第三章 将来の夢

セカンドプラン〈前編〉

 アスラが入院していた病院は、無機質な白を基調とした直方体で、まるで巨大化させた据え置きゲーム機のように見えた。

 異世界病院も、中に入ってみればあっちの世界のものと大差ない――と思ったが、いざ病室の中に入ると、魔法陣の結界が張り巡らされていた。


 複雑な紋様を浮かべた透明のバリアは、アスラの寝ているベッドを四方から取り囲み、どうやら外部への感染を防ぐ機能を発揮しているようだ。

 さすが、魔法文明の発達した現代ファンタジー世界といったところか。


「わたし、明日の試合には出るからね」


 その個室は目測で6畳ほどの広さがあり、俺とエイルとアスラの父親の3人で入っても、まだベッドとの間には人が寝転べるくらいのスペースがあった。


「明後日まで入院なんだから、試合は無理だろ?」

「熱は下がったし、体はなんともないし、もう治ったもん!」


 アスラの父親は病室に入ってからというもの、同じステージに何度も挑戦してはゲームオーバーになってしまう死にゲーの、プレイヤーのような顔になっていた。

 こんなワガママ娘の世話をしているんだから、さぞかしお疲れに違いない。


「お医者さんから、退院後も3日間は家で安静にしているように言われたろう? ちゃんと治さないと、脚が動かなくなっちゃうかもしれないんだよ?」

「そうだよ。ちゃんと治してからでも、おそくないって」


 俺の隣にいたエイルが、小学生らしからぬ適切なアドバイスで、アスラの父親をフォローした。


「おそいの! 明日の大会には、キョーカイのセンコーインが来るんだから!」


 アスラの顔や首や腕には、うっすらと六角形の紋様が浮かび上がっている。

 その名も〈龍鱗病りゅうりんびょう〉。

 風邪だと思って診察してもらったところ、その場で緊急入院する羽目になったらしい。

 そういえば俺の妹も小さい頃、風邪だと勘違いした麻疹はしかで入院したことがあった。ああいう感じの病気なのかもな。


「お前の将来がかかってるのかもしんねぇけど、お前の命もかかってるんだろ? それに、5日間も寝たきりなら体力だって落ちてるはずだし、そんな体調でハイスコアなんてとれっこな――うおっ!」


 アスラが投げつけてきた枕が、魔法陣のバリアに阻まれ、そのまま垂直にベッドの上へ落ちた。このバリア、物理的な障壁にもなってんのかよ、すげぇ。


「うるさい! わたし、1人でも試合に出るからね!!」


 おもちゃを買ってもらえなかった子供のように泣きじゃくるアスラを残して、俺たち3人は病室を出た。


 なんだかんだ言って、アイツも小学生ってことか。自分の身に降りかかった理不尽な出来事を受け入れるための、心の準備が出来てなかったんだろう。


 エイルとロビーのソファーに座っていると、アスラの父親がウッドボトルの飲み物を買ってきてくれた。


「わざわざお見舞いに来てくれてありがとう」


 いつしか見慣れてしまった、ゲームの回復薬を思わせるような、緑色の液体の入った半透明のウッドボトル。それを受け取ると、アスラの父親が俺の隣に座った。


「アスラは明日の大会をずっと楽しみにしてたんだよ。なんでも今回は、『海外遠征する代表選手を決める選考員が送られてくる』って、コーチから聞いたらしくってね」


「へぇ、俺は聞いてませんけど。エイル知ってた?」

「知らなーい」


 アスラの父親はアスラ以上に濃い青肌で、顎や口周りに文字通りの青髭を生やした、推定身長180センチ越えのダークエルフだ。

 青い顔に赤い眼という組み合わせにはもう慣れきってしまっていたが、目元に切り傷のある――まるで歴戦の兵士のような――風貌には面くらってしまう。

 声のトーンこそ低くて迫力があったけど、その口ぶりは思いのほか優しかった。


「オウガ君のことはよく練習場で見てたよ。アスラのペアをしてくれているんだよね? こんなことになってしまってごめんね」


 大人が子供相手に両手を合わせて、申し訳なさそうにお辞儀する姿は痛ましい。なんか、自分が悪いことをさせているような気分になる。


「いや、俺は別に。竜狩は暇潰しなんで」

「うわぁ、感じわるーい」


 俺の隣に座っていたエイルは、ピンク色の炭酸ジュースのようなものを飲みながら、宙に浮いた足をぷらぷらと揺らしていた。


「でもさぁ、スポーツなんて、命懸けてまですることじゃねぇって」

「ははっ、小学生とは思えない発言だねぇ」


 素性を見抜かれてしまい、胸元がチクリと痛む。

 そういや俺、つい1ヶ月前まで高校生だったんだよな。最近転生してきたばかりのはずなのに、あっちの世界の出来事の方が、もはや夢だったんじゃないかとすら思えてくる。


「アスラに稽古をつけてくれたお礼もまだだったね、ありがとう。コートに迎えに行ったとき、遠くから見てたよ」


 またしても胸部にグサリと刺突ダメージ。

 これで、脳裏に浮かんだ嫌な予感を口にしなくちゃいけなくなっちまった。


「あの、まさかアスラは、疲労とかストレスの蓄積で病気になったんじゃ……?」

「いやいや。アスラには龍鱗病の予防魔法を受けさせてなかったんだ。3歳まで海外にいたからね。オウガ君のせいじゃないよ」

「そうですか……」


 その口ぶりは優しさを帯びていたが、その真意まではわからなかった。

 彼の大きな赤い瞳は、こちらの反応を観察しているかのように微動だにしない。なかなか侮れない人だ。


「それじゃあ帰ろうか。船で君たちの家まで送っていくよ」

「ありがとうございます」


 3人で病院の玄関を出ようとしたとき、背後からの足音に振り返ると、こちらに向かって異世界式白衣――まさにRPGのヒーラーのような服を着た女性ゴブリンが、廊下を駆けてやってきた。


「あのぉ! アスラちゃんが呼んでるんですけど! 『話があるから呼んできて』って、オウガ君だけ」


 どうせアスラのことだ。「病院を抜け出すから手伝って」みたいなことを俺に頼むつもりだろう。でもその手には乗らないからな。

 脳内で数パターンの返答を用意しつつ、俺は病室の自動ドアを抜けて、部屋の中へと入った。


「なんだよ、話って」


 俺たちは、魔法陣や様々な数値を表示しているバリアによって、感染者と非感染者とに分けられていた。


「オウガ、もう明日のペアは決まったの?」


 すでにアスラは泣き止んでいた。

 目線こそ俺から逸らしていたが、やけに清々しい顔をしている。


「ベルクコーチはエイルと出ろってさ。昨日は練習もした」

「ふーん。そっか……じゃあエイルと出て、ユウショーしてきてよ」

「えっ?」


 放たれた台詞の意味がわからず、返す言葉が出てこなかった。

 ユウショーって……あぁ、優勝のことか。


「あんたならエイルと組んでもユウショーできるでしょ。わたしのせいであんたの将来までつぶしたくないの。そのかわり……ぜったいユウショーしてよね!」


 彼女の左手は、白いシーツを強く握りしめていた。

 その、充血で紅蓮に輝いた瞳を向けられて、俺は思わずアスラから目を背けてしまった。


 外は快晴にもほどがある、満天の青空が広がっていたってのに、病室を出てからも俺の気持ちは晴れなかった。


 駐車場のような場所に、車ではなく小型の船が何隻も停まっている。


 初めて乗車――いや、乗船した自動船は、まるで雲の上をソリで滑っているかのような乗り心地だった。

 自動車と自動船の最大の違いは、振動の有無だ。あっちの世界での自動車と違って、自動船は完全に道路上を浮遊している。

 その外観は船に近かったが、機能としては車輪を失った自動車に近い。

 前後に2席ずつが設置されている自動船での移動は、とにかく快適だった。

 運転席らしきものは前方右側の席にあったが、アスラパパはハンドルを握っておらず、自動運転モードになっていた。


 その自動船の窓から流れゆく外の景色を眺めながら俺は、アスラの言葉を思い返した。


 ――「わたしのせいで、あんたの将来までつぶしたくないの」


 そもそもあの大会にだって、成り行きで出ることになっただけだし。

 お前ほど真剣に竜狩してないんだよ、俺は。


「アスラ、せきにん感が強いんだよね。だからオウガと出れなくなったこと、謝りたかったんだと思う」

「素直じゃねぇな」


「そういうところがカワイイんじゃーん」

「はぁ……」


 娘の父親を前にしている状況で、あまりネガティブな冗談は言えない。


「オウガくん着いたよ。ここのマンションだよね?」

「あっ、はい、ありがとうございます」


 船内から出ようとすると、右側の運転席に座っていたアスラパパが、後ろに体を捻って振り向いてきた。


「僕からもお願いするよ。明日の大会は、アスラの分まで頑張ってほしい」

「いやっ……あっ、はい……」


 ドアを閉めると、今度は後ろの窓からエイルが顔を出してきた。


「じゃあまた明日! 7時くらいに迎えにいくからねー」

 道路上を浮きながら進んでいく自動船に向けて、俺は手を振った。



  † † †



 そしてその翌日。

 初夏の照りつけるような陽差しが、ちびっ子ハンターたちの肌を焼いていた。

 ってゆうかそもそも緑色の肌って、陽に焼けたら何色になるんだろう? もっと緑が濃くなるとか?


 そんなクソどうでもいいような物思いに耽りながら俺は、[第73回U−10少年竜狩選手権龍玉県大会]と書かれたテントの下で、頭を右手に乗せて横に寝転がっていた。

 腹の下にはチクチクと刺さる緑の天然芝っぽいものが生えている。その点はサッカー用グラウンドと何ら変わらない。


「がんばれぇぇ!!」「あきらめんなぁぁ!!」


 環浦東少年竜狩団のメンバーは、試合中の仲間たちに向けて、喉を潰しながら声援を送っていた。


「アスラかエイルと出てりゃあ、お前が優勝してたかもなぁ」

「そうですねー」

「うっわ、自信満々。いいねぇ、若くて才能のある奴は」


 ベルクコーチはカッカッカッと笑いながら、竜の足型みたいな形の扇子を扇いでいた。


 結局、俺はこの大会を棄権することにした。


 別にアスラと組めなくなったからとか、エイルが本来のペアであるメリルと出られなくなるからとか、そういう理由で棄権を決めたわけじゃない。

 ただ俺には、そもそもこの大会に出る理由が何も無かったんだ。


 2人のコーチの嫌がらせでアスラとペアを組まされたから、仕方なく一緒に練習をして、俺も仕方なく大会に出ることにしただけ。

 この大会で爪痕を残そうだなんて、俺はハナっから考えちゃいない。


 今日だって、チュートリアルでお世話になったエイルが出場しなかったら、何も貴重な休日の時間を割いてまで、この会場に足を運ばなかったしな。

 目の前では、長い首と長い尻尾でお馴染みのアンキラキオを、白と黒の猫耳少女たちが見事な連携で狩っている。


 黒耳のメリルは双剣を振り回して華麗に連撃コンボを決めており、白耳のエイルは杖でメリルに攻撃力強化魔法を付与しながら、自身も果敢に近接攻撃を仕掛けていた。

 2人とも小柄ながら、俊敏さはピカイチ。竜の攻撃を予測して回避し、見事にカウンター攻撃を当てている。これといったミスも無いし、攻撃のテンポも良い。かなりのハイスコアが期待できそうだ。


 メリルの猛攻を受け、とうとう首長竜が3度目の横転。そこからまたラッシュを仕掛けようとした矢先、例のファンファーレが鳴った。

 制限時間5分のところ、彼女たちは3分ちょっとで竜を倒してしまった。宙に浮かんだスコア表示を見るとランクS。


『ねぇねぇ、どうだった?』

 その声のハモり具合は、姉妹たちの連携の良さを象徴しているかのようだった。


「良かったんじゃない? って、うおっ――」


 茶色い鎧ウェアを着た黒耳少女が、全力で俺に抱きつき攻撃をかましてきた。

 芝の上に倒された俺は、後頭部が地面に叩きつけられないように、瞬時に顎を引いた。

 あっぶねー。また強く頭でもぶつけたりしようもんなら、あの世に飛ばされんだろ。


「オウガせんぱいにほめられるのうれしー!」

「ちょっと、メリル止めなさい! はしたない!」


 なぜか俺はメリルに好かれていた。それに姉のエイルに似て、よく俺に抱きついてくる。


「もしかしたらお前ら、優勝できるかもな」

「うーん、それはどうかなぁ〜」


 ポジティブ思考なメリルが珍しく、首を傾げていた。


「他の大会のソロ部門で優勝した子もデュオで出るらしくって、そのペアが強そうなんだよね〜」

「いや、まだわかんねぇぞ? 急にお腹が痛くなって出場できなくなるとか」


『まっさかぁ〜』

 その、まさかが起こったのである。


『――デュオ部門、優勝エイル/メリルペア』


 優勝候補筆頭と噂されていた選手が急遽棄権したらしく、ランクSを唯一叩き出した彼女たちの首に、金メダルがかけられることとなった。


「やったぁぁぁ!!」

「1位だよ! 1位!!」


 エイルとメリルが、表彰台の上で抱き合いながら飛び跳ねている。

 俺は控えめな拍手を送ると立ち上がり、尻についた芝を払って、ケースに入れたままの大剣を右肩にかけた。



  † † †



 アスラの病欠で棄権した大会から3日後の朝。

 いつものようにエイルのお喋りを聞き流しながら登校すると、教室に入るや否や、怒れる竜のような剣幕で俺は掴みかかられた。


 胸ぐらを掴まれたまま、背中を壁に打ち付けられる。その勢いにはキレがあり、とても病み上がりの小娘のモーションとは思えなかった。


「どうして大会に出なかったの!?」

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