婚活バトルロイアル〈後編〉

 手綱は、弛緩していた温かい気持ちが、薪をくべられて燃え上がったような気がした。


 生まれて初めて、人から好きだと告白された。

 僕のことを好きになってくれる人がいたなんて。


 花麒麟さんは、勇気を出して、僕に告白してくれた。

 僕にポイントを支給してサポートしてくれたり、こんな豪華なディナークルーズにも招待してくれた。


 ――「君は、学校の勉強以外で、たくさんのことを頑張ってきたんだから」

 ――「私は手綱のことが大好きだ。君のことを、心から尊敬している」


 それに、僕のことを認めてくれた。

 僕の今までの苦労をわかってくれて、僕のことをたくさん褒めてくれた。

 家族以外に、そんな風に僕のことを認めてくれた人はいなかった。

 花麒麟さんみたいに綺麗で、頼りになる人が、僕のことを好きになってくれたのは、奇跡的なことだろう。


 こんな幸運を逃したら、次はもう無いかもしれない。もう僕は、手持ちの運を使い果たしてしまったのかもしれない。

 僕は、花麒麟さんの気持ちを受け入れるべきなのかもしれない。

 僕には他に、僕を好きになってくれた人なんて誰もいないよね? そう思いながら、まぶたを閉じる。


 ――「さすがタヅナさん、お料理はお得意ですね」

 ――「また次回の授業参観でお会いしましょう。それまでご機嫌よう」


 脳裏に浮かんできたのは、月夜さんの顔だった。

 たしかに僕はこの学校に婚活目的で入学して、月夜さんともご挨拶した。

 月夜さんに黙って交際するのは裏切り行為だし、そうかと言って、月夜さんに何も言わずに退学するのは失礼だよね。僕を入学させてくれた人に対して、あまりにも不誠実すぎる。


 せめて月夜さんには、これまでの経緯を説明しないといけないと思う。

 そのことを、きちんと花麒麟さんに伝えよう。


「あの……僕も――」


 手綱の言葉を遮ったのは、バッバッバッバッ――と、プロペラが夜風を切り裂く音だった。

 鼓膜を叩いてくるような音源の方向を見ると、真っ赤なヘリコプターが迫ってきていた。

 サーチライトが海上を照らしながら、その光の柱をクルーザーの甲板へと向けてくる。


「あれは……我が社の……」


 緋色は暴風に舞う髪を押さえ、手を光の前にかざしながら、目の前で起こりつつある事態を把握しようと目を見開いていた。


『[花君候補生十戒 其の十 花君候補生による異性間交遊は、学内外を問わず禁止する。]!』

『そこの不良候補生2人組ィッ!! なんでこんなところで、イチャコラしてんだコラァァァッ!!』


 拡声器で叫んでいたのは風紀委員長の牡丹ミヤビと、手綱の保護者を自認している蓬莱羊歯ジュンだ。見るとヘリコプターの操縦席にはマリア・カサブランカがいた。


『社長、緊急の案件が入ったので、お迎えに上がりました』

「今日は休暇申請したはずだ!」


『ロンドンでインシデントです。さぁ、このまま羽田まで向かいましょう』


 黒いコンバットスーツに身を包んだジュンとミヤビは、ヘリコプターからクルーザーへとパラシュートを広げて降り立つと、特殊部隊さながらの機敏な動きでベッドの左右から2人を取り囲み、タヅナの身柄を保護したのち、ヒイロに救命胴着を被せた上で、ヘリコプターから垂れ下がっていたロープの金具と接続させた。


「ちょ、ちょっと待て! 何をするっ! 何をぉぉ――」


 ヒイロの体はヘリコプターの上昇と共に浮遊し、ものの数秒のうちに海上の遙か彼方へと飛び去っていった。


「ミッション・クリアー。こちらまで救助艇の出動を願います。オーバー」


 ジュンは、右の鎖骨あたりに装着したトランシーバーで、何者かに指示をしていた。


『了解。直ちに向かう。オーバー』


 スピーカーから聞こえてきたのは、熊の雄叫びのように重く響く声だった。


「もうアタシ、これから24時間、365日、タヅナのことを見張ってるからね」


 そう力強く言い放ったジュンの目付きは、暗殺者のそれに近かった。



  * * *



 そのヘリコプター騒動の翌朝6時。

 コインランドリーのように無数のドラム式洗濯機が横に並べられている洗濯室に、タヅナはいた。早朝家事訓練で自分の洗濯を終えるとすぐに、花フォンでヒイロから呼ばれたのだ。


「タヅナ、この書類にザッと目を通して、ここにサインしてくれ」

「何ですか? この書類は?」


 テーブルの上に置かれたのは、書類の山。


「今は説明する時間が無い。あとこれとこれと、これとこれにも――」

「はーい、不当な契約は破棄しまーす」


 2人の間に割り込んできた蓬莱羊歯ジュンが、書類を片っ端からビリビリに破いていくのを見て、ヒイロは訝しげにジュンを睨んだ。


「君は、私と手綱の友好関係を絶とうとしてくるが、目的は何だ? 君も手綱と付き合いたいのか?」

「アッ、アタシはタヅナのお姉ちゃんだからっ!」


「ダウト。戸籍謄本を調べたが、君の名字は[戦野いくさの]、本名は[戦野純]」

「なんで……それ――」


「愛内鐙にも確認済みだ。君とは口頭で、義理の姉妹の契りを交わしただけだとな。手綱とは姉弟でもなんでもない、赤の他人だろう? つまり、私と手綱の関係に口を挟む立場にいないのだよ、君はっ!」 


「タヅナ。休暇申請出してきたから、今からお家に帰ろ? お姉ちゃんたちと話があるから」

「えっ? あっ? ええっ?? 僕まだ家事が――」


 腕を組むヒイロをその場に置いたまま、ジュンの手に引かれたタヅナは何も荷物を持たぬままバスに乗って学校を出て、電車を乗り継いで実家へと帰ってきた。

 店の裏手側の玄関を開け、久しぶりに帰ってきた我が家は、多少の塵や埃などに目を瞑れば、思いのほか清潔さを保っていた。きっと、姉のイヌたちが日々掃除をしてくれているのだろう。


「ただいまー……って、この靴――まさかっ!?」


 ところが玄関口には、純の心をかき乱すような――異様に見慣れた――黒いハイヒールが揃えられていた。


「[33歳 独身 バーハード大学卒 経営コンサルタント 年収1億2000万円]。身長も180センチだし、顔もまぁまぁ。いーじゃん、コイツ。お見合いくらいはしてやってもいいぞ」

「承知いたしました。では彼にも連絡しておきますので――」


 店のテーブル席には愛内鐙と、スーツ姿の花麒麟緋色が座っていた。


「なんでアンタがいるのおおおおっ!!」


 その驚きと怒りの混じった声から考えるに、純は緋色に先回りされることを想定していなかったらしい。手綱はなんとなくそんな気もしていたから、苦笑いするしかなかった。

 2人の座っていたテーブルには、様々な小料理が並んでいた。きっと、厩お爺ちゃんがツマミとして出したものだろう。その厩お爺ちゃんは、昼間からビールを飲んで、顔を真っ赤にしながら上機嫌な様子だった。


「おお、久しぶりだなぁ、お前たち――」

「手綱、よくやった。よくこんな大物を釣り上げたな」

「身に余るほどのお褒めのお言葉、有り難き幸せ……」


 花麒麟さんって、敬語使えたんだ……。


「それと、手綱さんとの交際の件ですが、お許しいただけますか?」

「ああ、いいぞ。もし私の結婚相手が見つかったら、タヅナとお前との結婚を考えてやってもいい」


「おいババアァッ!! 裏切ったなぁぁぁっ!!」


 突然、席を立ち上がったラスボスは、中ボスの胸ぐらを右手で掴むと、その爪先が床から離れる高さまで軽々と持ち上げた。


「だったらオメェもよぉ!! 独身金持ちイケメンの1人や2人、ここまで連れてこいやああああ!!」


「あい、善処しゅましゅ」


 柔道四段である鐙お姉ちゃんに腕力で対抗できる人は、この場では花麒麟さんくらいなものだろう。


「手綱、今日は私もこの家に泊まることにしたんだ。『また』私の腕枕で寝かせてあげるからな」

「エ゛ッ!?」


「ヘイ、〈CAT GPT〉。『警察に捕まらずに人を殺める方法』を教えて」

『申し訳にゃいが、出来ないにゃん。人間関係で思い詰めている場合は、こちらの電話番号まで――』


「ああぁん、もぉイライラするぅ……。タヅナ! 学校帰るよっ!」

「わわっ……」


 しかし、学校に帰ったところで、タヅナは女子候補生から声をかけられることが多くなっていた。


「タヅナくぅ~ん、お料理教えてぇ~」

「ねぇ、ねぇ、タヅナくぅ~ん、これ味見してぇ~」


 一学期終業式で、制服の左胸に青い戦華勲章を授与されてからというもの、料理科の授業では教官のサポートをしたり、放課後の補習授業では担当講師を務めることになったからだ。


「あっ、はい、ごめんなさいっ――あっ、今行きます! ちょっと押さないで――」

「はいはーい、タヅナとの会話は2分までだからねー。次はアタシのターンだから」


 群れる女子たちを腕で押しのけながら、蓬莱羊歯ジュンは花フォンを据えた自撮り棒を握って、タヅナと同じ画面に映るように調節した。


「は~い、視聴者のみんなお待たせ~! 〈ジユンとタヅナのニコニコキッチン〉の時間だよぉ~。今日は何を作るかって言うと、お肌に嬉しい『コラーゲン参鶏湯』をご紹介していきま~す――って、ちょっとマリアさん、映ってる、映ってる!」


 編集の出来ないライブ配信であることもお構いなく、マリア・カサブランカはタヅナと同じ目線になるまで背を屈めた。


「タヅナさんのおかげで社長の健康指数が劇的に改善されました。つきましては、社員食堂のメニューをタヅナさんにアドバイスしていただきたいので、これから二人でお茶しに行きませんか?」


 胸元が大きく開いたデザインであるせいか、白いジャケットのボタンが弾けそうなくらいの大きな果実が、タヅナの面前で揺れていた。


「ええっとぉ……それはぁ……」


 ピィィッ――というホイッスルの音が教室に響いたかと思うと、マリアは横に押しのけられ、タヅナの前にパッツン前髪が特徴的な風紀委員長が現れた。


「よぉ、そんな、はしたない格好で外歩けまんなぁ。校則違反やろ」


 牡丹ミヤビが手に持っていたのはお味噌汁の入ったお椀で、それをレンゲですくっていた。どうやら食べてもらいたいらしい。


「タヅナはん、これ味見してぇな」


 一口すすると、京風昆布出汁の効いた上品な風味が口の中に広がった。ちょっと塩味が薄いかもしれないけど、懐石料理に出す汁物ならこれが正解な気もする。


「どぉ?」

「美味しいです――」

「せやろぉ? せやのに、なんでウチがアンタに10点も差ぁ付けられてまんのぉ? おかしぃやないの。キッチリ説明しぃやぁ!」


「ごっ、ごめんなさい……」

「はーい、アゲハのターン!」


 両肩を掴まれて力尽くで振り向かされた先にいたのは、制服を着崩し、派手なギャルメイクをした桃アゲハ、蒲公英たんぽぽワカバ、紅花べにばなツボミの3人組だ。彼女たち3人は、決まっていつも一緒にいる。


「あのねぇ、タァーくぅん。料理できないウチらでも簡単に作れて、どんな男の胃袋でも掴める料理ってなぁい?」


「うーん、肉じゃがとか?」


「ベタだけど、イイッ!」

「はいじゃー実演よろしく!」


「ええっ!?」


 無茶ぶりにも応えなくちゃいけない。タヅナが食材の下準備をして、レンジでチンするだけの時短肉じゃがを披露すると、


「うんまぁ~~~」

「ヤバァ……これ、ヤバァ……」

「これならウチらでも作れるっしょ」


 などとほっぺたを落としてくれる。こんな手抜き料理で喜んでくれるなら、お安い御用だ。


「ターくんさぁ、今度ウチらがライブするとき、料理作ってよ」

「むしろ、アイドル部の楽屋まで届けてくんない?」

「いいねぇ、〈タークンイーツ〉!」


「は・な・れ・ろ・や!! クソビッチどもっ!!」


 怒り狂うジュンによって、タヅナは引き離された。まるでアイドルとの握手会で剥がされる痛客対応だ。


「んっだよ! メンヘラはデパス呑んで寝てろっつーの!!」

「あ゛ぁん? お前の過去、週刊誌に売んぞ?」

「それは、お互い様だろおおおがああああ!!」


 取っ組み合いをする女子候補生たちの間を、猫のようにスルリと抜けて現れた制服姿の花麒麟ヒイロは、

「タヅナ、私の肩に掴まってくれ」

「はい? うあっ――」

 混乱するタヅナを両腕で軽々と持ち上げて、お姫様抱っこしながら教室を出て行った。


「いやはや、君も大変だな。こんなにモテてしまうとは」

「いや……モテてるって言うんですかね……?」


 ヒイロに抱かれながら、震える花フォンをポケットから取り出したタヅナは、そこに表示されていた発信者の名前に目を疑った。


「はい……もしもし……」

『御機嫌よう。桔梗月夜です』

「月夜さんっ!?」


 この花フォンに、初めて電話がかかってきた。まさか、月夜さんが僕に電話をかけてくるなんて。でも、どうして今――


『タヅナさんに申し忘れていたことがありまして、ご連絡を差し上げました』

「なっ、なんでしょう?」


『この学校には、計3万台以上の監視カメラが設置されております。撮影された映像は録画されており、天上人はネット上で、自由に視聴できるようになっているのです』

「と、言いますと……」


『タヅナさんは、若いお嬢様方から大変おモテになっているご様子。わたくしのようなオ・バ・サ・ンなんて、まるで眼中にないのでしょうね』

「ええっ、そんな――」


『もし、わたくしたちの目が届いていないと思われていらっしゃったら、タヅナさんが大恥をかかれてしまうと思い、ご連絡を差し上げました。それでは御機嫌よう――』


 プツッと、通話が切れた。いや、キレてしまったのは、月夜さんの堪忍袋の緒だったのかもしれない。

 大変だ。月夜さんのご機嫌を損ねてしまった。でも、どうしよう? 僕はこれから2年と8ヶ月、この女子候補生たちに囲まれた学校生活を、どう過ごしていったらいいんだろう?

 教科棟の屋上まで辿り着くと、ヒイロが抱きかかえていたタヅナを下ろした。


「ヘリが来てない。まさか――」


「どうせ、空から逃げると思ってたよ。ねっ、マリアさん?」

「ヘリはメンテナンスが必要だったため、調整中です」


 ジュン、マリア――その背後に待ち構えているミヤビやアゲハ、何人もの女子候補生たちの姿を見て、タヅナは血の気が引いていくのを感じた。

 なんでなの? みんな、なんで僕のことをそんなに追い回してくるの?


「タヅナ、結婚しよう。そうすれば退学できるだろ?」

「はあああああっ!? アンタなんかにタヅナを渡さないんだからっ!!」


 タヅナは女子たちの押しくらまんじゅうで、腕を引っ張られ、おっぱいが顔に押し付けられ、どさくさに紛れてなぜかお尻を触られた。


 なにがなんだか、わからない。

 専業主夫を目指して、早4ヶ月。『自分がモテてしまっている』と錯覚してしまうような事態に見舞われている。


 なんか、花麒麟さんからはプロポーズされちゃってるし。彼女にもまだ返答してないし。

 でも、この学校では婚約どころか、恋愛禁止。僕が女子たちと仲良くすれば、天上人――桔梗月夜さんからお叱りを受けてしまうことになる。


 逃げなくちゃ、女子から。

 逃げられるのか? 女子から。

 50メートルを全力で走ったって、10秒以上かかるのに。


 これから僕、どうなっちゃうのぉ~??

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