第10話 天使の翼を追い掛けて


   *


「おい痴女よ、貴様のその破廉恥極まる格好をどうにかしろ。そのボロ雑巾の様な衣服は何だ。この俺という高貴の横にありたくば身なりを整えろ!」


 偉大なる天使――ギルリート・ヴァルフレアの放ったその一声によって、私はやがて辿り着く事になる隣町の仕立て屋に服を見繕って貰う事になっていた。


「あへ、あっへへへへ旦那ぁそれで約束の物を……」


 簡単なものだ。排他的な人間達は初め私達を拒絶しようとしたが、ギルリートの乗り込んだ“赤い猛牛”改め“黒い猛牛”とでも言うような真っ黒に塗り染められた巨大な改造車を前にして腰を抜かした。

 彼等もまた、それがリッテンハイドのアリエルの物である事は心得ていたし、彼等が壊滅したという噂は私達の来訪よりも早く知れ渡っていた。


「ガソリン……とかいう液体の事だろう。そんな物はこの俺の能力で幾らでも産み出してくれる。フン、持っていけ。王に群がるいやしき下民よ」

「ウヒョっ! こんなに、いいんですかい旦那? アヒょっ、あ~へへへ」

「……貴様、風呂に入っていないだろう! なんて臭い奴だ! 次俺の前に現れたら刺し殺してやるぞ、消えろ下郎め!」


 怯えすくんだ彼等の前に舞い降りた、堂々たる貴族の振る舞い、ツンと上を向いて決した下を向く事の無い、彼の身より発せられる威光に、全ての者が文明を思い出して膝を落としたのだ。

 そして察したのだ、この男こそがリッテンハイドを潰した張本人であると、全ての者が。


 ギルリートが投げ渡したポリタンクを手に、涎を垂らした男はその場を立ち去っていった。

 私は天使と二人ブティックに取り残される。


「着飾れ」

「……ぇ」

「え、じゃない早くしろ。この俺のアリアらしく、高貴なる衣服に着替えるのだ」


 言われるがままに私は、彼にボロ雑巾と揶揄やゆされた衣服を脱いで、廃れた廃墟の服屋を見渡した。

 私にとってそれは、夢にまで見たような光景だった。頬が赤らんでいくのが自分でもわかる。

 だがしかし、こんなにきらびやかな物に私なんかが触れて良いのだろうか?


   *


 試着室で白いワンピースに着替えた私は、ヒビの入って斜めになった姿見の前でクルリと回ってみせた。

 思えばこんなに可愛らしい物を身に纏ったのも初めての事かも知れない。


「フゥン、まぁ及第点だな」

「……っ!!」

「なんだ、何故この俺を責立てる様な目で見上げる? アリアよ、常に選択するは王たるこの俺だ。何か俺の行動に不服があるのだとすれば、それは貴様の思考が間違っているのだ」

「……っ」


 なんという暴論だろう? 試着室のカーテンを断りもなく開いたかと思えば、今度は好き勝手に豪語する彼を私は非難の目で見たが、やはり全然堪えていない。


「いくぞアリアよ見ればお前も、しばらく風呂に入っていないな……この俺の前に立ち尽くしながらそれはありえない事だ……ああ臭い、そうかと思えば臭くて堪らんぞこの汚らわしい女め!」

「む……っ」

「何をむくれている? この俺の言っている事が間違っているとでも言うのか? 否、そんな事は過去一度としてありえない。我がげんこそが全てにおいて優先されるのだ!」


 確かに鏡に映る私のからだには排ガスによる黒い跡が沢山付いている。

 だからといって、こんな風に鼻をつまんで私を小汚い野良犬であるかの様に扱いだすのは人としてどうなのだろうか?

 そんな一般論が彼に通じる筈も無く、私は彼に先導されていく。


「アリアよ、夜は冷え込むだろう、外套も一つ持っていけ」


 言われた私は、ヤケになってとにかく温かそうな黒のレザージャケットを手荒にもぎ取った。

 草原を駆ける少女のイメージであった白のワンピースの上に、無骨なライダースジャケットを羽織る。

 あのモヒカンの男達もこぞって着ていた野蛮な服だ。私はギルリートへの当てつけのつもりでそんな衣服を早速と身に纏ったが。


「ほぅ、面白い趣向だな、クク……」


 と彼は何故か気に入ってしまったらしかった。


「さぁ早くしろ、次は風呂にブチ込んでやるぞ! キサマは俺のアリアなのだ、不潔は許さん!」


 風呂なんて、ろくに入った事も無かった。時折降る雨で布を濡らして拭く位しか出来なかったのだから。


 そうやって彼は、忘れ掛けていた文明を私に思い起こさせていく。

 いや違う。この天使はきっと、私だけじゃなく、この世界を変えてしまうのだろうと、その時思った。


 ギルリートの立ち去っていったブティックで、私は一人足を止めて、鏡に映る自分を見詰めた。

 そこには先日までの姿が見る影も無い、ただの一人の少女が立ち尽くしていた。


 私はジークの事を思い起こした。


 まるで人権を取り戻したかの様なこの姿を見たら、父はきっと泣いて喜んだに違いないとそう思った。



 ジークはずっと、私が一人の少女として、慎ましく生きていける事だけを望んでいたのだから。



「おいアリアよ! この俺を待たせるとはなんたる蛮行だ!!」


 扉の向こうからそんな声が聞こえて来た。大急ぎで彼の元へと駆け出そうとした私は、ただ一時だけ姿見の前に立ち戻り、真っ直ぐ見詰めて居住まいを正す。


 そして天に昇った父へと告げた。

 語れぬ筈であった、この口で。


「行ってきます」


 暗い店内を抜けて、私は光に向かって駆け出した。

 その先に居る、天使の翼を追い掛ける様に――

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ギルリート・ヴァルフレアは全て凌駕する。 渦目のらりく @riku0924

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