反抗と思春

 ホームルームの終わりを知らせる鐘が鳴り、長い一日が終わった。なんて清々しいのだろう、と思っているのは俺だけでなく、普段から真面目でもないやつらですら一丁前に同じ感想を抱いているのだ。グッと身体を伸ばし、座りっぱなしで縮み込んだ筋肉を解す。

「清水、清水!」

「ん?なに」

 隣の席の、少しだけ賑やかな女子に腕を引かれた。いつだったかもあったな、と思考を巡らせれば、そういえばあれは手紙を受け取った日だった、と思い至る。

「なに?」

「ちょ、デリケートな話だから小さくなって」

「屈むんでいい?」

「なんでもいーから、早く」

 言われるがまま身体を屈め、女子の指定する高さまで身体を小さくする。丁度良くなったのかすぐそこに顔が来て、不満気な声が耳に届いた。

「フったの?」

「思ったより声デカいね」

「いや、マジどうでもいいから。なんで?」

 他人事だというのに真剣に、と言うより若干キレ気味に、さっさと答えろ、と俺を目で脅す。根負けした訳でもなく、促されるまま気乗りしないが口を開く。

「なんでもいいじゃん。別に好きでもなかったし、期待させるのも可哀想でしょ」

 八古や柳田の前ではあんなにもごちゃごちゃと言い訳を並べ立てたと言うのに、今日はやけにすんなりと言葉が出てくる。しかも本心で、本人にも伝えた通りの言葉が。

「意外と手酷いことするんだね」

「そうか?期待させる方が酷ぇだろ」

「清水はもっと優しいと思ってたわ」

 柳田や髙橋のものとは反対の言葉がなぜか俺を落ち着かせる。期待値が高かったものが下がったというのに、焦ることもなく、ただ力が抜けるような感覚だけを覚えた。

「優しいっつーのがよく分からんわ」

「ハイハイ、もういいわ」

 じゃあね、と勝手に始めて勝手に終わらせる彼女に呆れながら、片手を挙げて友人と教室を出て行く背中を見送った。バックパックに教科書やプリントが詰まったファイルを突っ込み、チャックを閉じる。

 いつもならそろそろ柳田と髙橋が来るタイミングなのだが、あのうるさい声は一向に聞こえず、廊下を流れる生徒の波と、そこへ混ざろうとするクラスメイトがあるだけだ。彼らと同じように廊下に出るためにそこに立つと、見慣れた影が通り掛かるのが視界に入り、それを追おうと足が動く。

「八古」

 断りを入れながら人波を掻き分け、少し先に見えた背中を追う。走った訳ではないのだが、思いの外すぐそこに追っていた彼はいて、反射的に肩へ手を伸ばす。が、いつぞやそれを注意されたのを思い出し、左へと伸びていた手を右へ逸らした。くっ、と八古の薄い肩が傾き、俺に向く。

「……なに」

 一瞬瞳が揺れたと思うと細められ、チラリと見えた色を隠し、鋭い目付きで俺を見てボソリと溢した。

「いや、教室の前通るの見えたから、つい」

「……あっそ」

 いつにも増してぶっきらぼうに言い、離して、と俺の手を一瞥する。それがなぜだか微笑ましく思えて、ふと小さく笑んでしまった。

「なに」

 それが気に食わなかったらしい八古は眉間に皺を寄せ、再び不満を溢す。反抗期丸出しな反応、とでも言おうか。それを俺に向ける理由を俺は詳しく知らない。八古の家庭事情が少しだけ複雑らしいことは髙橋から聞いているし、俺に対してはそう接したいというのであれば、それも悪くはないだろう。

「なんでもねぇよ。悪ぃな」

「あっそ」

 同い年だが、歳の近い弟に嫌われる兄のような心地になり、普段とは違った体験は俺を惹き付ける。反抗期らしい反抗期を過ごしていない俺の知らない感情に強い興味が湧く。

「そういや髙橋と柳田は?一緒じゃねぇの?」

「知らね。そっちに行ったんじゃなかったのかよ」

「残念ながら来てねぇな。まぁ、いいか」

 さほど気にすることでもない、と八古も俺も割り切り、そのまま玄関までの道を辿る。八組の前を通った時に覗いてみたが、柳田と髙橋らしいふたりの姿はそこになかった。階段を降りながら、ふと聞こうと思っていたことが思い出された。

「お前、私立志望してたんだよな」

「……そうだけど」

「別にどこ選ぼうがいいとは思うけど、なんでわざわざうちに替えたんだよ。あそこ超進学校じゃん」

「どうでもいいだろ」

「そうだけど……」

 うるせぇな、と不機嫌さを隠す事なく八古は吐き捨て、玄関ホールの人混みへと紛れようと大股に歩いて行く。苛立ちを露わにしたまま歩く八古は背中を丸め、何かに耐えているように見えた。その姿に胸の辺りが小さく痛む。

 下駄箱から靴を取り、上履きから履き替える。足を捻じ込み、すぐそこに見える八古の背中を追った。隣に立つと、あからさまに溜息を吐かれた。

「まだなんかあんのかよ」

「まぁまぁ。八古、今日は部活休みだよな」

「……だったら何」

 苛立ちを声に滲ませたまま、俺を見もせずに八古は呟く。どこまでも徹底された俺への態度は、少しずつだが俺を確実に傷付けていた。

「じゃあ、ファミレス行かね?」

「は……?」

 お詫びに奢るから、と付け加えど八古は頷かない。が、たったひと言でそれは変わった。

「よし、行くか」

 ニッと口角を上げて見せると、八古は先程とは色の違う気不味さを滲ませた。


***


 ああ、ついにこの時が来てしまった。

 清水にけしかけられたのではない。思わず、思いがけずつい口を突いて出てしまったのだ。それほど、この積もり積もった感情はハルのたったひと言に強く揺さぶられ、抑えきれなくなってしまったのだ。

 人気の少ない、殆ど使われることのない講義室。俺とハルしかいない空間。且つ、校内でも美術準備室や暗室といった、普段あまり人が立ち寄らないような場所のさらに奥にある講義室。後ろドアからも前ドアからも見えない、廊下と講義室を隔てるだけの薄い壁に背中を預け、ふたりで座り込んでいる。ベストポジションだとか、そんなことよりもハルが俺の手を握って、時折柔く手の甲を指先で撫でたり、掌の皺を撫でていることの方が、俺にはずっと重大だった。

「ハル……」

「ん?」

「その、あ……っと」

 ゆっくりでいーよ、と優しい声で俺に言い、ほんのりと流れる甘い空気感が心臓を暴れさせる。深呼吸をして、ハルの手をキュッと柔く握り返した。

「ハル、俺ね……ずっと、ずっと好きだったんだ、ハルのこと」

「うん、そうだと…‥思ってた」

「流石に、そうだよな」

 乾いた自重気味な笑いを思わず溢すしかできず、ハルの顔を直視できず、下唇を噛みうつむく。浅く短く息を吸う音がした。

「無粋かもしれないけど、いつから?」

「…‥クラス替えの、初めて目が合った時」

「あの日、か」

 思い当たる節はあるのか、ハルは静かに呟いて、恥ずいな、と微笑んだ。

「キモい、かな」

「なにが?」

「いや、その…‥男だし、俺」

「清水から聞いたんだろ?俺のレンアイヘンレキ」

 まぁ、聞いた、と歯切れ悪く答えると、ハルはまた笑って、俺の不安を取り除くように俺の手を包むそれに力を込めた。温かくて、じんわりと緊張をほぐすような、増長させるような。そんな感覚が俺を飲み込む。

「年上の男と付き合って、本気になった俺は……キモい?」

「そんなことない」

 咄嗟に否定し、パッとハルへと顔を向ける。柔らかくて穏やかな表情で、よかった、と呟いたハルは、いつもの茶目っ気なんてどこかに行ってしまったような、大人びた雰囲気を醸し出していた。

 ああ、心臓がうるさい。

「ハルは、俺のことどう思ってんの?」

 怖いけれど、絶対に聞かなければならないと、今日、さっき、心に決めたこと。ハルの中で、仲良くなったら好きになってしまうハルのにとって、俺はどんな存在なのか。

「ずっと、弟みたいだな、って思ってた。」

 アレ。

 それは、脈なしのやつでは、と頭の中でぐるぐると不安が渦巻いて、うるさい心臓を鎮めるようにギュッと締め付けた。

「かわいいし、懐っこいし、ちっちゃいし」

「それ、悪口?」

「そうじゃなくて、俺兄弟いねぇからさ、いたらこうなんかなー、って。」

 思ってたんだ、と言いながらハルの指が俺の手の甲を撫でて、小さく笑った。

「なんか、嬉しかったんだよ。ハル、ハルって俺のこと呼んで、隣歩くだけでも嬉しそうにしてる侑司の顔とか」

 俺の手を離すと、その手が、腕がゆっくりと俺の肩に回される。そのままグッと引き寄せられて、ハルの匂いが近過ぎて、目の前がチカチカと瞬いた。

「もう、かわいくてかわいくてどうしようって、こっちは思ってんのにさ。侑司は真っ直ぐに俺だけ見てるし、俺、どうすんの、って」

 すんげぇ悩んでたんだぞ、とまるでもう悩んでいないかのように、ハルは眩しい温かい笑顔を浮かべる。

 けれど、ハルの言葉がすんなりと俺の中にはいってこない。アレ、コレ、夢?ハルの、その優しくて温かくて熱い温度が、俺に幸福と不安を同時に与える。

「え、アレ?……ねぇ」

 ポンポン、と柔くハルの背中を叩くと、ハルの身体が少し離れた。すぐそこにあるハルの顔はほんのり赤くて、なに、と八重歯を見せ首を傾げた。

「夢?」

「なにが?」

 俺の意味を成さない言葉にも優しく寄り添いながら、ハルはその先を待ってゆっくりと俺から言葉を引き出そうとする。

「コレ……今の、全部」

 信じられない、と顔に書いているだろう俺を見て、笑って、ハルは首を振った。

「んなわけ。現実。ほっぺつねる?」

 大きなゴツゴツとした掌を顔の横に並べて、それをヒラヒラと振る。真っ赤になりつつある顔と同じくらい掌も赤かった。

「なんで、そんな……急過ぎん?」

 情報処理を出来ていない頭は停止して、全ての答えを欲している。与えてくれ、もっと、もっと、甘く優しい言葉を飢えた、欲深い俺に。

「急かぁ。まぁ、そうか……」

 と、一度言葉を切り、頭をガシガシと雑に掻きながら、ハルはどれを話そうか、と思案する。見付かったのか、頷いて口を開いた。

「民体にさ、四人で行ったじゃん」

「剣道見に行ったとき?」

「そ。……あの時、俺もすんごい苦しかった。侑司の気持ちはなんとなくわかってたから。だから、酷いこと言えば諦めてくれるかな、って、ちょっと意地悪いことしたんだよね」

 ゴメンな、と言いながら俺の肩に置かれた手に力となにかが籠ったように、ギュッと握られる。

「侑司の気持ちに、俺は応えたい。」

「え」

 いいの、と紡ぐより早く、ハルが俺の口元を手で覆う。

「けど、俺には一個やんなきゃないことがある。すぐ終わらせるから、少しだけ時間くれ」

 ゴメンな、とまた呟いてハルの顔がすぐ目の前まで来て、止まった。

 温度が離れていくと、今度はガラガラと講義室のドアが開き、足音までも遠退いていった。

「え、どゆこと」

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