帰郷 その3

 今にも掴みかかりそうになっている二人を引き離し、ミレイユは一同に向かって帽子を取って頭を下げた。


「ありがとう、皆。勝手な振る舞いをしたというのに、それでも変わらぬ誠意と信頼、嬉しく思う」


 数秒姿勢を維持した後に頭を上げてみれば、そこにはそれぞれ違う笑顔を見せる三人がいる。


「アンタのそういう態度、初めて見るわね。……ちょっと、感動したわ」

「お礼を言われるような事ではありません。変わらず傍に置いて下されば、それで良いのです」

「まだちゃんと、お返しも出来ずにいたんですから。せめてそれが終わるまで、離れるなんて出来ません。これは誇りの問題でもあるんですからね」


 それらの笑顔に引っ張られて、ミレイユもまた笑った後、噛み締めるように頷いた。


「……うん」


 雰囲気が、ふわりと柔らかくなったような気がした。

 今まで張りつめていたものが霧散し、辺りに気を配る余裕も生まれる。

 ルチアといえば、元より興味があったらしい見知らぬ物体へと歩み寄った。


「それより、これ何なんでしょうね? 私の知る、如何なる物とも違う気がします」

「……それは冷蔵庫だ。物を冷やすのに使う」


 へぇ、と呟き、取っ手らしき物がないことに不思議がり、表面をぺたぺたと触れて回る。


「確かに冷たいですね」

「表面が冷たい事とは関係ない。その箱の中身を冷やす為の道具だから」

「どうやって中身を見るんです?」

「勝手に開けるな。マナー違反だ」


 ルチアはそれを無視して、好奇心の赴くまま扉に手を掛け、繋ぎ目がある部分に指先を差し入れた。引き出しの様に手前に開くと予想していたらしく、片開きで扉が動いたことに戸惑いを見せる。


「おっと……わっ、ホントに冷たい。中には氷もないのに、一体どうやって冷やしているんでしょう?」

「よく探してご覧なさいな。それでも氷が無いなら、きっとそういう魔道具なんでしょうよ。一体どれほど金を注ぎ込めば、こんな物が作れるのか不思議だけど。……これ、採算合ってる?」


 肩を竦めて見当違いな事を言うユミルに、ミレイユは呆れながら息を吐く。


「いいから閉めろ。長居したくないんだ」

「でもですよ。ちょっと……、これ食材が入ってるんですか? それだけじゃなくて、見たこともないような物が沢山ありますよ」


 ちらりと見た限りでは、確かに現代人ではないルチアには興味深い物が多数あったようだ。

 パックに入ったままの卵や納豆、マーガリンや冷蔵餃子、豚肉と思わしいフリーザーバッグ に入った肉、スーパーで売ってそうな惣菜が数点。そして扉側には、牛乳を始めとした紙パック飲料などなど。

 一見した限りでは一人暮らしの、凝った料理はしないタイプの冷蔵庫という感じだった。


「興味深いのはよく分かる。だが、ここは誰とも知らぬ、他人の家なんだ。勝手をするのは控えろ」

「ああ、やっぱりそうなんですね。物置小屋としてなら及第点なんだけど。自宅にしては、余りに見すぼらしいし狭すぎます」


 ルチアとしては、だからこそ勝手にするんだ、とでも言いたいような口調だった。

 むしろ言質を取ったから勝手をしようと言う顔をしている。


 確かに、あちらの世界でミレイユは自身の邸を持っていた。旅暮らしの多い生活だったから帰ることは稀だったし、便利な家なら。基本的な暮らしはそこであったから、ルチアの基準としては、ここは家ですらないのだろう。


 さてどうしたものかと顔を巡らせると、ユミルが台所横のガスコンロへ無造作に手を伸ばしているのが見えた。


「おい、ちょっと……」

「これもまた不思議な形してるわねぇ。何に使うのかしら。儀式の道具……? 台座っぽいのもあるし。コレ、何かしら……」


 コンロの摘みを弄り出したユミルの腕を掴み、強制的に入れ替わる。

 元栓が閉まっていないコンロからは、半端に摘みを回したせいでガスが漏れ出している。摘みを停止位置まで戻して、異臭のする吹き出し口にパタパタと手を振った。


「あン、ちょっと……!」

「下手をすれば爆発するんだ。勝手をするなと言うのは、別に嫌がらせで言っているんじゃないんだよ」


 えぇ、と顔を引くつかせて、ユミルは身を離した。


「何でそんな危険な物が無造作に置いてあるのよ。この異臭ってそういうコト? 爆発の合図なワケ?」

「そういう事じゃないが。ただ危険なだけじゃなくて便利な物でもあるんだ。……あぁ、説明してやりたいのは山々だが、そんな事してたら日が暮れる」


 大体、と口にして、ミレイユは部屋を見渡した。


「ここにあるもの全て、お前たちにとっては未知だろうが、他人の所有物でもあるんだ。中には壊れやすい物だってあるし、実際壊せば面倒だ。責任なんて取れないしな」


 言い終わった辺りで、冷蔵庫の横にあったレンジからピッと電子音が鳴る。無造作に弄っていたアヴェリンは、その音に身を竦ませて、縋るような視線を向けてきた。


「大丈夫、それは壊れてない。――いいから、行くぞ。ここは他人の家だと言ったろうが」


 窓から外を見れば夕刻も近い。

 この部屋の住人は学生の一人暮らしのように見える。もしそうだとしたら、そろそろ帰宅時間の頃合いだ。部活やバイトなど、幾らでも遅くなる要因はあるが、だとしても鉢合わせのリスクは出来るだけ負いたくない。


 なるべく他人がいた痕跡は残したくない。

 物を倒したり、大きく動かしたりした物もないから特別な処置は必要ないだろう。

 いい加減、冷蔵庫の扉を閉めさせ、外に繋がるドアを顎で示して動くように促す。


 自分自身も動きながら、その時、天井の角にある神棚が目についた。

 今時の家には備え付けてないことも珍しくないというのに、まして一人暮らしの学生と思しき部屋には随分と珍しい。珍しいというだけで、その信仰心を馬鹿にするつもりは更々ないが、何となく奇妙なものを目にした気がした。


「ほら、さっさと外に出るんだ。そこの扉から出られる筈だから」


 真っ先に動いたアヴェリンが扉を開けば、正面に別の扉――おそらくトイレ――があった。

そこは人が一人立てば他には誰も入れないような狭いスペースしかなく、左手には金属製の扉がある。

 ドアチェーンが垂れ下がった扉なので、それが外へ繋がる扉だと分かった。


 アヴェリンが扉中央に手を置き力を入れる。ガツっと何かに引っ掛かる音がするだけで、扉が開かない事を怪訝に思いつつ、そのまま力任せに開けようとした。

 入口で詰まっていた二人を押しやり、ミレイユはアヴェリンの肩に手を置いて止める。


 アヴェリン達が生きていた世界にドアノブなど無い。とりわけ民家に使われる扉は押すか引くかのどちらかで、指を入れる為の引手が見当たらなければ、アヴェリンが開き戸だと考えるのは妥当だった。

 錠にしても貧しい家は付いていない事の方が多い。例え付いていたいたとしても、横に金属棒をスライドさせる簡易的な閂のようなものが主流だった。

 そのどちらもが無いのだから、アヴェリンの行動はむしろ当然というものだった。


 ミレイユはドアノブに付いているツマミを捻り、鍵を外して扉を開ける。

 一応、顔を出して外の様子を確認する。アパートは二階建て、他には二部屋という小さな建物だった。左の角部屋であり、正面には階段、右側の住人がこちらを意識している様子もない。

 階下と道路も素早く視線を向け、安全を確認してから後ろを振り返った。


「さぁ、全員外に出ろ。なるべく声を出すな」

「警戒が必要ですか? 危険はあるのでしょうか」

「危険はない。面倒が起こるのを避けたいだけだ。なるべく痕跡を隠して出るから、とりあえず全員、階段を下りて待っていろ」


 沈黙のまま頷いて、背中腰から武器を抜こうとするアヴェリンの腕を抑える。


「武器も無しだ。“中に”仕舞っておけ」

「しかし……」


 重ねて無しだ、と伝えれば渋々ながら武器を収める。

 そのまま懐に仕舞うような仕草で腕を内側に締めれば、武器は先端から溶けるように消えていく。

 ミレイユは扉を開けたまま体をずらし、外へ動けるスペースを確保する。しようとして、すれ違うスペースすらないと悟ると一旦外に出た。


 全員が隙なく警戒しながら出てくるのを見終えると、入れ替わりに室内へと身を滑り込ませる。

 一度外から確認して見れば一目瞭然、土足であちこち歩いたので土で汚れた靴跡がびっしりと付いている。どうしたものかと悩ませて、右手に風の魔力を収束させる。

 掌の上で渦巻く小さな竜巻を生成し、部屋の中を走らせてやれば、砂や埃を巻き上げていく。

 力加減を誤ればラグマットなどに傷をつける。予想以上に面倒な手段を選んだことに、早くも後悔しつつ手早く砂を巻き取っていく。


 パッと見た限りでは足跡らしき汚れも見えなくなったので、小さな竜巻を部屋から出して適当なところで制御を解く。竜巻は空中で霧散して、階下に砂を巻き散らした。


「ちょっと……! もう少し場所考えて捨てなさいよ!」

「あぁ、ごめん。いたんだよな……。でも当たらなかったろう?」

「当たってたら、もっと文句言ってるわ」

「翌日になっても文句言ってますよ、きっと」


 悪かった、と一言呟くように謝罪してから扉を閉める。

 鍵を掛けられればいいのだが、こればかりは仕方がない。あちらの世界には数多くの魔法があったし鍵開けの魔術は存在したが、閉める魔術は知らなかった。とはいえ、現存しても身に付けていたかは疑問が残る。


 事件性があるような事はしていないので、指紋まで拭う必要はないだろう。

 ミレイユはそのまま音を立てないよう気をつけながら階段を降りると、待っていた三人に合流する。腕を軽く上げて手前に振ると、道路に向かって歩き出した。


「さぁ、まずはここから離れよう」

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