埋まらない空白〈後編〉

 あーあ、ベルクコーチに見つかっちまったな。

 まぁ、見つかるか。金網越しに少年団の練習を見てたんだし。むしろ、見つけてくれって言ってるようなもんだよな。


「コーチの前でズル休みとは、肝っ玉座ってんなぁ、おい」

「いやぁ、まさか見つかるとは思わなかったんですよ」


 緑と茶色の練習ジャージを着たベルクコーチは、自動販売機でジュースを買っていた。


「俺がオウガだったらなぁって、いつも思うよ。まだ子供だし、才能もあって、俺とかラオさんみたいな名コーチの元で指導も受けられてさぁ。ホイッ!」


 手元に投げられたのは、緑色の異世界サイダー〈エリクサー〉。透明のガラス――を模した瓶には[ウッドボトル]と表記されていて、異常に軽いボトルの中には、まるでHPもMPも回復してしまったかのような爽快感を味わえる、強炭酸サイダーが入っている。


「ありがとうございます」


 近くにあった横長の3人掛け用ベンチに2人で腰掛けると、ベルクコーチも茶色い瓶の飲み物を飲みながら、ネットの向こう側で行われている練習風景に視線をやっていた。


「オウガ、竜狩やるの嫌になったのか?」


 俺は返答に困って、虹色に滲む空を眺めた。夕焼けが夜の闇に吸い込まれていく前の数分間、空が何色にも分かれて彩られる『マジック・タイム』は、どうやらこの世界にもあるらしい。

 言われてみたら、竜狩が嫌になったという感情は湧いてなかった。もっと他のことで、突っかかってる気がする。


「いえ。『俺ごときの才能に対して、周りの大人たちが大騒ぎしてるのを見たら冷めた』って感じですね」


「ッカーッ! 生意気なこと言うねぇ!」

 ベルクコーチは悔しそうな笑みを浮かべて、そう言った。


 この人は、俺の前世での屈辱の日々を知らない。『竜狩の天才児オオカミ・オウガ少年』しか知らないんだ。

 だから俺が迷っている理由にも気付けない。この人には話すべきなのか? 俺の前世での黒歴史を。

 まぁ、わかってもらえるとは思えないけど、少しなら話してもいいか。


「俺は竜狩の前に他の競技をやっていて、そこでも天才扱いされてたんです」


 ――「竜鬼ならプロになれる」

 ――「さすが大牙さんの息子さんだ」

 ――「期待してるぞ! 将来は日本代表選手だな!」


「でも結局、上手くいかなくなって結果を残せなくなったら、それまで騒いでた人たちがサーッと消えていきました。一人残らずね」


「可哀想に。まだ子供なのに」


「だから、『プロを目指せ』だなんて言ってくる大人は信用できない。どんな根拠があってそんなこと言うんだよ。いったい、何人に一人がプロになれると思ってんだよ。せいぜい何千人に一人とかだろ。目指す途中で再起不能な怪我だってするかもしれない。才能が通用しなくなる時が来るかもしれない。貴重な人生を競技に費やして、限界まで努力して、それでもプロになれなかった人がたくさんいるんだ! それなのに、気軽に『プロになれる』とか言うなよ!! 俺が失敗してもノーリスクなお前たちが、他人の人生に責任を負わねぇような奴らが、俺に夢を押し売りしてくんじゃねぇよ!!」


 ベルクコーチに非は無い。だからこれは、八つ当たりだ。

 でも、ベルクコーチには俺の闇を伝えるべきだと思った。なんでだろうな。


「好きだったんだな。その競技のこと」

「は? 意味わかんねぇんだけど」


 『好きだった?』って何が? 俺の話ちゃんと聞いてた? 『もうスポーツなんかウンザリだ』って話をしたんだよ。


「だって、好きでもねぇとそこまで続けられねぇだろ。普通の奴はだいたい辞めるんだよ、そこまで思い詰める前にさ」


「はぁ……? 好き……? 俺が……?」


 サッカーを好きだった?

 いやいや、そんなわけ……そんなわけねぇだろ!


 むちゃくちゃ辛かったよ!! わけわかんねぇ練習を、脳筋親父に強制させられてさ。

 それも毎朝だよ、毎朝!! 学校行く前も、学校のない日も、朝6時に起こされて、練習着に着替えさせられて、公園に連れてかれてさ! やってらんねぇよ!!


 特にランパス練習が辛かった。蹴っ飛ばされたボールを追っかけながらトラップして、狭いマーカーの間に通しながら親父の足下に返すのを、延々とやらされたっけ。

 何百メートル分も、下手すると何キロメートル分も、遠くに蹴っ飛ばされたボールを追うためにスプリントさせられて、練習が終わった翌朝になっても筋肉痛が取れなくて、毎朝寝起きは憂鬱だった。


 ――「ボールの中心を見ろ!」

 ――「なんで出来ねぇんだよ! こんなもん、サルでも出来んぞ!」

 ――「あぁ、あぁ、違う違う。そうじゃない、トラップはこう!」


 ミスするたびに、親父から理不尽に怒鳴られた。

 嫌だったのは練習だけじゃない。試合も嫌いだった。下手くそな味方を何度呼んでもパスはこねぇし、クソみたいなパスが来るころには敵のプレスが来てロストしてしまう。


 ――「もっと周りを見ろよ! 視野が狭ぇんだよ!」


 そもそもパサーの配球が遅いのが問題なのに、俺のことを叱る無能なコーチがいた。

 だから俺は、敵からボールをカットしたら、絶対に他の奴にボールを渡さなかった。


 ――「味方を使え! ドリブルに逃げるな!」


 自陣からでもドリブルを仕掛けて、何人も抜き去って、キツい体勢からでもシュートまで持ち込んだ。


 ――「チームのことを考えろ! お前は一人じゃゴール奪えねぇんだから!」


 コーチからの評価は最悪だった。皆が俺の個人プレーを罵倒した。そのうちスタメンから外されて、途中交代でも使われなくなった。

 本当に、抹消したい記憶だ。

 それなのに、「サッカーが好きだった」って? 笑わせんじゃねぇよ。


「そんなわけない……俺は、サッカーが大ッ嫌いだった!」


 じゃあ、なんで今、俺の目から涙が零れ落ちてきてるんだ?

 おかしいだろ。なんなんだよ……何の涙なんだよこれ。

 頭がぼーっとして、眉間が熱くなってくる。


 ふと脳裏によぎったのは、あの名場面だ。自分の力で勝ち取ったと言える、あの栄光の瞬間――拍手喝采――祝福――抱擁。あの瞬間には、俺の希望が全て詰まっていた。

 たしかに、心の底から、純粋に「楽しい」と思えたプレーは、俺にもあった。


 広大な緑のフィールド上を転がる白いサッカーボール。俺はそれを足元に収めると、ドリブルで駆け上がり、俺の前に立ちはだかる何人もの選手たちを睨んだ。まず1人目は自主練で磨いたシザースを仕掛け、重心を崩した相手を右斜め前にブチ抜く。すかさずボールを狩りに来た2人目の敵の左脇をダブルタッチですり抜けると、プレスしてきた3人目の頭上に、ヒールリフトでボールを浮かしてブチ抜く。そこはもう、GK1人しかいないペナルティエリア内。GKがニアコースを切っているのが見えた俺は、ゴール右のサイドネット目がけて、迷わず右足を振り抜く。インステップでド真ん中を叩いたボールが、そのまま無回転で一直線に進んでいき、ネットが揺れる。審判吹いた甲高い笛の音が響き、観客席から地鳴りのような歓声が沸き起こる。振り返るとチームメイトたちがガッツポーズしながら駆け寄ってきて、俺のことを押し倒す。


 その絶頂感は、一度味わったら二度と忘れられなかった。その快楽をまた味わいたかったがために、俺はサッカーを続けてたんだ。

 でも、そんな漫画の主人公のような奇跡的なプレーは、それっきり二度と味わうことが出来なかった。


 小学校高学年になったあたりから、自分がプロになれないことは薄々気付いていた。それでも俺は、サッカーのことが嫌いになれなかった。

 ジュニアユースの選考に落ちても、中学でサッカー部に入って続けた。

 失いつつあったサッカーへの自信を取り戻すために、あえて地元の弱小校に入った。

 顧問の中にサッカー経験者のいない底辺サッカー部に所属している限り、俺がプロサッカー選手になる確率はゼロに等しかった。

 全国大会なんて、夢のまた夢。所属していた3年間、全ての大会で1回戦負けした。


 だから高校生になった俺は、サッカーへの未練を断ち切るために、サッカーのことを嫌いになろうと決めた。「もうサッカーを嫌いになるしかないんだ」と思い詰めることほど、辛いことは無かった。


 拭っても拭っても、故障した涙腺からの水漏れが止まらない。すすり泣きしていたつもりが、いつしか俺は大号泣していた。

 ベルクコーチは、俺の背中をさすってくれていた。体が勝手に震えだして、それを抑えようとしても止まらなかった。


 そうだ……。俺は、サッカーが好きだった。

 好きだったサッカーを、嫌いにならなくちゃいけなかったから辛かったんだ。


「もう大丈夫でふ。ありがとうございまひた」

 とか言いながらもまだ俺は、顔から涙と鼻水が垂れ落としていた。

 ボヤけた視界の中に、目元を擦るベルクコーチがいた。


「ほら、これ使え」


 ベルクコーチから受け取ったハンドタオルは微かに汗臭かったが、それでも俺はお構いなしに、顔中から分泌されていた粘液の類いをそれで拭った。


「ちょうどいいや、オウガに良いものをやろう……ほらこれ」

「何ですか?」


 手渡された何枚かのお札のような紙切れは、長財布の中に入っていたためにシワが寄っていた。


「知り合いからもらった龍スタでやる試合のチケット。今日のナイターなんだけど、仕事で観に行けなくってさ。代わりに使ってくんない? VIP席だよ、VIP席」



  † † †



 落ちかけた夕陽が、スタジアムの外壁を橙色に照らしている。

 行き交う人々は皆、赤や緑のサポーターメイルを着ていた。


「オウガ、ユニ持ってるんだから着てくればよかったのにー」

「いいよ、べつに」


 ゴブリンママこと、ヒカリさんは、赤い鎧風のデコレーションがされたシャツを上半身に着ていた。試合で選手が身に付けているものよりも、遙かに軽い素材で作られているらしい。

 竜狩の試合を生で観るのは初めてだ。今までオウガパパ&ママから何度も誘われてたけど、何かと理由を付けて全部断ってきたからな。


 この世界では大迫力の家庭用立体映像ディスプレイ技術が発達してるし、わざわざスタジアムまで足を運ぶ必要も無い。寝ながらポテチ食べつつ録画された試合観てた方が気楽なんだよな。

 だいたい、声を張り上げて選手たちを応援してみたところで、結果はさして変わらないだろ。そもそも無駄なんだよ、応援するって行為自体が。


 まっ、社会勉強の一環として、一度は生で観ておくかってのが、今日ここに来た目的だ。でもついでにクリアしておきたい、もう一つのサブクエストもあった。

 その『ついで』に関わる人物を、チケット発券所前でオウガママと待っていたんだが――


「ごめんごめん、迷っちゃったよ」

「いえいえ、人多いですもんね」


 困り顔でやってきたのはアスラパパ――と、その娘だ。

 娘の方はパーカーのポケットに両手を突っ込んだまま足元を見て、父親の背後でモジモジしていた。


「ほらアスラ」

「やめっ――てよ、もう」


 パパに背中を押し出されたダークエルフの少女は、青かったはず頬を紫色に染めていた。


「むししてごめんなさいわたしがわるかったですゆるしてください」


 句読点も抑揚もない棒読みの台詞に、俺は何を言われたのか一瞬わからなかった。

 それ、何の呪文だよ。ったく、謝るのも恥ずかしいってか。


「もういいよ、俺もそんな怒ってねぇし」

「でしょー!! だから言ったじゃーん! あやまることなんてないってさぁ!」


「いや、そう言われるとムカつくけど」

「早くケバブ買いに行こうよー! ケバブー!」


 やっとちゃんと“人間”扱いしてくれたな。無視されたまんまだったら、せっかくの試合観戦も楽しめなかっただろうし、めでたしめでたし。

 ってか、この世界にも『ケバブ』ってあんのかよ!

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