第2章(2)

 萩野夏実と一生が親元から引き離されたのは七歳の頃だった。

 二人とも、自分たちに特異な力が備わっていることにまだ気付いていなかった。自分たちにできることは他の人にもできると信じていたし、それによって向けられる奇異の目を認識できる年でもない。

 二人の両親は、彼らを心から愛していた。そして、最大限うまく二人を導いたと言える。

 惜しみない愛情を注ぎ、ならぬものはならぬとしつけ、その裏で二人の不思議な能力について調べることに苦心した。

 それによって、機関は二人の存在に気付き、両親から預かったのである。

 父と母が、幼い二人と離れることに何とも思わないわけがない。

 ただ、二人が能力のコントロールを身に付けなければならないことは両親ともによく理解していた。機密保持のため、機関の施設へ親が同居するなど許されないことも。

 夏実も一生も泣かなかった(気がする)。

 黒い車に乗って、施設へと連れられて行った。

 施設での暮らしは快適だった。

 学校教育に準ずる内容を個別に受けることに加え、能力を自己調整する練習を繰り返す。それらは必ずしも楽しい経験ではなかったかもしれないが、所員たちには人間味があり、二人を褒めて伸ばしてくれた。

 娯楽も充実しており、テレビやボードゲームなど、一般的な範囲の遊び道具が提供されていた。夏実はこけし型の起き上がりこぼしがお気に入りで、ごっこ遊びには欠かせない存在だった。問題は遊び相手だったが、所員たちが仕事の合間を縫って二人の相手をしてくれた。

 二日に一度は公共施設内の広場やクラブで、同年代の子どもたちと触れ合う機会もあった。今思えば、そこは機関が資金繰りのために運営している場所だったのだろう。

 そのような環境の中で、夏実はそれなりの社交性も常識も習得できたと言えよう。一生の方は内向的で自分の世界に浸りがちであるものの、人間嫌いでもなく反抗的な態度を取るわけでもない。

 そうして育った二人は、高校に進学する頃、両親のもとへと戻った。

 それまでにも自宅滞在を定期的に繰り返していたから、何も不都合はなかった。

 ただ、夏実は何歳になっても両親のことを「パパ」「ママ」と慕い、甘え続けている。それは少しぶっきらぼうに見える一生にしても同じだ。

 今、両親はどんな思いでいるのだろう。危険と分かっていながら、娘と息子を送り出した二人は。

 そして万が一、遺書を目にしたときに、二人はどんな顔をするのだろう。

 カーブに差し掛かったせいで座席が揺れ、萩野夏実はとりとめのない思考から引き戻される。

 一生の乗る快速特急とは別で、新幹線を使ったルートの途中。

 新幹線はトンネルへ入り、窓ガラスに車内の景色が映し出される。

 夏実は車両に一人だ。静まり返った空間。地鳴りのような走行音だけが耳に響く。

 隣の席に、何かの気配を感じた。

 振り向く。

 こけしが細い眼で笑っている。

 こけしの顔をした、起き上がりこぼし。

 ――なぜ、ここに?

 一瞬の混乱を経て、夏実はすぐに状況を察知する。

 車内は薄暗い。通常ではありえないほどに。

 隣の座席にあるのは、起き上がりこぼし。

 夏実は立ち上がり、通路へと出る。前方にサンダルが片方転がっているのが見えた。

 夏実が幼い頃、両親に買ってもらったサンダルだ。

 油断していた。

 夏実は深呼吸し、全身を強張らせる。

 ――私は今、階層を一つ落とされた。

 ずる、ずる、という音が聞こえる。

 何かが這っている。

 夏実はゆっくり、後ろを振り返った。

 後方車両から、何かがやってくる。

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