしまったのだ。

 叶恵もわかっていたが、自分の気持ちの所在なさを紛らすために、普通でないものを欲したのだ。


 弁当は買わなかったが餅菓子は買ったので、叶恵は猫ちぐらの横に笹の葉で包んだ餅菓子を置いた。笹の葉の青いすんっとする匂いが心地よい。空腹を覚えて一つ口に入れた。白くやわらかなもちの中身は白味噌あんだった。


「やわらかくて赤ん坊みたいな肌って言うけれど、この子は真反対ね」


 笹餅を味わいながら、叶恵はつぶやいていた。

 意識的につぶやいたのではなく、無意識のうちにつぶやいていたのだった。


 叶恵は笹餅を食べて熱いほうじ茶をすすった。

 食べながら妖怪の子はおなかはすかないのだろうかと思った。

 店主がサービスしてくれたささら飴は食べると言っていた。

 

 石や岩は、注連縄をかけられて祀られることもある神聖な存在である。

 妖怪だったら注連縄をかけたら封じ込めになってしまう、何も悪さをしないのだったら封じ込めはかわいそうだ。


 宝石の原石のようにも見えたではないか。

 鑑定士に見せて原石だったら磨いてインテリアにしてもいい。

 開運グッズでよく見かけるような仰々しい飾りにはしないで、流木や山野草と一緒にアレンジメントフラワー風にしよう。

 シューズケースの壁にリトグラフを飾って、そこにディスプレイするといいかもしれない。

 ほつれの目立つ猫ちぐらも、自然素材の稲藁製だから、そこに一緒に飾っても違和感はないだろう。


 いつしか厭う気持ちが薄れていって、ちゃんと持ち帰ろうという気持ちが戻ってきていた。

 怪談話に出てくるような妖怪の子だとは、叶恵も元より信じてはいない。

 ただ、普通でないものをそばに置きたいという衝動が叶恵を突き動かしたのだ。

 その衝動が戻ってきたのだ。


 普通ではないもの――考えを巡らせるとそこに戻ってくる。


「ドロタボウ、ね。子どもだから、坊や――ドロタボウヤ」


 そうだ、いっそのこと、帰ったら顔を描いてみよう。

 ストーンアートにしてしまおう。

 気味の悪い顔が浮き出ても、それは背けて、自分で描いた愛嬌のある顔を見るようにしよう。

 猫ちぐらにおさまっているのだから、猫の顔にしてはどうだろう。

 少し粘土を足して耳をつけてもいいかもしれない。

 まさか、親――生み主の妖怪が迎えに来ることはないだろう。


 叶恵は良い考えを思いついたと気が晴れて、ねこちぐらを抱えて家路についた。






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