第4話 縁ごと切る

 確かにこれはおかしい。

 そう思わざるを得ない。

 

 その最初の犬も、ナカノさんの耳に入っていないだけで、実はちゃんと飼っている(新しいワンちゃんとの相性が良かったりとかして)のかもしれない。けれども、そもそも、「懐かないから店に返そう」という発想になること自体が恐ろしい。


 私が働く店でも、開封して実際に使ってみたら合わなかった、などと言って返品を要求する客はいる。それも正直言えば「気持ちはわかるけど、使ってるんだよね? よく返そうと思ったな!?」なのである。それでも店の方針として、基本的に使用後でも(余程の場合を除く)返品を受け付けることになっているから受け取るけど、かといってそれを再び商品として並べられるかといえば、そうではない。ものによっては何割か引いたり、あるいは廃棄しなければならない。店にとっては損害だ。


 物でもそう思うのに、ましてや生き物である。


 だからナカノさんは、「アカリちゃんから、タツキ君のところに子どもが出来たと聞いて、ワンちゃんの時みたいになったらどうしようと思った」のだという。つまりは、


「俺に懐かない子どもなんていらない」


 と。


 まさか、とは言えなかった。現に彼は、ことあるごとに奥さんへ、子どもを連れて実家に顔を出してやれと言い続けているのである。


 けれど、しばらくして、子どもの扱いにも慣れたのか、そんな話は聞かなくなった。最も、ナカノさんが聞かなくなった、というだけかもしれないが。


 さて、長くなったが、ここまでが基本情報らしい。ここまでの話はいまから数ヶ月〜数年前の内容なのだという。


 ここからが本題だ。


「先日ね、そのA家のお祖母ちゃんが亡くなったんだけど」


 死因は誤嚥性肺炎らしい。昨年辺りまではしゃんしゃんとしていたのだが、転倒して骨折し、入院したのを機に認知症を発症したらしい。それで、嚥下障害を引き起こし――という経緯なのだとか。まだ七十代で、これといって持病を抱えているわけでもなかったから、あの時の骨折がなければまだご存命だったんじゃないか、とアカリさんは言っていたらしい。


 とにもかくにも、お祖母さんは亡くなった。問題はその後だ。


「火葬はするが、葬式はしない。無縁仏にする」


 タツキ君はそう言ったそうだ。


「無縁仏? 永代供養とかじゃなくて? だって、無縁仏ってアレでしょ? その、お墓を管理する人がいなくて――って、まぁ永代供養もそうだけどニュアンスがさ」

「私もね、アカリちゃんからの又聞きだから、よくわからないんだ。もしかしたら永代供養のことを言ってるのかもしれないんだけど。だけどさ、それにしたって、いや家族いるじゃん? って思ってさ。A家のお墓に入れたら良いのにって」


 もちろん、詳細はわからない。ただのジョーク(笑えないけど)の可能性もあるからだ。けれども、その話をアカリさんから聞いたナカノさんは、気づいた。


「お墓がないんだ」


 と。


 亡くなったお祖母さんも、その娘さんも、離婚して家を出ているから、婚家の墓には入れない。ならば、実家の方の墓に入れるとか、それかもしくは、これから用意するなりすれば良いのだろうが、アカリさんの話では、その『実家』とやらの話も全く聞かないのだという。


「まぁでもさ、お墓がないっていうのはいまどきそこまで珍しいことでもなくない? 結婚して家を出てさ、色々あって実家には帰れないって環境なら自分達で用意しないといけないものだし、まだそんな年じゃないって思ってたのかもしれないしさ」

「そうそう。ウチだってさ、いま私が突然死んだとして、旦那の実家と上手くいってなかったとしたら、そこの墓には入りたくないって思うだろうし」


 だけど、そういうことじゃなくてさ、とナカノさんは言った。いや、わかるのだ。彼女が言いたいことは。


 仮にそうだとして。笑えないけど、ジョークのつもりだったとしても、だ。


 無縁仏にする、ってそんな発想になるかな。


 永代供養の意味で言ったのかもしれない。例えば遠方に住んでいたりすれば、墓参りだって容易ではない。そもそも参るお墓もないし、すぐに買えるものでもない。だから、お寺に預けて――ということなのかもしれない。たまたまその言葉を知らなかっただけかもしれない。


 けれども、タツキ君は、そういったニュアンスもなく、すっぱりと言ったのだそうだ。焼いたら後は知らない、遺骨は引き取らない、無縁仏にする、と。


 それを聞いたアカリさんは、何となく引っかかって、他の親戚からそれとなくA家について尋ねてみたのだという。


 離婚した旦那さんはいまどうしているのか、と。


 それで? と私はナカノさんに聞いた。カップに半分残っているコーヒーはすっかり冷めている。


「離婚して間もなく、亡くなってた」

「それは、どっちの旦那さん? お祖母ちゃんの? それともその娘さんの?」

「どっちも」

「どっちも、かぁ。でもさ、離婚後に亡くなってるんだよね? てことは、何ていうかさ、その……保険金目当てで……みたいなのはないわけでしょ?」

「そういうことはないみたい。離婚した後はまったく連絡とか取ってなくて、養育費ももらってないのよ、なんて話してたみたいで」

「それもどうかとは思うけど、でもまぁ、亡くなってるならねぇ」


 うん、と頷いてから、ナカノさんは何やら言いにくそうに「それでね」と言った。何だ。まだあるのか。


「お祖母さんの方はわからないんだけど、娘さん――タツキ君とリエさんのお母さんの方の旦那さんはね、その離婚直前に癌が見つかってたみたいで」

「直前……。え、それってさ」


 何となくだが、たまたま、とは思えなかった。つまりは、もっと前から離婚の話はあって、その途中で癌が見つかって――という。


「その、うん、なんていうか、んだって」

「何それ」

「何だろうね、一緒に支える――とか、そういう話にならなかったのかな。夫婦なのにさ。いや、わかんないけどね? どんな夫婦だったかなんて。だけど」


 その話をアカリさんに教えてくれた親戚は言ったのだという。


「あの奥さんは、そういう人だから。お母さんも、そういう人だったし。なんて言うんだろ、家訓でもあるんじゃないか? みたいな」


 と。


「家から死人を出してはいけない?」

「うん、ほんとかはわからないんだけどね、その親戚の人が言ってたってだけだし。でも、なんか妙にしっくりきてさ」


 家から死人を出したくない。

 だから、夫だろうがなんだろうが、死が近づいてきたら、それを遠ざける。離婚して、その家から出て。それは血を分けた祖母、母だって同じだ。『死んだ人』は家にいてはならない。だから、縁を切りたい。そうだ、無縁仏にしてしまえば良い。縁ごと切るのだ。そうすれば。


 そうすれば、家に『死んだ人』はいない。

 

「宗教的な話なのかな。そういう宗教があるのかは知らないけど」

「私も知らない。でも、リエさんは嫁ぎ先では、旦那さんの方のお墓参りもちゃんと行くし、ご仏壇に手を合わせたりもするらしいから、とりあえず、何らかの宗教だとしても、なんて言うのかな、他の宗教は一切許せません! みたいなやつではないと思うんだけど」

「まぁ、何を信じるかは自由だしね」


 でも、ナカノさんの違和感、私も何となくわかるかも、と言うと「わかってくれた?!」と彼女は心底ほっとしたような顔をして、私に握手を求めて来た。同意を得られて嬉しい時に彼女がよくやるやつだ。


「とにかく私は、アカリちゃんからA家の話をちょいちょい聞かされてね、何かこの家どうなの? ってずーっと思ってたわけ。でもほら、私の感覚がおかしい可能性も捨てきれないから」

「そうだねぇ。ナカノさんもまぁ独特な感性を持ってらっしゃるから」

「そんな! オダさん、ひっど!」

「冗談だって」

 

 確かに変わった家ではあるが、まぁそれだけではある。

 何せ我々の身内の話ではない。ナカノさんにしたって、従姉妹のアカリさんはまぁそこそこ近いかもしれないが、彼女はほぼ無関係だ。だからまぁ、その日は追加でポテトを注文し、冷めたコーヒーを飲み干してからお代わりをもらいに行き、何か他の話――たぶん仕事の愚痴だと思う――で盛り上がった。

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