第8話 「全て俺の物だ」

   *


「思い上がっているのはアナ……アナタの方だ」

「ほう?」

「なに……ナニ様のつもりで、そんな、ソソンナ、上から目線でソンナ!!」

「何様? ギルリート・ヴァルフレア様だ。俺は貴様ら雑魚の名を覚えんが、お前達が俺の名を覚えん事は許さん」


 頭が混乱しているのか、アリエルは耳に手をやりながら、子供が癇癪を起こすみたいに斧を振り回して呻いていた。破壊されていくボンネットに、彼の装甲車を操縦する下僕がギョッとしている。


「ナンテ……横暴! 勝手で、高慢! この、私に、世界を統べる、リッテンハイドのアリエルにィ……ィィィ、私は力で、この力一つで頂点に君臨した男ぉ、……私を愚弄し、家族を責め立てるアナタのような悪魔を駆逐しぃ、世界に平和をもたらす救世主ゥウ!!」

「要領を得んなクソガキ。貴様に王の資質は備わってはおらんようだ。王とは無意識に気迫に満ち溢れるものだが、貴様のそれはなんだ? ナヨナヨとしてまるで子供のようだ。自分は強いと言い聞かせているようで哀れに見える」

「オオアア!! おアアアアアアア!!!」


 ギルリートの言った通り、動揺しきったアリエルの様子は少し哀れに思える。しかしだからこそ、何をしでかすやもわからぬ狂気が見え隠れしていて恐ろしいのだ。


「貴様もしや、自分よりも強く、高貴なる存在に出会った事が無いな?」


 であるが、自信に満ち溢れたギルリートのこの佇まいは何なのだろうか。この気概、崇高たる立ち振る舞いと崩れぬ品格は、常軌を逸した自信家と言うより他がなく、一見高慢の一言に過ぎるかと思いきや、されど実際ボロの一つも見せないでい続けている。


「クックッまさにチンケな王よ。だが無論この俺も、そんな者には出会った事など無いがな。この俺よりも偉大な存在など、この世にあり得る筈も無いからだ」


 例えるならばそう、優雅に尽きる彼の言動は全て、自らが孤高の王であり、その他一切は全て俗物であると性根から言い放つかの様である。


 まさしく異端、異才の高貴。しかしそこには比べようもないまでのカリスマの実際がある。

 しかしそんな男こそが、悪を塗り替えるだけの強烈なる闇こそが、この混沌の世界を導いていくに相応しいと、私は思った。


「殺します、コロスゥ……荒廃したハイド家に、今は亡き父上と母上、愛しい兄妹達に誓ってェエ!!」


 前後に並び、バンパーで突き上げて来るアリエルの乗った血の猛牛。されど同じエンジンを闇でコピーした私達の黒い猛牛も、同じ速度で逃げ去っていく。

 並走を続ける死のカーチェイスの中で、アリエルは泣きべそをかきながら黒く巨大な斧をまた振り上げた。


「我が一族を愚弄シタァア!! その罰を今受けろォオ!!」


 再び持ち上がった黒の脅威に、私は後部座席にひっくり返ったまま掌で顔を覆った。

 しかしギルリートが運転席側のボタンを押した瞬間、背後に伸びた八本のマフラーが火を吹いて急加速した――

 恐るべき学習能力でギルリートがドリフトをして、直角に逃げ去っていく私達の車。対してボンネットにアリエルの乗った赤い装甲車の前には、突如として巨大な大岩が現れる。


「ヒゲエエエァォア?!! ぶつかるよぉアリエルさぁぁあん!!」

「くっ……」


 思い切りハンドルを切ったお陰か、ぎりぎりサイドミラーを吹き飛ばす程度で急場を凌いだアリエル。並走する私達とアリエルとの間には、いま長細い大岩が割って入ってしばしの休息となっている。


「おい、見たか女。この俺の華麗なドライビングテクニックを」

「っ――! ……っ!」

「ナニ? 死ぬかと思っただと? この俺が乗っているのだから万一に死ぬことも無いだろうが」

「ん、……、ん……っ!」

「なにィ? この俺に、このまま逃げろとそう提案しているというのか阿呆め! ……ん? というかお前、何故下着を身に付けておらんのだ」

「っ――!」

「それどころじゃ無いだと? 黙れこの痴女め!」


 アリエルから逃げおおせるなら、彼と分断されている今しか無い。背後からは未だ数え切れないだけのバイクや車が列を成しているが、まだ距離がある。この自動車に積まれたV8エンジンなら、全てお背後に消し去る事も可能だろう。だけどそんな私の提案は、頭上に飛来してきた巨大な影の一つによって、一蹴される事になった。


「――――ッ! っ……!!」

「ん? 残念だがリミットの様だ。少し運転を変われ、なに、ハンドルを真っ直ぐに調整するだけで良い」

「――――!!??」


 後部座席から摘み上げられた私は、気付けば運転席へと投げ込まれていた。運転なんて無論した事が無い私に無茶を言った暴君は、ボンネットに立ち上がって上空から迫り来る黒い影の巨大を仰ぐ――


「ドオオオオオオゥガァウアアアアアアアアア――ッッ!!!」

「人語さえも忘れたか? そうなってはまるで魔物だな」

「きゃ……ぁッッ――!!? ぅぁ――!」


 私達を分断していた長大なる大岩を、自動車で並走したまま、脅威の脚力で飛び越えて来た獣人。彼の着地の衝撃に、車体が凹んで一瞬ハンドリングを失う――

 私の口から悲鳴が漏れ出していた。膨張した肉に恐ろしい身体能力。さらにと変わり果てた獣の姿で、灰色の髪が突風に踊り、うねるのを見る。


「邪悪は排他する!! ワタシタチ家族の妨げとなるアクマ! 世界は私達の、ワタシノモノだ――!!」


 血と油で鈍く輝いた斧の一閃が、車体ごとに真っ二つにせんとした次の瞬間、私はもつれ合った火花の激しさを目撃する――


「なに……!!?? 私の姿、私の手斧?!!」

「忌々しい体に変じてしまったな」


 突如と闇に飲み込まれ、変異した暗黒のシルエットが、赤い眼光を灯らせるアリエルの姿を映し出していた。自らの肉体も自在に変化するギルリートの手には、寸分違わぬ闇の斧さえもが再現されて、頭上からの一閃を受けて鍔迫り合っていた。

 憤激したアリエルが、鏡写しの自らの姿に牙を剥き出していた。


「またコピー! ギルリートめ。あなたは他者の力を模倣する事でしか力を行使する事が出来ないのか! 自ら自身の力では何も出来ず、他人の力を映し出して得意になっているとは愚かですね!」

「その通り、俺自身には何の個性も無い。精々がどんな物事も人並み以上にこなせる事位だが、比類なく、あらゆる分野に秀でておいて、この俺は突出した“個性”の一つを持ち得なかった」

「全て出来るが一番にはなれないッ! 随分と皮肉な話しですネッ!!」


 腰を落としたアリエルの斬撃が、ギルリートに重くのしかかって沈め込んでいく。メキリと凹む車体、私はブレるハンドルを必死に統制する事で一杯一杯だった――


「個として大成出来ずに何が王ですかッ!! 他者を物真似する事しか出来ない道化師め!」

「言ってくれるなケダモノ風情が――っ」

「オオアアアアアアアアアアア潰れろペテン師、見せ掛けの王め! やはりこの世界でモノを言うのは暴力! 圧倒的たる個の力が世界を我が物にする――!!」


 ――私が目撃したのは、獣の膂力りょりょくに耐え切れず、曲がるギルリートの背骨。骨と肉の潰れる音を立てて、“力”に折り畳まれた影の無残な姿だった。

 滅多打ちにされ、肉を潰されていく天使に私は手を伸ばす。

 

「ギル……リ――ぅ…………っ」

「ようやく二人きりになれましたね、我が運命の花嫁、美しいアリアよ」


 息を荒げる獣は、眼下に命が潰えたのを確認したか、血に濡れた巨大斧をゆったりと抜き出した。その刃に滴る赤黒い血、人体の脂は、先程までそこで豪胆に笑っていた天使のものなのだろうか――

 雄叫びを上げた取り巻き達が、擦り寄るようにアリエルの元へと集結し始める。エンジンを吹かす轟音が一箇所に集っていく。

 

「ヤハァアアアアアア!! アリエルさんはやっぱり最強だぜ!」

「ギルリートとかいうあのカッス! 息巻いてた癖に呆気なく潰れやがった、ぎゃっぎゃぎゃ!!」

「“奇跡の恩寵者”を正面から叩き潰した! やっぱり世界の王者はこの人しか居ないぜぇ!! ポオオオオオ!!」


 獣の腕が私の体を抱きかかえる。ジタバタ足掻く私の抵抗など虚しく、アリエルは巨大な斧を走行中の車から大地に突き刺して静止させる。


「アリア、このじゃじゃ馬め、迷惑を掛けてくれましたね」

「……ぅ……っ――」

「さぁ、帰りましょうか。私達のお家に……」


 獣の独特の匂いが鼻を突く。小汚い爪が、私の頬を撫でて薄い切り傷を作った。近づいて来るいやらしい目付き、興奮冷めやらぬ欲情の目、汚らわしい舌が私を舐め上げようとしたその時――

 アリエルが妙な声を上げて停止した。


「…………あ……れ…………?」


「その女は俺の私物だ」


「あ…………ぇ……ぁ、なん――で?」


「汚い手で触れるな、俺の物に」


 ――

 中空に現れし闇の虚空より、赤目の素顔がアリエルを覗く。彼でさえもが震え上がる、冷酷で徹底としたの眼光をそこに見付けると、アリエルの全身は猛烈なる恐怖に、氷漬けにされたかの如く動き出せなくなったのだと私は思った。


 闇より伸びて来た天使の腕が、座席に転がる黒い仮面を拾い上げると、アリエルが足蹴にしていたギルリートの残骸は闇に霧散して消えていく。


「分身――いつ……か、ら――??」

「王の責務は個として突出する事では無い。他者の力を纏め上げ、巧みに利用する技量こそが求められる」

「馬鹿な! ふざけ、て……ソンナ」

「……それともう一つ、王より野蛮な獣に教えてやる」


 肩口で切り落とされた右腕の断面より、夥しい出血をしたまま、アリエルは蒼白となって口をパクつかせた。取り巻きの男達もまた、衝撃の光景に息をするのも忘れている。

 そんな最中に、愚劣共の密集した最中に、暗黒のゲートより、黄色く明滅する魔石の一つが仮面の男によって投げ出され、空中に留まった。


「世界はお前の物じゃない――


 点滅した魔石の発光が激しさを増していったその瞬間、その場にいた者はおそらく、全員が察しただろう。


「俺はお人好しでも正義なんかでもない。故に俺は無秩序に、無慈悲に全てを一掃してくれる」


 魔石に溢れ出す魔力の全てが、もうじきに大爆発を起こそうとしているという事を――

 

「あ――――」

「ぁぴ――――」

「ぽぁ――――――――」


 その場に私でさえもが投げ出されたまま、王は即座に決断する。


「はああぁ……ハァアアアアアアアアア!! ナンデェエエエエエ――ッッ!!」

 絶叫するアリエル。


 この世に蔓延る悪を、もっと濃密な黒に染め上げて――

 闇の暴発に全てが塗り染められるその瞬間の刹那、唖然としたまま私達は聞く。


「闇に光が咲くからといって、光に闇が咲く事は出来ない。この闇は、闇の中でこそ開くのだ……より濃密なとして」


 次の瞬間、世界は暗黒に塗り替えられた――

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