膝の上の重石

「これ、本物ですか」


 叶恵は思わずたずねた。

 店主の話を聞いているうちに気分が悪くなったが、それでも妙に気になるのだ。

 もちろん、つくりものでも気味が悪いのに本物の妖怪だったらとんでもない。

 とんでもないが、嫌な気はしない。

 いずれにしても正体を知りたいと叶恵は思った。


「ええ、まあ、それは」


 ひるんだ様子の叶恵に、口ごもりながら店主は売り時を逃すまいと策を巡らせている。

 分厚い日めくりのような大福帳もどきの目録をおおもむろにめくって、何か調べている。

 叶恵がのぞき込もうとすると、「これは商売道具なんで、ご勘弁を」と時代劇口調でやんわりと言って片手で叶恵の視界をさえぎってしまった。

 仕方なく叶恵は猫ちぐらにおさまっている塊をもう一度覗き込んだ。

 表面には何も浮かんでいない。

 怪しい気配もしなかった。


「ね、ねこ、ねこお座布、ねこ棚、猫、と」

「ネコオザブ? ネコダナ? 」


 聞きなれない名称に、叶恵が首をひねる。


「猫は昔から人間の生活にちゃっかり入りこんでるんでね、その地方独特の猫専用の品があるんですよ」


 確かに犬と違って猫は人家に出入り自由だ。

 猫嫌いな人に追われることはあっても、ほとぼりがさめるとしれっとして縁側に丸まっている。

 そのしれっとしている所が気兼ねがなくていいのかもしれない。


「ネコオザブにネコダナ、それも、手作りですか」

「そうですな、まあ、そうです。一から猫のためにというよりは、人間の使ってたものや使ってるものに、ちょっくら手を加えたものが多いですよ」

「そうなんですか」

「ネコオザブは、猫専用のお座布団。お寺さんに出す用の絹地のふかふかの座布団が好きでね、猫ってやつは。お経をあげてもらった後に、庭で天日干ししてるとちゃっかり眠りこけてるってあんばいで。あんまり気持ちがよさそうなので、人間もつられてうたた寝を始める始末」


 店主の舌が滑らかにまわり始めた。


「毛だらけですね。客用座布団が。それに、爪とぎしますでしょ」


 話にひきこまれて叶恵が言った。


つくろいもの屋に頼めば、うまく直してくれますよ」

「かぎざきを直すようにはいかないんじゃないですか」


 繊細な絹地に猫が爪をひっかけたら、どんなに腕のたつ繕いものやでも元の通りには直せないんじゃないかと叶恵は思った。


「そうそう、お坊さんの座布団と言えば、」

 

 と叶恵は言葉を継ぐ。


「お経をあげた後じゃ、お線香臭くなってますから、猫はいやがるんじゃないですか」

「それが、そうでもないんですよ。猫ってのは存外食い意地がはってますからね、ちょっとでもうまそうなものがお供えしてあったら、そろっと仏壇の収納棚に入り込んで、こう、っとうまい具合に手を伸ばして、饅頭やら落雁やらを引き寄せようとするんですよ」


 店主は右手をくいくいっとかく真似をしてすまし顔で答えた。


「猫って、そんなに器用でしたか」

「器用なような不器用なような。菓子を狙うのに夢中になって、お供え台どころか花入れまでひっくり返して水浸しにして大惨事、なんてことはままあることなんですよ」


 大変なことのわりにはうれしいそうに店主は話している。


「猫、お好きなんですね」

「生きものはたいてい好きですよ」

「生きものはたいてい、ですか」


 叶恵の言葉に店主はうなづくと、両手を耳の上に当てて手を握ったり開いたりして招き猫のような仕草をした。

 おどけた仕草に思わず叶恵は笑ってしまった。


「ネコダナは、もしかして、高い所が好きな猫のお昼寝場ですか、吊り棚みたいにした」

「ご名答、猫お好きですか」

「いえ、動物はあまり」

「そうですか」

「でも、猫は、犬と違って番もしなくていい、ただいるだけで歓迎されるというのがいいですね。ネズミを捕るのは遊びみたいなものですし」


 店主は、ほうっと目を細めて、叶恵が組んだ両手の指同士を第一関節のところで擦り合わせているのに目を留めた。左手首の細いバンドの腕時計の針を気にしているようだ。無意識の仕草に彼女の気持ちがにじみ出ている。

 そろそろ帰らなければならないのだろう、家で待って出迎えるのが彼女の日々の習わしで、それをしないことに罪を感じる、彼女の日常が垣間見える。

 ここらが潮時だと思い店主は、話題を元にもどす。

 

「本物ですよ。その猫ちぐらを天日干ししてたら、そいつがおさまってたんですよ」


 開いた目録を叶恵の前に差し出して店主が言った。

 品目のところに「猫ちぐら」と記されていて、簡素ながら品物の様子がきちんとわかる筆絵の猫ちぐらが描かれている。一つは空で、もう一つには中に丸まって寝ている三毛猫がいる。それから、靴の中敷きのような薄い丸い布も描かれている。どうやら猫ちぐらに敷くものらしい。稲わらのちくちくした部分を防ぐのだろう。

 叶恵はじっくり眺めてから、店主を見た。


「泥田坊って妖怪だって言ってましたよね。いるんだかいないんだかわからないものですよね。猫ならかわいいですけど、そんなわけのわからないものごと持って帰るのは、ちょっと」


 店主は、自分の受け答えが叶恵の購買意欲を削いでしまったのかと、口をへの字に曲げた。


「昼間は正体を隠してるんですよ。暗闇を好きなものは、みんなそうでしょう」


 店主の切り返しに、叶恵は、そういえばそうかもしれないとうなづく。

 言われてみれば、妖怪も幽霊も、物好きなもの以外は闇で息をしている。


 以前の叶恵であれば、こんな他愛のないあやしげな商売人と言葉を交わすこともなかっただろう。

 だいたいいくら子どもだとは言え妖怪の子が、人間の膝の上に乗っかるようなかごに大人しくおさまっているはずがない。


 わかっていはいた。

 それでも、叶恵には必要だったのだ。

 妖怪でも、何でも、膝の上に感じる重みが。


 子どもが家を出、やがてしばらく世話をしていた縁者の預かり孫が離れ、一回りも年の離れた連れ合いは病を経てなお元気で趣味に付き合いに忙しく、親は世話をしたいと思う間もなく逝ってしまい、親友にも先だたれてしまった。


 ここしばらくの間に、気が付けば、叶恵には気のおける存在がまわりに誰もいなくなっていたのだった。


 みんないなくなってしまって、ぽかんと空いた膝の上に、叶恵は重石おもしが欲しくなったのだ。


 重石で抑えていなければ、ふらっと逝ってしまいそうな、そんな想念にとりつかれていたのだった。


 そうだった。

 思い出した。

 何をこだわっていたのだろう。

 愛玩動物ではだめなのだ。

 こまめな世話をすることで愛情を確認したいわけではない。

 自分の思うままにできるもの、それを膝に置いてくつろぎたい。

 だったら、これを持ち帰ればよいではないか。

 


「だっこだっこ」



 猫ちぐらの中から甘ったるい声がした。

 媚態ではない、ただ本能的欲求を満たそうとする時に赤ん坊が発する甘えの音質だった。


「今、声がしませんでしたか」


 妖怪が人の言葉を話すとは、と叶恵は固まってしった。

 妖怪が人の言葉を話すことは、人を惑わすためにあることなのだと、怪談話には興味のない叶恵は思いもつかなかった。


「ああ、したかもしれませんね。お客さんには聞こえましたか」

「子どもが甘えるような声が、だっこして、って」


 店主は、おっかなびっくりながらも、猫ちぐらを、中でうずくまっているあやしげな塊を、叶恵が自分のものにしたがっているのを感じとった。

 そこですかさず言葉を続けた。


「これもサービスしときますよ」


 店主は竹ひごの束の先に色とりどりのさらし飴を付けたささら飴を差し出した。


「こうやって振ってやると喜びますよ」


 店主がささら飴を振ると竹ひごに付いている飴の色がゆらいできれいだった。


「なつかしいお菓子ですね」

「ささら飴です」


 叶恵は受け取ると振ってみせた。


「欲しがったら、一つあげてください」

「欲しがったら、って、妖怪が飴を食べるのですか」

「生きものですから、食べますよ」


 叶恵は少し考えててから言った。


「なつくでしょうか」

「なつきますとも。望まれているとわかえれば」

「望まれている。私は、これを自分のものにするのを、望んでいるよに見えますか」

「はい。なんだかんだ言いながら、それをずっと気にされてますから」


 叶恵は、両手で猫ちぐらを持ち上げてみた。

 重かった。

 持って帰れるだろうか。


「お届けもできますよ」


 店主が提案する。


「そうですね。でも、自転車で来ているので、荷台に載せて帰ります。

 

 叶恵はそういうと、持ってきた風呂敷を「包んでください」と言って店主に渡した。


「かわいがってやってください」


 店主の言葉が最後の一押しとなった。


 叶恵は奇妙なそれ――泥田坊なる妖怪の子入りの猫ちぐらを買ってしまった。


 衝動買いだった。


 欲しいと思っても、散々悩んで買うのをやめることがしばしばの叶恵には珍しいことだった。


 欲しい心が、自制する心に勝ったのだ。








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