第28話 疳の虫 1/2

「やぁーだぁー! もういらないー!」

「こらっ、大声出さないの! 好き嫌いしないで食べなさい!」

「やぁーだぁー! たーべーなーいー!!」


 泣きわめく子供の声が響いたのは、ひなびた商店街の一角、間田木食堂である。

 母と娘らしい親子連れが、テーブル席で食事をしていた。

 甲高い子供の声に、店にいた客の一部が思わず眉をひそめている。


 その様子を見ていた赤髪の女が、親子のところへやってくる。

 すらりとした長身のこの女が食堂の主人、間田木リョウコだ。


「おっ、どうしたね、小さなお客さん。嫌いなもんでもあったかい?」

「むううー!」


 リョウコの言葉にむくれて応じるのは、4、5歳くらいの子供だった。

 その前には、添え物のトマトと白いご飯が手もつけられずに残っている。


「すみません。騒がしくして。この子、好き嫌いが激しくって……」

「おう、気にするこたァねえさ。子供は騒ぐのが仕事ってなもんだ。うちの客に子供がうるせぇなんて野暮を言うやつぁいねえよ!」


 リョウコが店全体に聞こえる声で言うと、眉をひそめていた客たちが気まずそうに目を伏せた。


「ふむー、ちょっといいですか?」


 親子とリョウコのやり取りに、巫女服を来た少女が割って入った。

 少女の名は稲荷屋トウカ。間田木食堂の常連であり、全国除霊師ランキングを昇り龍の勢いで駆け上がっている新人除霊師である。


「ちょっとお手を拝借しますね」

「やぁーだぁー!」


 グズる子供の手を、トウカはやや強引に引いて手のひらを開かせる。

 一瞬、眉間にしわを寄せ、「ああ、やっぱりかんの虫ですねえ」とつぶやくと、懐から矢立て(筆とすずりを収納する道具)を取り出した。


「ちょっとお水をもらいますね」


 コップに水を張り、白い筆先にそれをちょんとつける。

 そして子供の手のひらに『の』の字を三度描き、「えいっ」と口訣を唱えた。すると手のひらから白い糸のようなものがにゅるにゅると出てくる。トウカはそれを指先でつまみ取り、懐紙に包んで封印した。


「はい、これでおしまいです。これで落ち着いたかな?」


 尋ねるトウカに、子供は不思議そうな顔で首を傾げている。

 先ほどまで大声で喚いていたとは思えないきょとんとした表情だった。


「あ、ありがとうございます。でも、いまのは何でしょうか?」

かんの虫というものですね。子供に取り憑く低級霊で、癇癪かんしゃくや夜泣きの原因になるんです。コツをおぼえれば誰でも祓えるので、よかったらやり方を教えましょうか?」

「本当ですか!? ありがとうございます! うちの子は癇癪がひどくって……」


 母親の疑問に、トウカが応じた。

 かんの虫の除霊法はいくつか種類がある。虫切りや疳封じなどとも呼ばれ、ひと昔前までは上手と言われる人がそこら中にいたものだ。本職の除霊師であるトウカにしてみれば余技もいいところなのである。


「それでお嬢ちゃん、残りは食べられそうかい?」

「むうー」


 リョウコに尋ねられた幼女が、卓上に残された白いご飯とトマトの前で難しい顔をしている。

 それを見た母親が、申し訳なさそうに声を出した。


「ごめんなさい、うちの子はトマトと味のついてないご飯が苦手で……」

「なに、気にすんねェ。ガキのうちは好き嫌いなんて当たり前にあるもんだ。それでお嬢ちゃん、何か好きなもんはあるかい?」

「あたし、うさぎさんが好き!」

「こらっ、そういう意味じゃないでしょ!」

「いやいや、構いやしませんよ。うさぎさんはあっしも好きですぜ。ぴょこぴょこしててかわいいもんな。それで、ちょいとこのトマトとご飯を預からせてもらってもいいですかね?」

「それはもちろん構いませんけど……」

「それじゃ、ちょこちょこっとやっつけちまうんで、少しだけ時間をおくんなせえ」


 そう言うと、リョウコはご飯茶碗とトマトの載った平皿を手に持ってキッチンに戻っていった。

 興味を惹かれたトウカが、そのあとについてカウンターについていく。


「それにしても、トウカが拝み屋らしいことをしてンのを見たのははじめてな気がするなあ」

「なんですかそれ!? リョウコさんがいつも悪霊に誑かされそうになってるのを助けてるじゃないですか!」

「ええ? そうだったか?」


 話しながら、リョウコは手を動かしていく。

 まずは茶碗に盛られたご飯を平皿に盛り付け直し、しゃもじを使って器用に形を整えていく。鋏で切った海苔で目と口をつけたらひとまず完成だ。


「おおー、うさぎさんですねえ。リョウコさんって、性格は雑なのに料理だけは本当に丁寧ですよね」

「性格が雑は余計だ。メシ屋が丁寧に料理をしなくてどうするんでェ」


 平皿の上に出来ていたのは、雪うさぎのような形に整えられた白飯である。

 丸い点のような黒い目と、バッテン印の口がついた白いうさぎが皿の上にちんまりと座っていた。


「お次はこっちだな。これだけじゃさびしいから、少し足すか」


 リョウコは回収してきたトマトを刻んでから、続いてハムを数枚刻む。

 温めたフライパンにバターを溶かし、それらをざっと炒めた。

 そして卵を2つボウルに割ると、牛乳をひと垂らし、パルメザンチーズとコンソメ顆粒をぱらりと加えて泡だて器で切るようにゆっくりと溶いていく。


「おおー、オムレツですか? もっとシャカシャカーって勢いよく混ぜるものだと思ってました」

「空気が入ると焼きムラができてキレイに仕上がらねえからな。泡立たないように、でも白身と黄身がきっちり混ざるようにやらねえとブツブツした焼色のオムレツになっちまうんだ」


 そして小さなフライパンを温め、それにたっぷりとバターを溶かしてから溶いた卵を一気に流し入れる。玉子のじゅうっと焼ける音が店内に響いた。端が固まりはじめたら、そこをそっと菜箸で中央に寄せることを繰り返す。全体が半熟になった頃合いで、先ほど炒めたトマトを中央に置き、生地をふたつに折ってそれを閉じ込める。フライパンのへりを使ってそれをくるくると回したら、均一な黄色に焼き上がったオムレツが出来上がった。


「で、こいつをうさぎさんに載せたら一丁上がりだな」


 白飯で出来た白うさぎの胴体に、ぷるぷると揺れるオムレツの布団がそっとかけられた。

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