普通を好む

 掻き鳴らされるベースと打ち響くドラムの低音。比較的大きな音で聴いているそれを心地良いと感じるのは、何か欠陥でもあるのだろうか。角を曲がったところで、目の前を流れていく車と入れ違いに見慣れた背中が現れた。が、それは一人という訳ではないらしい。しかもアイツが一緒にいる。ただでさえデカいクセにどうやらパックの牛乳を飲んでいるようだ。

--あー、クソ。

 食事は大事だ、と言われている気分になって、腹立たしくて仕方がないが、呟いたとて耳元で鳴り響く重低音やボーカルの声に打ち消され、なかったことにされる。昨日のこともあるだろうが、吐き出しても喉元の違和感は未だ消えず、ゴロゴロと嫌な感触があった。鬱陶しい。デカい背中を見なかったことにして、そのまま同じ方向へと歩く。

「はざーっス」

 と、顔も見ずに適当に挨拶をする。特に真面目な訳でも素行が悪い訳でもないのだが、視界の端で生徒指導部の教師の口が動き、なんだ、と掛けていたヘッドホンを右だけ外す。それを見た教師はまた口を開いた。

「シャツのボタン、ちゃんと閉めろよ」

「うっす」

 登校時だけ外しているそれを注意されるが、返事だけし直す訳でもなく通り過ぎる。髙橋も柳田も、清水も俺に気が付くはずもなく、さっさと教室へと行ったらしい。流石にどうでもよくなり階段を少し駆け足で上がる。予鈴が鳴るまであと三分程余裕があるからだろうか。廊下はまだ生徒たちで賑わっていて、注意しなければ誰かとぶつかってしまいそうだ。

 八組や七組は中央階段側だが、俺のクラスは西階段を上がればすぐそこだ。さっさと授業の準備と、なんなら予習をさらっと済ませよう。

「あ、マサ!」

「え?」

 なんて考えていたのだが、聞き慣れた声に呼ばれた。踏み外さないよう階段を注視していた目を上げると、声の主の髙橋だけでなく清水が四組の前にいる。髙橋は俺を見付けて手招きし、ちょいちょいちょい、と俺を清水の隣に立たせると笑顔で話を切り出した。

「清水のあだ名、何がいいと思う?」

「……今じゃなきゃダメ?」

 チャイム鳴るぞ、と呆れながら言うと清水も同じことを思っているらしく頷いた。

「えー、じゃあいつ」

「昼でよくね。お前来んだろ?」

「今日はハルと食おうかなって」

「そ。好きにしたら」

 ふたりを廊下に残し、教室へ入ろうと髙橋の横を通り過ぎる。コイツが誰と過ごそうが、何をしようが俺には関係ない。ドタバタとうるさい足音が近付いて来た。

「あ!ちょ、清水!メール見たか⁈」

 走ってきたのは柳田だった。清水を見付けて早々に携帯の画面をその眼前へと突き付ける。

「メール?……えー」

 目の前にある内容を確認した清水は不服そうに溢し、ガシガシと雑に頭を掻いた。

「どうする?俺アイツらとは団体出たくねぇよ」

「それは俺も。つーか、もう一人まともに出来る奴がいねぇと負けるだろ」

 話している二人を無視して予鈴が鳴り響いた。それに慌てた三人は、とりあえずあとで、となぜか俺にも言い残し教室へと走って戻って行く。

 あの二人に関係することなのであれば、俺と髙橋には関係ない。それよりも、なぜ今更髙橋が柳田と飯を食いたがっているのかが引っ掛かった。同じクラスなのだから、最初からそうしていればいいはずなのに。いや、髙橋と柳田は元々親しい間柄ではなかったらしかったから、それのせいだろうか。そうだとしても、髙橋は俺より柳田との方が波長が合いそうだ。……どうでもいいのだが。

 進級してから何度か行われた席替えで決まった良くも悪くもない席に着き、予定通り授業の用意をする。部で揃えられているエナメルバッグの中から麦茶のペットボトルを取り出し、数回飲み下す。少し温くなり、苦味が増したようだった。本鈴が鳴り響いて、教室に溢れていた声が束の間消え去る。終わるとまたあちこちから話し声が聞こえてくるのだが、本鈴前のものよりもずっと静かだ。複数の足音が段々近付いてくる。消える足音と近付いてくる足音、閉められるドアの音が廊下に響いた。それは着実に近付き、先程まで騒がしかったクラスの奴らを静かにさせるには充分だった。ガンッ、とドアに何かをぶつけ、落としながら担任が入ってくる。

「あーあ、ごめん、取ってもらっていい?」

 焦る訳でも慌てる訳でもなく、ただ淡々と教卓まで歩き、ドア近くの席に座る生徒に頼むと、抱えているファイルの束を数枚ずつ取って列ごとに配っていく。後ろに回して、と担任は端的に指示をし、クラスメイトはそれに倣ってドミノ倒しのようにくるりと順に後ろを向いた。例に漏れず、俺もそのようにした後で手元に残った資料を見ると、デカデカと『考査・模試について』と今後行われる模試の日程や費用について記載されていた。

「みんなある?そこ足りない?何冊?」

 全員に行き渡っているかを確認し、足りていない列の先頭に数冊渡して教卓へと戻る。

「来月は中間テストと模試、どっちもある。勿論テストの点数は内心に響くし、模試の結果は来年の受験に響く。みんながどの程度今まで頑張っていたか、それがはっきりと出る時期だから気を抜かないこと。赤点なんて論外だからね」

 担任が語るところは、真面目なヤツなら意識し過ぎて発狂しそうなものだろう。少し前の、高校入試直前の俺だったらしていた。--だから、今ここにいるのだが。

 担任の話を聞き流し、黙々と資料を読み進める。一応頭に入れてある模試のスケジュールと照らし合わせるが特に変わったことは書いておらず、そっと資料を閉じて黒板に視線を向けた。


***


 一時間目の用意をしていると、教室の外から呼ばれた。どうせ、あいつだ。

「なに」

「いーから!作戦会議!」

「よくねぇよ」

 授業始まる、と声を上げるが柳田は納得せず、未だドアの向こうから手招いていた。鬱陶しいのと、周りの視線が痛いのと、その二つに根負けして立ち上がりドアに近付く。柳田が俺の肩を掴み、教室から引っ張り出した。

「痛ぇよ。作戦って?」

 肩を組んだまま俺の顔を覗き込む柳田は、よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりの顔だ。

「清水が剣道部のヤツに稽古付ける!」

「はぁ?お前もやれよ。あいつら下手すぎて一人じゃ間に合わねぇ」

 柳田が騒いでいたメールには、師範が怪我をして暫く稽古が出来そうにない、とあったのだ。本来なら師範の代理となる人が稽古を付けるのだが、今の師範に代替わりしてから二年経っても定まっておらず放棄したらしい。それと、成年部の大人達と師範はあまり折り合いが良くない。理解しているから、巻き込まれたくない、と強く思っている中学生、高校生連中の親はいち早く道場を休んで部へと一時的に入るようメールで連絡したらしい。

「うちの剣道部って三年いるっけ?」

「いたと思う。けど、大会で名前聞かねぇからどっちにしてもだろ」

「だよなぁ」

 雑に頭を掻き、溜息を吐いた柳田を髙橋が呼んだ。それと同時にチャイムが鳴り響き、俺と柳田は強制的に引き剥がされる。

「また昼に!」

「何回会う気だよ」

 あとでな、と俺の返事を無視した言葉を残して、柳田は教室へと走っていった。廊下の向こうから足音が来る前に、と教室へ戻り席に着く。

「清水って柳田と仲良いの?」

 不意に話し掛けられ、一瞬動作を止める。隣の席の、確か弓道部の奴が頬杖をついたまま俺を見ていた。

「普通じゃね?」

「肩組んでたじゃん」

 確かにそうだけど、と言いそうになるが、男と肩を組むのはおかしいのか、と思考を巡らす。何度考えようともおかしなことはない。というより、お前もやってただろう。

「普通……だろ」

 俺と柳田の距離が近過ぎるわけではないし、おかしな事をしているわけでもない。性格が真逆だから意外なのだろうか。そうだとしても肩くらい組む。

「まぁ男同士だし普通か」

「え、だよな?ビビるから変なこと言うなよな」

 悪ぃ悪ぃ、と笑う弓道部は、揶揄っただけだったのか、それともただ自分の他との接し方を思い出して普通だと改めたのか。真意は分からないが、変な誤解を免れたことに安堵し教師が来るまでの数分を、部誌に載せる詩を書いて潰した。

--野球ボールは、白球…‥白玉、だと美味そう。だとすると、バットはスプーン?ボールを掬うようにって、確か言うし。八古か高橋に聞いてみるか。グローブを口、だと面白いか。ああ、これだと丁度昨日見た八古のプレーと重なる。

 ブレーンストーミングをしながら別紙にガリガリと書き出し、言葉を選び、さらにテーマを絞っていく。我ながら可愛らしい詩になりそうだ、と少し遠い目をしてしまう。なんせ、俺のキャラじゃない。

 そのまま使えそうな言葉や、昨日見たグラウンドの中での出来事を思い出しながら野球道具と似ている食べ物、食器を探す。パタパタとサンダルを鳴らす音が微かに響いているのに気が付き、開いていたノートの下にそれを隠した。

「ごめんごめん!ちょっと遅くなっちゃったね。はい、号令」

 教室のドアをくぐりながら日直に指示を飛ばし、生物の教科担当は教卓に抱えていたノートや教科書やパソコンをゆっくりと置き、黒板を背に立った。起立、礼、と少し気怠げに言う日直の声に従って、クラスのみんなが動く。しかし、もう一つあるはずの指示は飛ばず、どうしたものかと数人が日直を見ると、本人だけ先に座った。

「一個忘れてるよ」

「え……あ!着席」

 と、少し恥ずかしそうな、やってしまった、という顔をして日直が飛ばした指示に全員が従った。いつもは真面目さなんて殆どないくせに、どうにもおかしな所でそれを発揮する。流石“中弛みの進学校”という嫌な異名で他校生から馬鹿にされているだけある。

「このクラス、割と進んでるんだよね。小テストやる?」

「やだー」

 生徒の声を無視して、教師は小さな紙を配る。順に後ろへと回されて手元まで来た紙を伏せ、時計をじっと見た。静かな教師の声に反応してシャーペンに手を伸ばす。ザッと一斉に紙が捲られた。

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