第7話 一難去って

 気持ちが冷静になったのは、家の玄関のドアを閉めた時だった。そして俺は、右腕で何かを掴んでいることに気づく。振り返ると、驚いた顔をして目をぱちくりさせているリーヴァがいた。


 そうだ。俺は気が動転してたあまり、リーヴァの腕を掴んで、そのまま歩いて家まで帰ってきたのだ。 


「あっ」


 と声が漏れ出た。慌てて手を離して、彼女から目を逸らす。


 異性の腕を握った。


 そんなことを思春期に入って以降ろくにしてこなかった俺には、その事実を意識せずにはいられなかった。


「ねぇ」


 女の子の、それもこんな美少女に、俺が、触れるなんて。


「もしもーし?」


 恥ずかしさと嬉しさが混じり合ったような感情の濁流が俺の心を駆け巡り、鼓動を早まらせる。あぁヤバい語彙力が溶けr


「ねぇってば!」


 リーヴァがそう言って背中を軽く叩いたんでびっくりした。おかげで悶々としていた俺は我に帰ることができたんだが。


「ん!? お、おう。なんだ?」


 俺がそう答えると、今度は不機嫌そうな顔になった。


「学校を見て回るの、楽しみしてたのに……どうしてすぐに帰っちゃったの?」


「だって……いや、その……俺が、耐えきれないと言いますか……」


 周囲に見られながら学校を回るのは嫌なんだよ! 変な誤解もされちまったし! いや待て。事実上そうなのか? 俺たちは……


「ふぅーん」


 リーヴァは納得がいっていないようだ。そりゃそうだな。彼女そういうの気にしてなさそうだし、そもそも彼女は人間じゃないし……


「まぁ、さ。ほとぼりが冷めたらちゃんと案内するよ。学校も、この街も」


 これは本気だ。俺の勝手な行動のせいで彼女の楽しみを潰してしまったんだから。悪いことをしたらその償いをするのが、正しい行動ってもんだろう。ただ、ほとぼり冷めるかなぁ……。


「本当?」


 リーヴァがじとっとした目で俺を見た。


「本当。本気だよ。近いうちに、さ」


「約束よ?」


「あぁ、約束だ」


「違えたら?」


「ん……針千本飲む」


「っフフ。初めて聞いたわ。そんなペナルティ」


 リーヴァは微笑してそう言った。どうやら機嫌は直してくれたみたいだ。


「それで、これからどうするの?」


「んー」


 手元の腕時計を見ると、ちょうど11時半。昼時が間近だ。


「まずは飯かな」


 俺がそう言うとリーヴァは目に見えて嬉しそうになった。図らずも、俺は彼女の餌付けに成功していたらしい。こういう反応になるならこれで機嫌を直すべきだったか。


「やった!」


 そう言ってガッツポーズを取るリーヴァ。凛とした容姿とのギャップもあって破壊力がえげつない。俺も気分が明るくなって、つい笑いをこぼしてしまう。


「ハハ。そう喜んでもらえるとありがたいね。早速準備するから、その間は休んでてくれ。準備ができたら呼びに行くから」


「えぇ! 楽しみにしてるわ!」


 そして俺はキッチンへ、彼女は二階の寝室へ行った。




***




 正午を知らせる市の放送が鳴って少しして、二人分の昼食が完成した。さて、リーヴァを呼びにいこう。


「リーヴァ! できたぞー!」


 と俺が呼びかけると、


「はぁーい!」


と彼女が元気な返事を返してきた。


 そして彼女はすぐに階段を降りてきた。制服からは着替えて、見覚えのある服を着ていた。姉の古着である。白のセーターにジーパン。姉が着ていた時は何も思わなかったんだが、リーヴァが着ると実に映えるように思えた。美人は何を着ても似合うって聞いたことがあるが、そういうアレなのだろう。


「姉さんの古着じゃん。よく似合ってる。制服と一緒に見つけた?」


「ありがと。そうね。あなたの隣の部屋から持ってきたわ? 大丈夫?」


「おう。問題ない」


 姉は滅多なことがない限り実家であるここに帰ってこない。だから少しくらい他人が使ったってバレないだろう。


 リーヴァが椅子に座ったのを見て、俺は料理を運び始めた。今日の昼のメインディッシュはオムレツだ。それにサラダと味噌汁もつけて、バランスが偏らないようになっている。彼女が栄養バランスを考慮しなきゃいけない存在かどうかは知らないけど。


 皿が並べられると、彼女は目を輝かせて料理を見ていた。早く食べたいのだろう。俺も腹が減っている。さて、昼食の時間と使用。


「よし、じゃあ食べるか。いただきます」


「イタダキマス? 何かの呪文?」


 リーヴァがキョトンとした顔をして聞いてきた。


「いや違う。挨拶だ。こうして料理になってくれた命に感謝しますって意味だよ、確か」


 と、かろうじて覚えている知識で説明する。


「へぇ、面白い!」


 彼女は愉快そうにそう言って、手を合わせた。


「いただきます!」


 元気のよろしいことで。


 そしてフォークを持ってサラダを食おうとした時、インターホンが鳴った。そしてすぐさまドンドンドンドンドンと玄関の扉を叩く音が聞こえた。来客、それも、よく知ってる人間らしかった。


「悪い。ちょっと出てくる。食べてていいよ」


 と言って、俺は玄関へ行き、扉を開けた。


「こんにちはー! 影山くん、いますかぁ?」


 やっぱり、敏明だった。彼も一度家に帰ったのか、私服を着ていた。


「そのネタ俺だけにしかやってないだろうな? わからない奴にやったら大惨事だぞ」


「もちろんだとも」


 あぁ、そう……。とりあえず用件を聞くか……。


「何しにきた」


「飯食いに来た」


「……」


 確かに、彼は何度かウチに上がらせて一緒に飯を食べたことはある。普通なら俺も拒否しようと思わないんだが、今回は流石にダメだ。いくら彼であろうと、リーヴァがウチに住んでることは知られたくない。むしろそういう噂の火消し役に回ってほしいくらいなのだ。


「そんな露骨に嫌な顔すんなよ〜。俺とお前の仲だろ? これが初めてじゃないんだし」


「だがダメだ。今回は。ちょっと取り込んでて……」


「ノルドランデルさんのことか?」


「……」


 ノルドランデル? あぁそうか、リーヴァは学校じゃ名字の方で名前が通ってるのか。


 ……待て。なんでそこでリーヴァの話題になる。


「お前……まさか!」


「図星、だな。ちょっとそこどいてもらうぜ」


 彼は笑いながらウチの玄関に突入する。止めようとしたがその努力も虚しく、突破を許してしまった。


「待て、待て!」


 俺はそう声を荒げて敏明を追うしかなかった。

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