映らない鏡

帆尊歩

第1話  映らない鏡


元日のうちは、あまり居心地が良くない。

小さいときは、従姉妹たちも来ていたので、子供たちは子供たちで遊んで、それなりに正月を楽しんでいたけれど、この年になるとみんな色々あるようで、元日とはいえ、従姉妹たちは来なくなり、おじさん、おばさんばかりが集まり、おじさんおばさんの宴会場と化す。

うちはおじいちゃん、おばあちゃんもまだ元気で、同居しているので、ここが本家筋と言うことらしい。


「お母さんと、おばさんたち。こんな年末から年始にかけて準備させられて、気の毒ね」と台所でたむろしている母と他四人のおばさんたちに話しかける。

どこかであたしはこの仲間には入らないからね、と言う牽制の意味も込めている。

「そうでもないのよ」と良江おばさんが言う。

良江おばさんは父の一番下の弟の奥さんで、旦那さんのおじさんは今、広間で訳の分からない踊りを踊っている。

「だってここでお酒や、おせちの準備をしていないと、あの中に入らなきゃいけないのよ」とおばさんは隣の宴会を顎で指す。

「こんな、か弱き小娘があんな親父たちの中に入るなんて、オオカミの群れにたたき込まれたウサギのよう」

「大丈夫だよ、良江ちゃんなら、親父たちを従える、女傑になれるよ」とうちの母。

うちの母は、本家長男の嫁と言うことで、このおばさんたちのリーダーだ。

「ヤダ、ねえさん、こんな世間知らずの小娘捕まえて」

イヤイヤ良江おばさんには十九才のあたしと同い年の娘がいるだろう。そういえばここ何年か会っていないけれど。

「そういえば良江おばさん。美湖ちゃんは元気。ここ最近会っていないけど」

「あんなオオカミの所には来たくないみたいで、今日も友達と出かけちゃったの。陽菜ちゃんは大変ね。本家の内孫だから、逃げられなくて」

「本当よ。従姉妹たちが来なくて」と他のおばさんたちに言ってみる。

美湖ちゃんは、友達と言っているらしいけど、きっと彼氏だろう。

あたしにはそういう人はいない。

大体色恋事、とりわけ愛とか言われてもピンとこない。

そんな訳の分からない感情で人は動いてはいけない。


「あたしたちは、嫁だけでグループを作って愚痴こぼしているから楽しいけれど、子供たちはね」と今度は父のすぐ下の弟の奥さん。

つまり年末年始は、男たち女たちで集まり、二つのグループが出来るのだ。

まあこの人たちも、集まることが、まんざら嫌ではないということは少し安心出来た。

あたしは暇なので二階に非難する。

下手に宴会に参加すると餌食になりかねない。

二階の物置と化している部屋に入ってみると、わかり安いところに古い手鏡があった。

古すぎるのか、鏡が劣化してなにも映らない。

うっすらあたしの輪郭が分かるくらい。

裏には聡子と書かれている。

あたしは一階に降りて、まだたむろしているおばさんたちのところに戻った。

「お母さん。なんかこんな手鏡があったんだけど」

「あっ見つけちゃった」と母が言う。

「なにそれ、凄いわかり安いところにあったよ」

絶対ににわざと目に付くところに置いただろう。

「大掃除の時見つけたの。みんなに見せようと思って」

「えっ、何、何」とおばさんたちは身を乗り出した。

「聡子って、あの聡子」

「そう」

「まだ、こんなのあったんだ」

「よく取ってあったね」

「まあ、捨てられなかたって事だよね」と母が言うと、おばさんたちはみんな同じように腕を組み、下を向いて頷いた。

「えっ、何、何、何なの、この鏡は何なの」あたしはみんなに聞く。

「あっ陽菜、この鏡のことは男どもには言わないようにね。特におじいちゃんと、おばあちゃんには絶対によ」

「何、何、何なの」あたしは聞きたい衝動マックスになる。

「聡子さんはちょうど十九だから、陽菜ちゃんと同い年の時に亡くなったのよ」と良江おばさんが言う。

「なんで」

「心中らしいのよ」

「えー」

「でもこれは山野家最大のタブーで、病気と言うことになっている。まあ随分前のことだから」

「随分前って」

「おじいちゃんのお姉さんで、おじいちゃんより七、八才上だから。おじいちゃんが八十でしょ、生きていれば九十くらいかな。だから七十年くらい前の話」

「良江おばさん、詳しいのね、お母さんも知っていた」

「うん、なんとなくね」

「そうなんだ、その聡子さんの写真とかないのかな」

「ない。多分全部処分されていると想う。まあお母さんが嫁ぐどころか、お父さんも生まれるずーっと前だから。おじいちゃんだって十才くらいの時の話だからね」



あたしはもう一度二階に上がって鏡を見つめた。

七十年前に心中したおばさんの手鏡って、何それ。

鏡は劣化しているのか、あたしの輪郭がなんとなく映る程度だった。

その時、手が滑って手鏡を下に落とした。

すると当たり所が悪かったのか、鏡と枠が外れた。

「やばい」とあたしは小さく声を上げた。

拾い上げると、なんと中に写真が入っていた。

写真の裏には

「聡子十九才」

と書かれている。

どこか遠くを見つめる目は燐としていて、意志の強さが垣間見えた。

可愛いと言うより、かっこいいと言う印象だった。

そして一番驚いたのは、そこに映っていたのはあたしだった。

こんな服を持っていないし、こんな写真を撮った覚えもない。

何より背景の街が、明らかに古い。

つまり聡子さんは、あたしそっくりの顔をしていたということだ。

あたしは穴が開くほど写真を見つめた。

見れば見るほど引き込まれるような気がする。

心中と言っていたっけ。

いったいこの人はどれほど人を愛したのだろう。

一緒に死んでしまおうなんて、そこまで人は人を愛せるのだろうか。

あたしには理解できない。

人は人だ、それぞれの人生があり、それぞれの考え方、感じ方がある。

自らの『生』を人との共感で亡くしてしまうなんて。

あたしは自分と同じ顔のおばさんに、全く共感出来なかった。

はめた手鏡をもう一度見つめる。

鏡には、あたしの顔の輪郭がぼんやり映っているだけだった。

でもこの鏡は、七十年前はあたしと同じ顔の聡子おばさんの顔を写していた。


(あなたには分からないでしょうね)


声?

イヤ違う。これは声ではない。

心に直接響いてくる。


分かる訳がない。

誰かの想いに共感して命を絶つなんて。

あたしは、言い切る。

言い切る?

誰に?


(自分の体が二つに引き裂かれたとしたら?)


なにそれ、


(引き裂かれれば、どのみち心は死ぬ。なら同じ場所に行けるかもしれないなら、迷わずそっちを選ぶ。あなたに共感してもらわなくてもいい)


愛なんて、あやふやな物に命をかけるなんて。


馬鹿げている。

あたしは言い切る。

誰に?あたしは誰に言い切っている。


(命をかけたわけではない。ただ愛していただけ。その延長線上に、お互いに命を絶つということになってしまっただけ。命を絶つつもりなんてこれっぽっちもなかった。ただそうなっただけ)


「辛くはなかったの。命を絶たなければならないような状態になって?」


(辛くはなかったよ。この愛のためなら)


「ふざけないでよ。命より大切な愛なんてない」


そのとき観念があたしの中に流れ込んできた。

あたしの心は聡子へと感化される。

彼との出会い。

一緒にいる時の喜び。

ときめき。

彼の事を考えるだけで胸が苦しくなる。

彼と離れた時の視界は灰色。

全く色のない世界。

でも彼といる時、世界は美しく輝く。

何これ、これが愛なの?

聡子さんはこんな愛を感じていたの?

この延長線上に何があろうと、確かにこの想いがあれば・・・・。


何も恐くない。


何を捨てても、何の後悔もない。

何を失おうと。

世界中が敵になろうと。

どんな辛い目に遭おうと。

この愛のためなら、何のためらいもなく全てを捨てることが出来る。

何を失ってもかまわない。

あなたさえいれば。


(分かってくれた?)


その想いにあたしの心は取り込まれそうになる。

聡子を全肯定し、同じ事が起こればあたしだって・・・・。


いや。

違う。

そうじゃない。


何かが間違っている。


そうじゃない。

あたしの心が爆発した。


その想いに何かが音をたてて、壊れた様な音がした。


想いは消えていた。

あたしは泣いていたのだ。

あたしは、その涙を強引に拭う。

そして、鏡にヒビが入っていた。




「お母さん。ごめん、手鏡ヒビが入った」

「別にいいよ。映らない鏡だったから」

「後、鏡の中かから写真が出てきた」あたしは、聡子おばさんがあたしと同じ顔をしていることをだまって渡して、母とおばさんたちを驚かせてやろうとした。

「へー、聡子おばさんて、こんな顔をしていたんだ」と口々に言っている。

「ねえ、なんが気づかない。誰かに似ていると思わない」とあたしはみんなに言う。

「ああ。やっぱりおじいちゃんに似ているかも、姉弟だからね」

「えっ何、そうじゃなくて」と言って、あたしは写真をおばさんの一人から受け取ると、あたしにそっくりと言おうとして、もう一度写真を見た。

でもそこには、あたしとは似ても似つかない、少女の顔が映っていた。


                              終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

映らない鏡 帆尊歩 @hosonayumu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ