帰郷 その2


 顔を向ければ、そこに居たのは別れたばかりの――そして、ここにいる筈のないアヴェリンだった。その更に後ろには狭い部屋の中、興味深そうに辺りを見渡すルチアとユミルもいる。


「ど、どうして……お前たちが? 何故ここに?」

「好きにしろと言われたので、後を追いました」


 事も無げにアヴェリンは告げてきたが、理解不能の事態に、顔を顰めずにはいられなかった。


「そういう事じゃなく。いや、それもアレだが、何がどうすればそうなるんだ?」

「あらまぁ……。アレだの、どうだの、そうだのと。混乱の度合いが凄まじいわね。ひっくり返ったバスデスだって、もうちょっとマシでしょうに」


 その言い回しは逆に分かり辛い、そう言いたかったが、混乱の極致にあったミレイユに、そんな気の利いた言葉は出なかった。

 呆れるようでもあり、そのくせ喜ぶような調子でユミルは言ったが、そんな事はどうでも良かった。


 このアヴェリンたち三人は間違いなくゲーム世界の住人だ。ミレイユがゲーム世界に入ったり出てきたりするのも大概おかしいが、ともあれ元々が人間であるという前提があっての現象だろう。

 だというのに、アヴェリン達すらもこちら側へ来る事に違和感がある。

 だが、そうは言っても、目の前の事実が消える訳でもない。


「その褒め言葉のチョイス、わたし嫌いじゃないですよ」

「どう聞いても貶してるんでしょうが」


 満面の笑みを浮かべて言ったルチアに、半眼でユミルが返す。

 いつもの聞き慣れた漫才めいた会話に、もしかしたら幻覚でも見ているかもしれない、という期待は消え去った。

 だが、何故――。


「ああ、いや……。聞いたことに答えていないだろう。何故ここにいる? それともやはり、私が見ている夢という事でいいのか?」

「現実ですよ。私達は貴女同様、『遺物』を使って追ってきました」


 アヴェリンが答えて、身体の動きが止まる。

 あらゆる願いを叶える『遺物』、確かにそういう謳い文句ではあった。あらゆる過程を飛ばして結果だけを与える、あれはそういう機構だが、それにだって限度がある。


 ――限度。

 そう、願いを叶えるエネルギーには神器を用いなければならない。

 ミレイユの欲する世界を超える程の願いには、最大数の神器の用意が必須のように思われた。実際に必要になる個数など提示されないから、叶えられないという返答がない限りは、それでどうにかなる算段だった。


 ならばやはり、この三人が後を追える筈がない。

 一度の願いで一度の結果、ミレイユは間違いなく『私を』と指定した。ならばアヴェリン達が都合よく巻き込まれる事はない筈だし、仮にミレイユの身体を掴んでいたとしても同時に飛ぶ事はなかった筈だ。


「それはおかしい。神機のエネルギーは全て使われただろう? それでどうして、お前たちが来れる事になるんだ?」

「いえ、ミレイ様の願いで消費された神器は一つでした。残りが受け皿から返ってきましたので、同様の手順で貴女の後を追う旨を願いました」

「一つ……? たった一つで叶う程度の願いだったのか?」

「そのようです」


 こっくりと頷いたアヴェリンに、ミレイユは乾いた笑みがこぼれた。

 あの苦労は一体なんだったのか、と天を仰がずにはいられない。何しろ只一つ所持しているだけでも偉業と言われる神器である。手に入れるには神の承認が必要で、そして承認を得るには神の試練を乗り越えなければならない。

 神が与える試練だから、当然生半な覚悟でも実力でも突破できるものではなかった。


 そんな嘆きを他所に、ユミルが軽い調子で言葉を放てば、それに追従してルチアも笑う。


「ま、良かったじゃない。こうしてアタシ達も着いて来られたんだし」

「ですよね。ミレイさんが寂しさで枕を涙で濡らす必要もないですし」

「相変わらずの軽口に感謝するよ……」

「どういたしまして」


 ルチアの額をぺちりと叩けば、大袈裟に痛がる様子を無視してアヴェリンに向き直る。


「まぁ、理由は分かった。手段についてはな。だが、どうして追ってきた? 未知の世界だ、恐ろしくはなかったのか?」

「それを本気で訊いているのだとしたら、ミレイ様の見識を疑いますね」


 アヴェリンはつまらなそうに眉根を寄せてから、ユミル達に指を向ける。


「未知の世界など、恐れる我々だと思いますか。恐れるというなら、私は貴女のいない世界の方が余程恐ろしい。……それに、私には貴女を追うべき理由が他にもある」


 アヴェリンは一度言葉を切って、改めてミレイユに向き直る。

 次いで膝を折って片膝で立ち、右手を武器の柄に、左手を胸に当てて頭を垂れた。


「私は貴方様に忠誠を捧げた。何があろうと、誰が敵であろうと、共に側に立ち戦うと。貴女様の立つ場所が敵地へと変わろうと、――世界すら変わろうと、私が立つのは貴女の傍のみ」


 ミレイユは苦虫を噛んだように顔を顰めた。

 忠誠を捧げられる程、立派な人物ではないと自覚しているからの事だった。そして、その忠誠を不実な理由で利用し続けて来たという自覚があったからだった。


「本当の私は忠誠を捧げて貰えるような人間じゃないんだ。それを知りながら、私はお前を利用していた。必要だったから……。お前という戦力がいれば、必ず『遺物』に辿り着けると分かっていたから」

「ならばそれは、私は誇りを持って受け入れましょう。我が武威を頼みにして下さったなら、これに勝る喜びはありません」

「そうじゃない、そうじゃないんだ。私はお前を一振りの武器として見ていた。人格は二の次、人としての扱いも三の次。ただ目的を達せられるまでの関係、使い終われば捨てる。そのつもりで接していた。大した礼もなく、さっさとこちらの世界に帰ってきたのが、その証拠だ」


 アヴェリンは困ったような笑みを浮かべて顔を上げた。


「私がその武器として捧げようと思った事こそが重要なのです。貴女には確かに思惑があった。ですがそれは、私にとって大した事ではありません。何より貴女を近くで見続けた私が、貴女に付き従いたいと思った。一振りの武器として見ていたのだとしても、それで良いのです」

「だが……」

「見返りを求めて捧げるものは、真の忠誠とは呼べません。無論、下地となるものは必要でしょう。ですが、それすら乗り越えるような誇りを貴方様は与えて下さった」


 それでも尚、頭を振って否定しようとするミレイユを、ユミルが横から口を挟む。


「信用や信頼と同じよ。この子は忠誠とか大袈裟なこと言ってるけど、積み重ねてきたモノが常人とは違うってコト。そしてアンタは、その信頼を一度として裏切っては来なかった。それが全て」

「しかし……」


 それでも納得を見せないミレイユに、焦れたルチアから指摘が飛んだ。


「ここに私達がいる事こそ、証明になると思うんですよ。どうでもいいと思ってる人に、どこに行ったかも分からないけど、とりあえず着いて行こうとは思いませんよ。単なる旅の仲間程度の認識だったら、じゃあ次のパーティ探しますか、ってなります」

「それだけの下地をアンタは作ってきたってコト。何で分からないのかしらね?」


 ユミルは本当に疑問を感じているように、小首を傾げた。


「竜殺しを成しただの、神殺しをやってのけただの、そういう偉業を共に成したこともそうだけど。でも、そこはどうでもいいのよ。アンタはアタシ達を信頼しているでしょう?」

「それは、勿論……」

「へぇ、何故?」

「……上手く言えないが、まず……有能であったからだ。背中を任せるに足る人材だと思ったし、余計な気苦労もなかった。隣に置いて苦痛じゃなく、やるべき事が分かれば説明がなくとも動いてくれた」

「それだけ?」


 ユミルは不満げに鼻を鳴らした。

 内心の吐露は気恥ずかしい。今まで多くの会話を交えて来たが、こうした内面に踏み込むような話題はなかった。いや、避けて来ただけだったのだろう。

 それらしい会話があれば沈黙してしまうから、会話が続かなかっただけだ。そしてそれを察して話題をずらしてくれていた。


「道具のように扱っていた気持ちはあったが、同時に愛着も執着もあった。離れがたいとも思っていた。……好いていたのだと思う。重ねた時間の分だけ、大事に思えていた」


 それを聞いてルチアが満足気に頷く。


「じゃあ、なんでそれが私達からも向けられているって思わないんですか? 信頼っていうのは一方通行のものじゃないでしょう? 向けられれば、向けるのも簡単。だから、一方的に離れて行っても、こうして着いてきたんじゃないですか」

「うん……」

「二度と顔を見たくないとか、何か嫌になった理由があるならともかく、別にそういう訳でもないんですよね?」

「そうだ」

「一人でしか帰れないと思ったし、帰らないという選択肢がなかったから、だからそうしたって事なんですか?」

「……そうだな」


 ルチアがどんどん詰問口調になっていくに従って、ミレイユも言葉少なげに返答していく。

 その口振りは呆れも混ざって、次第に訊いていくのが馬鹿らしくなっていったようだった。


「……ですか。じゃあ別にもう、このままで良いですよね? 帰れと言われて帰る手段も思いつきませんし」

「そうだな、帰る手段はない、だろうな……」


 ユミルは腕を組んでニヤリと笑う。


「これで帰れと言ったら外道の類でしょ。言われて帰るつもりはないけどね。アンタという娯楽がなければ、これからの人生つまらない」

「なんだ貴様、そんな理由で一緒に来たのか?」


 アヴェリンが下げていた頭を持ち上げ、その場に立った。


「貴様の父親の件があったのに、感謝の気持ちもないわけか?」

「いやぁ、感謝の気持で着いて来てるのはルチアでしょ。アタシはまた別の感情ってだけで」

「私は感謝っていうより、恩義って感じですけど」

「別にどっちでもいいわよ、そこは」

「じゃあ何か、貴様には娯楽と感謝以外で向ける感情が他にあったのか?」

「ああ……。まぁ、強いて言うなら好奇心?」

「ふざけるなよ、馬鹿者」


 会話の内容がどんどん険悪になっていくのを見て、ミレイユは微かに笑った。

 ああいう掛け合いもいつものこと、険悪のように見えて仲の良い者同士のじゃれ合いに過ぎない。無理に止めずとも、そのうち勝手に収まるのもいつもの事。


「大体、お前は……」

「アンタは固すぎ……」


 アヴェリンがいよいよ武器を腰から抜き放ったのを見て、これはじゃれ合いで終わらないかも、と思い直す。ルチアがさっと離れて行くのを見て、ミレイユは代わりに二人の間に割って入った。

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