第22話 白き神と黒き神

 暗がりの空から、何百もの病的な蟹どもが飛来する。全長1.5m程の四足歩行の生物群、虫のような足と奇妙で不完全な羽を持つ彼らは器用に宙を飛んでいる。

「ブンブン」

「ブーンブンブン」

「ブンブンハロー」

「ブブンブブンブン」

 何本もの触角が生えた頭を振りながら、珍妙な音波を発し、彼らは会話している。怪物たちはマイノの周りをぞろぞろと囲い、彼女の顔の辺りに触角を伸ばした。

「ごめんね。忙しい中、わざわざ来てくれてありがとう」

「ブンブ?」

「報酬は弾む。だから助けてくれないか? あそこで倒れている人間のことも頼むよ」

 彼女は気絶する龍牙の方をさしながら、不気味な生命体どもに指示を下した。

「ブンブン! ブンブン!」

「それじゃあ頼むよ、ミ=ゴ諸君!」

 奇妙なことに、怪物たちと彼女の会話は成立していた。彼らはマイノの要求を受け入れ、かつてノアであった黒い神に一斉に襲いかかる。

 慌ただしい羽音をたてながら、蟹のような鋏で赤き怪物を切りつける。地を這う者と空を飛ぶ者、連携を取りながら止めどない攻撃を加えている。人間が食らえば一撃で死に至る程の猛攻を、怪物となったノアは受け続けるが、何度全身を破壊されようとその体は無限に再生し、ダメージは皆無である。

 黒き神の残虐な口から発っせられる乱暴な咆哮は、全ての生物に死の恐怖を抱かせる。迫り来るミ=ゴたちを捕まえ、次々に口へと運ぶ。屈強な甲殻を噛み砕き咀嚼しながら、また次の獲物に喰らいつく。

「ブンブーン! ブン……」

 頭部を破壊された個体は泡のように溶け、消滅する。ミ=ゴたちは仲間の死を悲しむことも、自らの死を恐れることもせず、ひたすら敵に向かって行く。

 しかし、初めの内は地を覆い空に影を作っていた彼らの数も、徐々に減少していた。いくら数が多いといえど、その攻撃力では再生速度に追い付くことができず、ひたすら劣勢に追い込まれるばかりであった。

「ブ……ンー!」

 最後の一匹がノアに頭部を喰い千切られ息途絶え、これをもって何百のミ=ゴは全滅した。それでも悪しき神の食欲を止めることは出来ない。卑しく食を求め続ける怪物はマイノの方に殺意を向けた。

「呆れた……まさかここまで役にたたないとは。名前の通り本当にゴミだね」

 仕方がないと言わんばかりに、彼女は自らノアの前に立つ。

「愛する君を傷つけたくないが、仕方がない」

 白い軍服の袖を捲り上げた彼女は、髪を結ぶと再び鍵を取り出した。

「疲れるけれど、僕も戦うよ。君と同じ舞台に立つためにはこうするしかないんだ」

 今度は銀の鍵を腹部ではなく、眉間の辺りに突き刺す。普通の人間には出来ない芸当である。

「第二拘束解除 自らの解放……極限神化」

 其処に白き神が降臨した。髪色と同じ美しい白銀の表皮が、体を覆う。最早、彼女は人ではなく神子に近い怪物である。それはまたノアも同じ。ここに人外の戦いは成立した。

 彼女は肩を回しながらステップを踏む。どうやら彼女は自我を失っていないようだ。

「実は結構好きなんだボクシング。あまり知られていないが、近代ボクシングを競技レベルに昇華したのは英国人なんだよ。故に品があり素敵だ」

 華麗な一撃が怪物の顎を打った。白く美しい腕から放たれる怪力に異形の顔面が、さらに醜く歪む。

「へばるなよ。まだ始まったばかりなんだから」

 続け様に放たれる拳、パンチが当たる瞬間に全身を捻り威力を大幅に上げる技、コークスクリュー・ブローが頭蓋骨を破壊し怪物をノックアウトする。

「君とこうやって戯れたかった。楽しいねノア」

 白い怪物は赤黒い怪物を張り倒し、赤面するかのようにグロテスクな顔を隠した。

「いつかの夜、一緒に星を見たのを覚えている?」

「あぁ、忘れもしない」

「僕は昔から天体観測が好きだった。沢山綺麗な星を見てきたけれど、何光年も先にあるそんな物に、本当の価値はないと君に気付かされた」

「……」

「どんな星より美しい君の青い瞳を見ていると、どうしようもない気持ちになる」

「……」

「これが恋なのかな?」

「……」

 教会の天井は龍牙とマッケンジーの激しい戦闘により損傷し、夜空が顔を覗かせている。星々の下で怪物たちは交わった。

 カマキリや蜘蛛は交尾の際に、メスがオスを食べてしまうことがある。「食べる」という行為はある種の究極的な愛であり、契りである。食欲と性欲が混ざり合う泥のような時間が延々と流れる。欲に忠実であるという点では人間らしいが、その有り様は人間の性交とはかけ離れており、あまりに醜悪である。

 しかし、それをとやかく言って邪魔する者は誰もいない。蒸し暑く長い夏の夜が明けるまで愛は育まれ朝焼けの頃、二人はすっかり人間の姿に戻っていた。

「ノア、もう餓えてない?」

「満たされてる。マイノのおかげで」

「良かった」

 彼女はにっこりと笑うとノアの肌にそっとふれた。

「もうすぐ救助が来る。二人だけの時間もおしまいだね」

「俺を大審院に送った後、マイノはどうするんだ?」

 声には少しの不安が籠っている。

「安心して。ずっと一緒だよ。ノアが願うこと、一緒に叶えよう。それが復讐であっても……この先にどんな辛い運命が待っていても、僕は喜んで協力する」

 プロペラ音が近づいてくる。二人だけの時間が終わりを迎えるのを惜しむように、彼らは顔を見合わせた。再度口付けを交わし、見つめ合った赤と青の星。朝日に照らされる彼らの横顔はあたかも、神話の神々のようであった。


 こうしてツァトゥグァ秘密教団は壊滅し、今件は解決した。ノアとマイノは無事に大審院本部に送り届けられたのであった。


 九頭竜第八頭・マッケンジーの訃報は各地の関係者に直ちに伝えられた。

ここは帝星にある世界一のカジノ街 ルナティック・ビースト・タウン

 派手な白のスーツと最高級の宝飾を身に付けて男は盛大に笑った。

「あの老害が死んだかぁ! そろそろ俺たちも動かねぇとなぁ! お前ら、例の薬は用意出来てるだろうなぁ? まずはこの国を取りに行くぞ」


 帝星ギャング組織の頂点に立つ男


 九頭竜第六頭・ムーンビースト


 世界を恐怖に陥れる計画が着々と進行していた。


第三章 完


 

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