隠し上手と信じる

 勝手に柳田のことを話してしまった罪悪感は稽古で紛らわせたものの、やはり後ろめたさは変わらず付き纏って俺の首を絞めてくる。

「柳田」

 堪らず隣で面を外し水分補給をするそいつを呼ぶのだが、なに、と少しとぼけたように言われて腹が立った。我ながら自分勝手だ、と思うが、いや、こいつのせいだ、と責任転嫁する。

「なに、早く言えよ」

「先にまず謝るわ。スマン」

「は?なに」

 なんのこと、と訝しげに俺を見る柳田に申し訳なくて、赤に青も黄も緑も茶も、全部を混ぜたように濁らせるようとするもののままならない。ああ、だめだ。元来、俺は器用ではない。

「お前のこと、髙橋に話した」

「あー、俺っつーか大智さんとのことだろ。まぁ、そんな気はしてたわ」

「その……スマン」

「いーよ。もう大丈夫だし、侑司が気にしてないんなら。いーよ」

 困った顔で俺を見たが、それもすぐにへらりといつもの笑顔を俺に向けた。

「にしても、やっぱそうなのかぁ」

「アレで気付いてなかったらある意味才能だぞ」

 見ているだけの俺でも分かる髙橋の好意に、当の柳田が気が付いていないはずがない。声色も、視線も、髙橋が柳田へと向けるそれは明らかに他に対するのとは違うのだから。全部が柔らかく、柳田の全てを包み込もうとするような空気になるのだ。

「そうだよなぁ」

 溜息を吐いて、手拭いを頭から取り顔を拭く。防具袋から新しい手拭いを出し、巻き直した。

「お前はどうなんだよ」

「なにが?」

「分かってんだろ」

 手拭いで隠れていた顔がパッと上げられる。困ったように笑ってはいるものの、嬉しさを隠しきれておらずじんわりと滲んでいるその顔は幸せそうだ。

「なんつー顔してんの」

 と、言わずにはいられない程、その笑顔が昔よく見たそれと同じで、心なしかこちらまで嬉しく思ってしまう。

「フツーだけど」

 なんなん、と笑う柳田の声は、稽古の再開を告げる少年団の先生の声で掻き消された。傍に置いた面を取る。

 最後に掛かり稽古を十分間、それを五本やって練習を終えた。小学生はとっくに帰っていて、中高生しかいない。始まった時と同じように正座し、小手を取り、面紐を解いて膝から少し離した所へ面を置く。頭に巻いていた手拭いをずるりと顔まで引き下ろし汗を拭うが、滴る程汗が染み混んだそれでは意味なんて殆どない。分かってはいてもついやってしまう。これも癖だ。皆がそうしたのを確信し、先生がアレコレと連絡事項を告げ、最後に号令が促された。

「ありがとうございました」

 地響きのような、半ばヤケクソとも思える挨拶をし、全員で床に手を突き頭を下げる。

「ありがとうございました。ちゃんと汗の処理して、身体冷やすなよ。ストレッチもすること」

「はい」

 額から流れ落ちる汗が目に染みた。さっさと着替えよう、と外した物諸々を手に取りその場から立ち上がる。柳田の足音が背後から付いてくる。

「なぁ、清水の母ちゃんって迎え来てる?」

「知らねぇ。メール見りゃわかんだろ」

「テキトーかよ」

「柳田に言われたくないワード、堂々のナンバーワンだな」

 ひでぇ言い様、と柳田は少し不貞腐れるものの、畳の上で待っていた髙橋が手を振ると小さく笑ったのが聞こえた。

「お疲れー」

「サンキュー」

 面を畳に置き、きつく結んだ袴紐の間にある腰板を抜き取ると、それだけで身体が楽になる。

「どうだった?」

「すげぇのな」

「だろ?」

「お前がドヤんな」

 得意顔の柳田がいつも通り袴紐を解き、どんどん周りを憚らず着替える。それは他の奴らも同じだが、髙橋は泡を食って柳田から目を逸らした。それにはただ苦笑いしかできない。

「目、大丈夫なのかよ」

「え?」

 ぶっきらぼうに低い位置から少し睨むように俺を見る八古が聞いてきた。なんのことだったか、と少し考える必要もなくすぐに思い出し口を開く。

「ああ、もう平気。あとで目ぇ洗うわ。取ってくれて助かったわ」

 サンキューな、と言いながら袴を脱ぎ、脚や腕を伝う汗をタオルで拭く。制服のスラックスに履き替え、チラリと八古を見るが、やはり目は合わない。そのまま視線を高橋までスライドさせると、彼は穏やかな顔で柳田を見ていた。

「あ、うちの父ちゃん迎えに来るって。侑司と八古も送るぞ」

 柳田がスマホの画面を見たまま言い、スラックスのポケットにそれを突っ込んだ。

「あれ、防具とかどうすりゃいいんだ?」

 うちの連中のひとりが防具袋の口を閉めながら、誰にともなく溢す。子どもの頃程重くは感じないものの、どちらにしても重く、明日も使うと分かっているそれを誰もいちいち持って帰りたくないのだ。

「俺聞いてくるわ」

 ワイシャツに袖を通し、ボタンを閉めながら柳田は先生のいる更衣室へと向かった。

「清水的にどうだったよ?」

「なにが」

 道場の奴に聞かれるが、流石になんのことか分からず聞き返す。切れかけていたらしい面乳革を付け替える手を止めず、そいつはチラリと俺を見た。

「練習内容。まぁ、標的にされないだけいいんだろうけど」

「師範と比べたら楽だよな」

 まぁ、と頷きながら道場の練習を思い出す。稽古の時間は同じくらいだが、道場では素振りから始まり、時にしつこい程摺り足の確認をし、防具を付けての稽古になる。素振りを欠かすことはない。

「あの人は素振りが長いから」

「それな。マジそっからぶっ続けで掛かり稽古ん時とか死ぬわ」

「体力付けろよ」

「アレはどんだけやっても無理だわ」

 と、少しの愚痴を溢していると更衣室から柳田が顔を出した。

「更衣室に置かせてくれるって。早よ持ってこい」

 手ぶらで赴いた柳田の防具袋と自分の竹刀袋と防具袋を担ぎ、更衣室へとゾロゾロ歩く。髙橋が残された柳田の竹刀袋を手に立ち上がった。

「あ、悪ぃ!」

 それを見兼ねた柳田はバタバタと足音を鳴らして駆け寄り、髙橋の手からやんわりと取り上げ担いだ。

「柳田のは革だから少し重いだろ」

「うん、ビックリした」

 ケラケラと笑って見上げる髙橋は楽しそうで、柳田も俺も、他の奴もそれに釣られ笑った。


***


 稽古が終わるたび、生き残った、なんて大袈裟に思う。清水に言われた通り、俺は地道な努力が嫌いだ。マラソンも、水泳も、ずっと同じ動作を繰り返し、ただ時間の速さにこだわるというのが嫌いだ。

「なー」

「んだよ」

 小銭を自販機に入れながら、デカい溜息とともに呼ぶと、名前を出していないのに本人が返事をした。

「清水って、ロードとか苦じゃねぇの?」

「あれはもう習慣だ。つーか、お前拾うついでだし」

「拾うって、俺は犬か?」

「だとしたら大分デケェよ。誰も拾わねぇ」

 清水はココアを、侑司はコーラを、八古は缶コーヒーを啜りながら、花壇の淵に腰掛けてそれぞれ小さく笑った。

「犬っぽさなら、髙橋も負けてねぇんじゃね?」

 八古が侑司に視線を遣ると、清水も釣られて彼を見る。それは俺も同じで、じっと見詰めると侑司は小首を傾げた。

「え?俺犬っぽい?」

 それが八古の言う犬っぽさを強調させた。

「犬だな」

「ぽいよな」

 ズズッとコーヒーを啜る八古が目を細め、小さく笑う。けれど、それはさっと隠された。

「犬かぁ」

「清水は?なに」

「知らね。巻き込むな」

「いや、発端は清水だから」

 相変わらず俺に対して雑に接する清水に顔を顰め、買ったばかりのキンキンに冷えたカルピスをひと口飲む。どこからか漂ってきたコーラ特有の甘い香りが鼻腔を擽った。

「清水はー、オオカミっぽい」

「ん、確かに」

 ぽい、と侑司を指差し頷くと、得意気に笑う。一方の清水は面白くなさそうに、呆れたように小さく溜息を吐いた。

「俺はそんな凶暴じゃねぇよ」

「いや」

 清水の呟きを聞いた八古が間髪入れずに否定する。突然のことで驚いた俺と清水は、反射的にそちらへ顔を向けてしまう。

「狼は、確かに縄張り争いもするし狩りもする。けど、群れの中だと面倒見が良いって話だから、その面とか、そういうの、を……」

 どんどんと尻すぼみになっていく八古の言葉は、確かに清水にはオオカミがピッタリだ、と言っているのだけれど、なぜだろう。いつの間にそんなに清水を理解したのか、と思わずにはいられない。

「なに、褒めてくれてんの?」

 清水は侑司の向こうにいる八古を見ようと、屈めていた身体をわざわざ起こした。それに反して八古は俯いてしまう。

「あ!なぁ、告られてたよな」

 侑司が隣に座る清水の両肩をがっしりと掴み、軽く揺する。え、と濁った音を溢して清水は顔を逸らした。

「見てたのかよ」

「見えたんだよ。あんな目立つとこで何やってんだ」

「呼び出されたんだよ」

「で、付き合うん?」

 俺と侑司に畳み掛けられ、清水は面倒臭そうに顔を歪める。あまりに溜めるものだから、まさか、と言い掛けた。

「……断った」

「なんで⁈勿体ねぇ」

「別にいーだろ。……話したことなんて何回かしかなかった子だし、なんか、思ったより化粧濃かったし」

「言い訳タイムスタート」

「うぜぇ」

 苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨み、清水はココアが入った缶をグッと呷った。

「そういや、清水って、カノジョいたことあんの?」

 気にしたことなんてなかったが、思い浮かぶのと同時に口から出ていた。やってしまった、と頬がヒクリと引き攣る。

「ねぇよ。悪ぃかよ」

「お?清水はピュアボーイ?」

「ほっとけモテ野郎共」

 ゴツい掌をヒラヒラと振るそれは、話題を変えろ、とでも言っているようだけれども、侑司は話題を変えようとしない。

「えー、清水は恋愛しねぇの?」

「“は”ってなんだよ、“は”って」

「え、八古って彼女いんの?」

「……いたら来てねぇよ」

「あー、デスヨネ」

 としか返せず、侑司と顔を見合わせ笑う。

「あ、あれやった?」

 先程までの笑顔からコロリと表情を変え、侑司は真面目な顔で俺達に聞いてくる。どれのことかとそれぞれ考えていると、進路の、と侑司が付け加えた。

「ああ、俺もう提出した」

「早くね?」

 いち早く答えたのは清水で、知っている俺からすると驚くことはない。

「俺も、大体は決まってるし」

 続いて八古が小さく呟き、空になったらしい缶をゴミ箱へ投げ入れる。プラスチックとアルミがぶつかり合う音がした。

「へぇ、八古は進学?」

「県内の国立」

「頭良いのな」

「別に……柳田は?」

 エリカ様かよ、とひと昔前にその態度で世間を騒がせた女優の名前を出すと、清水と八古は呆れたように笑う。

「俺はまだ決めてないけど、美専とかよくね?」

「美容師なんの?」

「いやー?なんとなくってだけ」

「じゃあやめとけ」

 ぼんやりとすら思い描いていない近い将来について、俺だけが真面目に考えていないように思えて悔しいような、悲しいようななんとも言えない心地になる。

「ハルが美容師になるんなら通うかなぁ」

「お、マジ?」

 なんて侑司が言わない限り、どこまでも沈んでいけそうだった。とは言っても、空元気に近い。

「もう提出したって、清水はどうすんの」

「俺は県警」

 と、言った瞬間固まる空気。久しぶりの反応に内心苦笑するが、あの話を聞いた後では確かに無理もない。さすがに慣れているらしい清水は、んー、と唸り言葉を選んだ。

「警察沙汰にはなったけど、未成年だからノーカンらしい……し、その時お世話になった刑事に誘われてる」

「へぇ」

「そうなんだ」

 興味なさげでありながら、優しい温度の八古の返事と、安心したように侑司が溢した言葉が示すところは、恐らく俺が抱くものと同じだ。そのたったひと言で、清水の近くにこのふたりがいてよかった、と心底思う。

「あ、親父さん来たんじゃね」

 聞き慣れたエンジン音と、クセのあるクラクションの鳴らし方はまさに父のそれで、清水まで覚えてしまっていることに苦笑いしか出来かった。

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