第3話 A家のタツキ君

 さて、そんなリエさんにはタツキ君という一つ上の兄がいる。これがまた、最近の若者にしては――という言い方もなんだが、見上げた青年である。というのも、タツキ君とリエさんの母親はまだ若い方なのだが、持病があって働けないため、リエさんが家を出たいま、この家を支えているのはタツキ君の収入のみなのである。


 家族思いなタツキ君は、母親と祖母を養い続けた。しかも、家まで買ったのである。若いのに随分稼いでいるものだと驚いた。ナカノさんもその話を聞いて、「いまどきの若者と思っていたが、若い人も捨てたもんじゃない」と偉く感心したという。タツキ君は、リエさんの兄だが、アカリさんよりもずっと年下だ。


 やがてタツキ君は結婚した。

 

 その頃からだ、アカリさんがリエさんだけではなく、「ここの家、なんかおかしい」と思い始めたのは。


 お嫁さんも仕事を続けることになり、姑であるタツキ君の母が家事を担った。とはいえ新婚である、お嫁さんだって夫であるタツキ君に手料理を振る舞いたいだろう。そういう理由から、料理については交代制をとることにした。


 が。

 お嫁さんの当番の日、タツキ君は何だかんだと理由をつけて帰宅を遅らせるようになった。後にわかったのは、お嫁さんの料理が口に合わず、コンビニで買い食いをしてから帰宅していたのだという。


 まぁ、新婚時代というのは、楽しいばかりではないだろうと思う。付き合いが浅ければ、価値観のすり合わせなども必要だろうし、一緒に住むことで見えてくるものもある。またここで頭の固いおばさん達による『いまどきの若者』という偏見の登場で、私は「いまどきの人なら、それで離婚とかしちゃうかもね」とナカノさんに言った。ナカノさんもまた、「私もそんな気がして」と苦笑した。


 これくらいならまだ新婚あるあるだと思うのだ。


 しばらくしてタツキ君夫妻に子どもが出来た。何せ近い親戚ではない。ホットな情報がすぐに入ってくるわけではないのだ。なので、ナカノさんがアカリさんからその話を聞いた時、正直な感想としては「あの夫婦、別れてなかったんだ」だったという。


 タツキ君はお嫁さんに言った。


「子どもが生まれるまで実家に帰れば?」


 これも、初めての妊娠出産を控えた奥さんの身体を気遣えばこその発言と取れなくもない。

 

 のだが。


 お嫁さんの家もまた片親で、そちらは父子家庭だった。家にいるのは、父親と、祖母のみ。随分と片親に縁が――という言い方はおかしいけど――あるなとアカリさんは思ったらしい。まぁ、それくらい昨今では珍しくないということだ。


 なので里帰りしたところで、正直なところ、大して手厚いケアは期待出来ない。おまけにお嫁さんの実家はタツキ君達が住んでいるところよりもずっとずっと田舎にあり、かかりつけの産科に通うのも困難だし、紹介状を書いてもらおうにも、その地域には小さな診療所しかないのだという。


 ただもちろん、姑、大姑との同居によるストレスなどがあるならば、実家に帰った方が良いだろう。けれどお嫁さんはそれを拒否した。先述の通り、家に帰ったところで精神面では楽かもしれないが、身体面での負担が大きいのだ。それに、話を聞く限りでは、やはり『養っている』からかタツキ君夫妻の方が力を持っており、姑、大姑はむしろ家では小さくなっているのだという。まぁ、衣食住すべてをタツキ君に頼っているという状況ならば、そういうものなのかもしれない。


 結局、お嫁さんは里帰りせずに出産した。


 その後も、タツキ君はことあるごとにお嫁さんを実家に帰したがった。孫を見せてやれ、と。それ自体はもちろん悪いことではないのだが、話を聞いている私も何やらムズムズとしてくる。


「それってもしかして、奥さんとお子さんが邪魔とか、そういう……? 例えばその、赤ちゃんの夜泣きがうるさい、とか」


 ナカノさんに尋ねると、彼女もこくりと頷いた。


「アカリちゃんが言うには、たぶんそういうことなんじゃないか、って。二ヶ月くらい帰って来なくていいとか、そういうことも言うんだって」

「えぇ……二ヶ月も……?」


 正直なところ、私も「この家、何かおかしい」と思い始めている。

 ただ、悲しい話ではあるが、そういう家庭も決して少ないわけではない。実際に子どもを産んでみたら「何か違った」といって愛情を注がなくなる親というのは確かにいるし、出産を終えて『母』になった妻を女として見られなくなった、というのも良く聞く話だ。タツキ君も、子を持つまではわからなかったのかもしれない。


 だけどね、とナカノさんは言った。実は、その片鱗は前からあったみたいで、と。


「オダさんはワンちゃんを飼っているから、嫌な気持ちになるかもしれないんだけど」


 オダさんというのは私のことだ。

 我が家には昔から飼っている柴犬と、それから、保護施設から譲り受けた雑種が三匹いる。


「タツキ君の家にもね、ペットショップで買ったトイプーちゃんがいるんだけど、ちゃんと躾をしないものだから家の中ではしゃぎまわってね、それで、それじゃ困るからって一日中ケージに閉じ込めてて」

「はぁ?」

「小型犬だからって散歩もろくに連れていかないし、かといって、例えばタツキ君が家にいる時はケージから出して一緒に遊ぶってこともなくて」

「いやいやいやいや」

「それで、全然懐かないからって、買ったお店に返品出来ないかって問い合わせて」

「ちょ、ちょっと、何それ! 待って。どうなったの、それで?!」

「それで――」


 結局、返品は無理ってことで諦めて、今度はちゃんと懐く犬にする、ってもう一匹ワンちゃん買ったらしくて。


 ナカノさんの言葉に、私は絶句した。しばらくの間、声を出すことが出来なかった。


「それで、何が怖いって、それをものすごく明るく話してきたんだって。なんて言うんだろう、武勇伝みたいに、っていうのかな」


 だって俺に懐かないからさ、と。


 タツキ君は、本当に明るい笑顔で言ったのだという。


 その返品不可と言われた方、懐かない方の犬はどうなっているんだろう。ナカノさん曰く、捨てたという話は聞かない、だそうだ。

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