#9 自然科学(感想①)

 『19世紀の異端科学者はかく語る』電子書籍化にともない、カクヨム版は序文を残して削除しました。規約の関係でURL載せませんが、書籍版タイトルは『十九世紀の異端科学者はかく語る: ダーウィンの愛弟子ラボックの思想と哲学 -The Pleasures of Life-』です。


 電子書籍版を出したからといって、小説投稿サイトを軽んじるつもりはまったくなく、棲み分けしつつ執筆活動を展開したいと考えています。


 そこで、ここから先は、翻訳文を引用しながら訳者主観で「感想と解説」を投稿しようかと。


「翻訳者だって、ひとりの読者として感想書きたい!」


 そんな主旨で、好き勝手に語ります。


(※引用文は改稿前のもので、書籍版とは異なる場合があります)





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#9 自然科学(感想①)

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 著者のジョン・ラボックは科学者ですから『科学(サイエンス)』と銘打った今回のテーマは本領発揮。全体的に長尺で、前半と後半で少し内容が変わるため二分割しました。


 前半は科学の楽しさについて。ラボックのウキウキ感が滲み出ていますが、後半は一転してシリアス調になります。今回の更新分はウキウキ編です。




> 夜も更けた頃、天文学者は孤独な高みにいる

> 暗闇の中を探索し、遠くに見える

> 島々のような輝きを放つオーブたち


> 彼はある彗星に気づいた。

> 軌道を計算すると、彗星は千年後に地球へ戻ってくることがわかった。


> 星は必ずやってくる。それは一時間たりとも

> 科学を欺き、その計算を誤魔化すことはできない

> 人は過ぎ去るが、塔の中で見張っている

> 人は眠れぬ思索の中にとどまるだろう

> そして、すべての人が順番に滅んでいったとしても

> 真理は彼らの代わりにその星の帰還を見守るだろう




 ラボックは『#4 本の選び方』の中で「私は十分に異端」と自称していました。

 今回、次の文章を読んだとき、ラボックの感性に共感する人はとても少なかったのではないかと感じました。




> あまりにも多くの人が、自然は「雑草や虫と同じ」としか認識していない。

> 彼らは、鳥が好きな子供と同じ、つまり石を投げつけるのが好きだ。あるいは、エスキモー人が時計について尋ねるように「食べれるかどうか」を考えたりする。または、アフリーディー族の信心深い村人が預言者の墓で礼拝するために子孫を殺したように、ひどく扱ったりする。


> それでも、科学への愛、すなわち「私たちが自然の弦の上で鳴らす音」が、より多くの人々にとって「人の感情の誠実で神聖な要素」として少しずつ受け入れられていくと期待してよいのではないだろうか。


> 科学が、人間を目覚めさせる。




 『#6 時間の価値』でも、人生に鈍感な人(何もしないのに退屈がっている人、来きたるべき「より良い世界」のことばかり話している人)について、厳しい意見を述べていました。

 今いる世界がどれほど退屈だとしてもそれは自分のせい。自分自身が退屈な人間だからだ。何かを学び、何かを行い、何かを理解するんだ……と。


 下記は、なんだか切ない気持ちになった一節。




> たとえ、実際には存在しない美や魅力を想像したとしても、

> 少しでも間違いを犯すくらいなら、慈愛の側に立った方がよい。

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