足音は期待ハズレ

 廊下から足音がふたつ響いてきた時、クラスのやつらがザワザワと騒がしくなった。どうせ俺には関係ないだろうと無視していたのだけれど、今となってはその足音を恨んでいる。言い過ぎかもしれない。

「髙橋、英語見して」

「ヤですー」

「ヤデス〜ヤデス〜ヤデス〜〜ハデス」

 少し前に流行った芸人よろしく、同じテンポの言葉を勝手に並べて勝手に笑うクラスメイトにまで腹が立つ始末だ。

「なに、珍しく不機嫌じゃん」

「うるさ。ほっとけよな」

「コラコラ〜、カワイイ顔が台無しだぞ〜」

「マジでうるせぇ」

 突っ伏している俺の頭を勝手に触っていることとか、ペンケースの中を勝手に見ていることとか、全部がムカつく。これは八つ当たりではなく、本当に嫌なだけだ。

「やめろや、マジ」

「えー、ごめん」

「許さん」

 許せユウジ、と人差し指と中指を俺の脳天に突き立て、下痢ツボ〜、とふざけているこいつは、多分殴っても許される。

「ちょっと、そこうるさい」

「そんなに?つーか教師みてぇな言い方。ウケる」

「先生来ちゃうから静かにして」

 と、珍しくまともなことを言うクラスの女子に心の中で拍手を送りながら、前の席に座る男子の横っ面にチョップを打ち込む。

「いっ……た、ひどくね?」

「お前の笑えないギャグの方が酷いわ」

「言うねぇ」

 静かにする気のないそいつは俺を指差し口角を上げる。すると、目の前のウザい男子目掛けて白いものが飛んできた。消しゴムだ。

「は?なに」

「うるさいって」

 なかなかにいいコントロールだったそれはウザい男子の首元に当たり、脚を開いて掛けていた椅子の座面へと落ちる。女子にキレられたからか舌打ちをして下を向くと、激しく貧乏ゆすりをし始めた。

「なぁ、前向けよ。俺お前と話す気ねぇから」

「へーへー」

 つまんねぇな、と悪態を吐きながら身体を前に向け、ガタン、と音を立てて机に突っ伏した。やっと静かになった教室は小声で話す女子の声と、明らかに参考書ではない厚さの本を読んでは笑いを堪える男子の声が微かに響く。

 後どのくらいでこの無法地帯は終わりを迎えるのだろう、と机に伏したままポケットからスマホを出して画面を見る。すぐなようで長い、あと三十分弱残されている授業時間に溜息が出た。

 ハルがいない教室なんている意味がない。どこへかは知らないが連れて行ったやつを恨みながら、じんわりと汗の滲む腕に額を押し付けた。そのまま目を瞑ってみたものの時間の流れが早まるわけもなく、ただわざとらしくそうしている自分に嫌気が差した。

 廊下に足音が響いた。

 廊下側の席だから分かる。このうるさい教室の中にいても、少しずつ近付いてくる足音が教師のものではないと。悠長に歩くわけでも、焦ってバタバタと慌ただしいわけでもない。だからこそ、心臓はうるさくなるし期待してしまう。ああ、イヤだ。

 足音が、すぐそこまで来た。期待なんかしていない。ただ、そうだったらいいな、と思っているだけで、これは決して期待なんかではない。けれど、無意識に身体を少し捩って顔を向けてしまった。ドアの向こうに現れた、デカいやつと目が合う。

 すっと手を挙げて口パクで、よ、と言っているような、そんな顔で清水が俺を見た。右に左に顔を向けたかと思うと、清水はドアに近付き蹲み込んだ。少しだけ隙間を開けて、暇なん、と聞いてくる。

「うん」

「……柳田だと思った?」

「うん」

「だよな。ゴメン」

 困ったように笑って、清水は指先で頰を掻く。

「別に、清水は悪くねぇし……つか、なんかあったん?」

「ん?ああ、八古のクラスが体育で剣道やるみたいなんだけど、経験者いないからって呼ばれたんだよね」

 ふーん、と返しながらそんなことのために、と思うものの確かに経験者がいないと、剣道というのは説明が面倒なのかもしれないと思い直す。

「清水も自習?」

「そ。まぁ、短歌と俳句書いてたけどな」

「まだやってたんだ」

「まぁな」

 清水が書いた詩をハルは嫌いではないと笑っていた。短歌も俳句も俺には良さがわからないけれど、清水は帰宅部を選ばない程度には好きらしいし、こうして書いていると聞くと剣道とは別の趣味だと理解ができた。

「ムズくねぇの?」

「ムズイよ。けど、俺は書きたいように書くから、まぁ遊びみてぇなもんだな」

 やはりそうなのか、と先程自分の中で飲み下した理解と同じところにある清水の価値観は、なぜか俺を安心させた。蹲んだまま俺を見る清水に目を戻すと、膝も突かずにいて見ているこっちの足が痛くなる。

「足、辛くねぇの?」

「足?」

 と、気にも留めていないらしくただ聞き返し、俺を見て、自分の足を見た。ああ、と少し笑ったような声色で溢される。

「蹲踞な。もう慣れたっつーか、体幹鍛えるのにいいんだよ」

「へぇ。慣れるもんなの?」

「慣れる慣れる。試合の最初と最後に必ずやるんだけど、大会によってはこの状態で五分とか待たされる」

「え、なんで」

「全試合一斉に始める大会があんだわ。運営の関係でタイムキーパー少ないのか知らねぇけど」

 つらそ、と溢すと、最初だけな、と優しく呟いた。少し伏せられていた顔が上げられ、切れ長の目元に温かさを湛えて俺を見る。

「髙橋は?その後進展ねぇの?」

「……なんの話」

「え、あそこまで聞いといてシラ切んの」

 全くもってその通り。清水は俺のハルへの感情を察して、俺にあそこまでハルのことを話したのだろうし、時間も経ったから、とただ聞いてきたのだろう。

「別に、進展なんてしてないけど」

「そっか。……言わねぇの?」

「……清水って意外とお節介焼きだよね」

「まぁ、そうかも」

 染み付いた癖なのか悪怯れる素振りも見せず、自分はこうだから、とただ主張するように肩を竦めた。

「あいつ、鈍感ではないけど臆病なとこあっから、上手くリードしてやって」

「……考えとく」

 じゃあな、とゴツい手を振りすぐそこにある七組のドアへと手を伸ばした。

 足音が消える。


***


「なぁ、なんで清水のこと避けてんの」

 竹刀を身体の隣に横たえたまま、正座をしているだけの八古に問い掛けると、眉間に皺を寄せて俺を見た。それから、してねぇよ、と明らかに嘘と分かることを誤魔化そうとする。肯定されたとして、俺はそれを追求する気もなければただ、やっぱそうだよな、とひと言で終わるだけだというのに。

「いやいや、明らかにウソじゃん」

「なんでもいーだろ」

「なんでもいーならウソ吐く必要ねぇじゃん?」

「……しつけぇ」

 鬱陶しそうに顔を歪めて俺から視線を外し、爪を見てカリカリと擦り合わせた。

「えー……なんで避けてんの?」

 ダメで元々。しつこいのは百も承知。そんな俺に折れたのか八古は深く溜息を吐いて、掌を額に当てた。それから、ボソリと呟くように、

「別に、なんとなく。ただそれだけ」

 と、ひと言。短く、意味を持たない言葉だけを並べた。

「あ、そう」

 そう言われてしまっては仕方がない、と俺も元々の予定通り深追いなどせず、格技室の冷たい板の上から俺を呼ぶ体育教師に目を向けた。

「なんすか?」

「正しい素振り教えてやってくれ」

「あー、一回振って」

 目が合ったやつに言うと、そいつは俺と清水が見せた実演の見様見真似で竹刀を振る。一、二、と振ったのを確認し、八古の傍に置かれたままの竹刀に手を伸ばす。

「右手は力入れねぇよ、添えるだけ。左手で握っから、片手で振ってみ」

「え、無理だろ」

「無理じゃねぇって」

 ホラ、といつも道場でやらされる片手素振りを繰り返して見せる。けれど、慣れているのは俺だけで、見たやつらからは望んでもいない拍手が湧き、居心地の悪さを覚えた。

「なぁ、まだいる?戻っていーすか?」

「あ?まぁ、いいぞ。また呼ぶわ」

「いや、勘弁してください。清水と交代制で」

 と、それだけ言い残して格技室を後にする。かかとを潰して履いているスニーカーがパタパタと音を立て、廊下にこだました。

 普段なら、真面目なわけでも不真面目なわけでもなく、ただ淡々と行われる授業にぼんやりと耳を傾け、板書をとっているだけの時間帯。ましてや、今日は自習という一番何をするか悩む時間を、比較的得意で、比較的好きでやっている剣道に少しだけ当てられたのは、好都合以外の何物でもなかった。さて、遠回りでもして帰ろうか、なんてなんともこの学校の生徒らしからぬ考えを起こしながら、本当なら中央階段を使えばすぐにある教室へ向かうのをあえて反対側にある西階段まで行き、ほんの少しだけ逃避行をする。四組、五組……と順に通り過ぎていくと、思いの外あっという間に八組に着いてしまった。仕方がない、と腹を括ってドアに手を掛ける。

「あ、おかえり」

「ただーいま」

 なんて侑司に返し、彼の左斜め二つ前にある自分の席に腰掛ける。すると、楽しかった、と拗ねたような口調で侑司は俺に問い掛けた。

「別に?大したことやってねぇし、フツーだよ」

 ヘラリと笑って言ってやると、大きな目をほんの少し細めて、そか、と柔らかく笑った。

「なん、どした?なんかあった?」

「別にー」

「なに、エリカ様流行ってんの?」

「流行ってはないけど、使いやすいじゃん」

「わかる。万能語だわ」

 ワロタ、とネットスラングから転じて誰もが使うようになった言葉を呟いて、侑司はふんわりと柔らかく笑う。如何にも女子ウケの良さそうな、可愛らしい笑顔。

「侑司ってホントかわいい顔してるよな」

「へっ⁈」

 ガタン、と大きな音を立てて机から身体を起こすと、間髪入れずに女子から非難の声が上がる。口元に人差し指を立て、シーッ、と侑司にやると元々大きな目を更に丸くして細かく何度も頷いた。

「そんな驚くか?」

 分かっているけれど、知らないふりをして、彼がそうなる理由を飲み込んで、なんでもないことのように、そうだと言い聞かせるように首を傾げる。分かりやすい、純粋で真っ直ぐで真っ白な、そんな初恋をしたばかりの子のような反応をされては、無視していたものを直視するしか出来なくなる。

「あ……いや、なんか……そうだけど、あんまマジトーンで言われねぇから、さ」

「え?かわいいモンはかわいいだろ」

「ちょ、マジ……」

 と、ダメだと分かっているのに口は意に反して動いてしまう。

 違うだろ。困らせたいわけではないだろ。なぁ、どうしたよ。自分。

 焦る俺の内心を知ってか知らずか、侑司の顔は色付き、潤んだ目元は全てを俺に知らしめる。たったひと言でそんなになるほど、お前は俺を--

「ハル、その……」

「おん?なに」

 滲んだ感情を拭い隠し、緩みそうになる目元に力を入れる。これほどまでになる感情を、俺は知っている。

「放課後、時間ちょうだい」

 断る理由のないそれに、静かに頷いた。

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