第4話 俺達はいつまで経っても家畜なんだ。人間様の奴隷なんだよお


「それではこれより、異端審問を始める……キミ達が悪魔であるか否か、俺の前で隠し立てることはできない」


 思えばこれからバステッド達の身に巻き起ころうとしている惨劇は、中世で言う魔女狩りめいたものであると思えた。検邪聖魔省の言う異端審問、もとい悪魔裁判では、当時の魔女狩り同様に、容疑を掛けられた時点で悲惨な結末は決している様なものだった。

 目尻にたっぷりとしたシワを刻み込みながら、ドロマリウスはいやらしい笑みで子供達を眺める。

 半壊した納屋のような家に火を灯し、三人は木製の椅子に並んで縛り付けられていた。彼等の大切な思い出が呆気も無く焦げ臭い炭に変わっていく。無慈悲な熱波をジリジリと側に感じ始めながら、彼等は従うより他がない暴力を前に肩を震わせるだけだった。


「おかあさ……起きて、起きて……あぁっ、なんで、ヤダァ……ぁあ、ああああぁああっ!!」


 エルキヤがそう悲鳴を上げた。それは丁度、そこに転がり動かなくなった母の胴体に、赤い火が近付いて肉を焦がし始めたその時だった。


「あついよ……おかあさん、そんなところにいたらあついよ?? 焼けちゃうでしょう? はやく……起きてぇ」


 まつ毛を戦慄かせ、縛られたまま体を揺すり、少女は大好きな母の体へと呼び掛けていた。

 エルキヤはまだ母が生きていると思っているのだ。死ぬという事をまだあまり理解していない。だからいま、大切だったモノが無に変わっていく光景を前にしながら、少女は健気にその亡骸に呼び掛け続ける。


「ダメだよおかあさん、体に火がついてるよ、あついでょう? はやく起きて、危ないよ、あっついよ? ねぇ……ネェ!!」


 鬱陶しそうな表情でドロマリウスが鞭の刃をしならせた時、ルフログがゴツゴツとした肌を火の灯りに照らしながら口を開いた。


「お母さんはお前達の探している悪魔なんかじゃなかった、お母さんは誰よりも優しいただ一人の魔族だった、それなのに――!!」

「いいえ? アナタ達の母はきっと悪魔だった……神聖なる検邪聖魔省の意向に歯向かったのがその証拠、そうに違いない。ソウサ!! 我々の前で隠し立てはできない。ロチアートの中に潜みしは、巧妙にその存在を隠し立てるものなのだから……」


 暴論に近いその根拠に目眩を覚えながら、ルフログは揺れる事もしない冷淡な赤目を足下から見上げていった。


「僕達にだって人権があるんだ、僕ら魔族にだって人間達と同じ権利が! こんなこと絶対に許さない!」

「人権……? 笑わせるな」

「ぇ――」

「そんなのは建前で実際とは違う。平等を謳う為のパフォーマンスでしかない。知らないのか? 我々ロチアートは人間の百分の一程までに数を減少させている。……それが何故だかわかるか?」


 ルフログにズイと顔を近付けて、ドロマリウスは手元から落とした鞭の刃を不気味にうねらせる。


「かつてだった俺達ロチアートの肉の味を忘れられねぇで、今でも密猟をやってる人間や組織がごまんといるんだ」

「……っ!」

「時代に踊らされ一端の人間にでもなったつもりか? 。俺達は今でも人間様の奴隷なんだ」


 ドロマリウスの放った言説は、確かにこの世の中の実態を捉えていた。

 魔王と勇者の争いの後に訪れた“新生”。だがそれよりも以前、赤目は動物という概念の無かったこの世界で、食用として生かされる家畜でしかなかった。

 赤目に押された烙印スティグマは、今尚彼等の身を縛り付けているのだ。


「ほら、旨そうな匂いがして来ただろう?」

「やめろッ!」


 母の肉が焼ける匂いが充満していく。かつて当たり前のように食べられて、今尚人間達を魅了して離さないその肉の芳しい香りが。それは豚とも牛とも鳥とも魚とも違う……その肉にしかない香り、食感、味、得も言えない充足感。その肉を一度ひとたび口にすればわかる……それはまるで、見つからなかったジグソーパズルの最後のピースがハマったかの様な……ロチアートの肉に、人は魅了されているのだ。

 ――一度味わった甘美を、人は忘れる事など出来はしないのだ。


「オカアサン!!! 焼けてる体がっ焼けてるよ!! おねがい立って! エルのところまできてぇ、おねがいだから……!!」


 その炎熱に、大好きだった母の柔肌がめくれ上がっていくのが見えた。エルキヤの頭を撫でてくれた指先が、抱いてくれたその胸が、赤い炎を噴き上げて炭になっていく。

 ――感情を昂らせたエルキヤの周囲に魔力が立ち上り始めた。

 そこでドロマリウスの目に害意が宿ったのを、バレステッドはいち早く気付く。


「大きな声は嫌いだあ――」


 ――振りかぶられていく煌めく鞭……

 解き放たれた刃の線が咽び泣いたエルキヤへと迫ろうとした時、彼は声を上げていた。


「ヤメテクダサイ――!!!」


 物理的に不可能である筈の挙動を見せて、刃の鞭は少女に向かって水平に放たれた顔の目前で制止していた。そうしてまるで生命体であるかの如く、中空に浮遊したまま体をうねらせて、その切っ先をぬらりとバレステッドへと向け直していき始める。

 ……それにしても、この冷酷なる男がたかが少年の一言で手を止めたというのは意外だった。検邪聖魔省の犬として今は自らで悪魔狩りを執り行いながらも、自身もまた、かつて検邪聖魔省によって一族を根絶やしにされた男――が因子を覚醒させた血も涙も無い筈の野人。そんな男が暴力の手を止めた理由は、にあった。


「やめてくださ……ぇ……ぇ、へ……」

「おやあ、アナタ……」

「ルフロとエルは何もしていません、えへ、へへ……悪魔は僕一人です。だから、何もしないで、痛い事をこの子達にしないで……お願い、します」

「え――」


 穴が開くほどバレステッドを凝視していた赤い瞳が、愉悦に歪んで邪悪なシワを刻むのが見えた。無意識に微笑んでいたらしいバレステッドは、強く口を結んで表情を暗く陰鬱に戻していく。

 ――だが血に濡れた醜悪なる手が、彼の顎先を掴んで顔を上げさせていた。そうして少年の天使の様に端正な顔を間近に見下ろし、今にかぶりつくのでは無いかという程の至近距離にて鼻先を突き合わせて囁く……


「綺麗な顔だあ。汚してなじってけがしてやりたい。つばを吐きかけたい。かかとで踏みにじってやりたい。ああこれは始末に負えない。金で人間たちに尻尾を振っている犬のような俺よりも、これはもっともっと悪い……! キミはこの人間社会に心の底から従属してしまっている……ああ決めた、キミの顔を恐怖に歪ませたい。おお決めた、そのスマイルを破綻させてやりたいと」


 ドロマリウスはバレステッドの口角を血に汚れた指で引き上げ、歪な笑みを作り上げて嬉しそうに言った。


 その全身を竦み上がらせながらも、バレステッドは考える――今の自分に出来る事は、エルキヤとルフログが苦痛を味わう事になる時間を一秒でも引き伸ばす事だと。それでどうなるともわからないが、賭けるしかない。家の半壊した轟音に夜に立ち上る黒炎……可能性は充分にある。町の人間達がここに訪れて、この狂人の蛮行を糾弾するその可能性が。いくら人間たちに通告をされたからと言って、ここまで非人道的な異端審問のやり方があろうか? 実際に人が一人、無惨な殺され方をしている。この凶行を目の当たりにすれば、誰もがこの異端審問官ドロマリウス・アリアビュートを、検邪聖魔省を苛烈に非難する事は明白であった。


 バレステッドから数歩遠ざかって振り返ったドロマリウス。すると手元に戻っていった刃の鞭が、液状となってその形状を変え始める――

 やがて唖然としていたきょうだい達の前に現れたのは、肉厚な刃を光らせる巨大なハサミであった。


「なんでこんな事を……っ」

「悪魔の因子とは、心身共に極限まで痛め付けられた末にようやくその姿を現す。俺は異端審問官として、キミ達の中に悪魔が宿っていないかをこうして確かめなくてはならないのだ」


 こちらに向かって開かれた、人の前腕程にもなる巨大なハサミ……にび色に光るそのハサミで今から何を切断しようというのだろうか? おぞましいものを連想してバレステッドの鼓動は跳ね上がる。


「それでは始めようかあ……心が痛いけれど、ぃげげ……」

「――――っ!!」


 開かれた刃の間から、歪んだ赤の視線がバレステッドを覗いていた。そうしてその時がいよいよ訪れた事を悟り、少年はグッと目を瞑って無慈悲な痛みに堪える準備をした。


「痛いィイイッア゛!!? にいさん、ニイサンッ!!!」

「え――――ッッ!!?」

「肉を切られる痛みはどうだあ……燃えるように熱いだろお?」

「イガァァアア――ッッッ!!!!」


 瞳を開けたバレステッドの視界に飛び込んで来たのは、自らでは無くルフログの大腿に深く刺し込まれたハサミだった。刃の二枚が肉を断ち切って、そこに赤の断面を見せて血を滴らせる。返り血を浴びながらハサミを引っこ抜いたドロマリウスが、絶叫したルフログを見て笑い転げた。


「ぃげげげげげげっ!! ああ、笑った……」

「なんで……ねぇ、なんで!!? 何でなんですか、ボクを痛め付けるじゃないんですか?!! ねぇ!!!」

「ァ゛ァ゛ァ゛……いたぁ゛ぃい゛……足、僕……のっ足がぁあ!!」


 眉を歪ませたルフログが絶叫し、大腿より噴水の様に出血している。悲惨な兄の有様を見て、エルキヤはショックで瞳を閉じられなくなった。そうして過呼吸に陥り、周囲に纏う魔力を更にと大きくしていくと、彼女特有の魔力の属性である炎が、きょうだい達を縛り付けているロープを少しずつ焦がし始めた。


? 言ったじゃあ無いか、俺はキミを痛め付けると、そう決めたと」

「……だったら、だったらなんでボクじゃなくてルフログを!!」

「知っていますかあ? 苦痛は自らに及ぶよりも、大切な者に及ぶ方が苦痛だと」

「やめて……そんなっそんなコトっ! ナンデそんな事をッ!!」


 ドロマリウスは痛みに喘ぎ苦しむルフログの背中側に回ると、後ろ手に縛られた彼の指先をねちっこく触りながら右の口角を吊り上げる。


「俺が気付かぬとでも思ったか? キミの大切そうに守り立てた両の指先……大方、身の丈に合わない夢でも思い描いていたのだろう?」


 痛みに落涙する事しか出来ないでいるルフログの指先を、纏めて八本、刃に添えていくドロマリウス。


「ぅぅ……っ……ぅ……」

「おやあ、泣いているのですかあ?」

「許し、て……許してくださ…………っ」


 ドロマリウスはその一瞬だけ声音を神妙そうに変えて、懇願するルフログの耳元に答えるのだった。


「俺も泣いたさ、もっとみっともなく泣いて懇願した」

「……っ」

「――それでも許されなかった」


 ピンと張り詰めた空気に、無慈悲な刑が執行されるのを感じた。

 だがその瞬間だった――


「やめて――ヤメテェエエエエ!!!!」


 幼い少女の魔力が爆発してロープを焼き切り、火炎がドロマリウスの腹に炸裂して吹っ飛んだ。

 飛び散った火の粉がバレステッドのロープに引火して、彼もまた拘束を解かれる事になる。

 

「にいちゃんの……ルフロにいちゃんの夢をわらうなぁあ!!」


 激怒したエルキヤが力を暴走させている。バレステッドはその隙に、未だ縛られたままぐったりとしているルフログの元へと走り寄って固く結ばれたロープを解こうとした。


「待っててルフロ、今解いてあげるからね!」

「……にい、さ……」

「なんて冷たい手なんだ……くそっなかなか解けない!」

「だめ、だ……にいさん」

「え?」


 まるで最後の力を振り絞るかの様な青褪めた顔で、ルフログは僅かに振り返ってバレステッドに言った。


「町の人に、知らせて来て……あの男はまだ生きてる」 

「生きてるって……でも火だるまになって」


 炎の向こうでレザーコートが立ち上がって来る姿が見えた。今度はその手で、またもや形状を変えたらしい、巨大な円盤状のノコギリが音を立てて猛回転している。


「……それではまだ悪魔の因子を覚醒させたとは言い難い……その力はまだもっと先、深淵のような絶望の先に……」


 ルフログが声を荒らげてバレステッドへと叫び付ける。


「にいさん早く、もうそれしか無い、行くんだっ」

「でも……キミ達を置いて行くなんてボクにはっ」

「行くんだにいさん、今のエルならきっと少しの時間位なら稼げる。わかるだろう、もうそれしか無いんだ。僕達きょうだいがまた三人で生きていく為には……だから早くっ!」


 ――僕達がまた三人で生きていく為に。

 その言葉がバレステッドの背中を押していた。

 

「ごめんね、必ず戻るから……村の人達を連れて必ず戻って来るから待っていて!」


 震えた膝で何とか立ち上がり、半壊した家屋より飛び出して町へと駆ける。

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