第2話

「いったい……どういうことなの……?」


 目を覚ました私は、すぐに自分の身に起きた不可思議な現象に気が付いた。

 前とは明らかに違う部屋。

 だけど朧げながら、記憶に残っている。

 私の部屋だ。

 マートンに追い出される前、それよりももっと前の。


「それに身体が……」


 死の淵にいた私は、最期は身体を普通に動かすことすら困難だった。

 今はまるで身体の隅々まで羽根のように軽い。

 

 勢いよく起き上がり過ぎて、勢い余って前屈の姿勢になってしまった。

 ずりずりと両手で上半身を押し戻し、自分の身長の縮尺もおかしい事に気が付く。

 慌てて自分の腰の高さほどあるベッドから飛び降りると、壁に掛けられた姿見の前に立つ。


「……!? こんなことって……!」


 姿見には大きく見開いた緋色の目を持つ、少女が写っている。

 何気なく自分の髪の毛に手をやると、少女もアッシュブラウンの長髪に手を当てた。

 間違いなく、移っているの私だった。

 だけど、問題はその年だ。

 明らかに記憶の中の私よりも幼い。

 

「若返ってるんだわ……それに、この部屋。ただ若返っただけじゃない。時間を逆行したというの!?」


 姿見の意匠が凝らされた木の枠を見て、私は混乱する自分の頭を両手で挟むように押さえつけた。

 この姿見が世の中にあるはずがないのだ。

 私が十二歳になった年、デュラックとその弟のライザックがふざけて壊し、燃やしたのだから。

 そして、この姿見は、私が六歳になった時に、両親が作ってくれた特注品。

 いくら真似て作ろうとしても作れるはずがない。

 そのことは持ち主であった私が一番よく知っている。


 自分の置かれた状況に戸惑っていると、扉を叩く音と、懐かしい声が扉越しに聞こえてきた。


「アイラお嬢様? どうかされましたか?」

「ヴィレット!?」


 おそらく私の叫び声に反応したのだろう。

 だけど、声の主の顔を思い浮かべた時、私は再び大きな声をあげざるを得なかった。

 私の乳母だったヴィレット。

 彼女もまた、すでにこの世にはいないはずだ。


 私は息を吸うのも忘れ、扉へ駆け寄り勢いよく開け放……とうとしたけど、出来なかった。

 ノブの位置が随分と高く感じる。

 一度息を吸い、ゆっくりと吐いてから、扉を開けると、心配そうな顔をした、少し白髪の混じった懐かしい女性の姿があった。


「ヴィレット!!」

「おや、まぁ。はいはい。私ですよ。ヴィレットでございます。アイラお嬢様。どうされました?」


 今度こそ勢い余って飛びつきヴィレットに抱き付く私に、ヴィレットは優しい声をかけてくれる。

 それだけで、心の中温かくなるのを感じた。

 今生の別れを告げたはずの乳母の温もりと声を聞き、感動に浸っていた私は、重要なことを思い出しヴィレットのお腹にうずめていた顔を上げ、質問する。


「ヴィレット。あのね。あの……ウィルはどこ?」


 絞り出すように、弟の名を口にした。

 もしも、もしも私の思っている通りなら……

 私の心の中に渦巻く感情を知るはずもなく、ヴィレットは相変わらずの優しい声で答えてくれた。

 その表情に、怪訝そうな気持はみじんも感じない。


「ウィリアム坊ちゃまですか? 坊ちゃまなら、先ほど寝室を覗いた時には、すやすやと眠ってらっしゃいましたよ。また熱が少し出たようですから、着替えを済ませたばかりです」

「あぁ!! ウィル!! ウィルも生きているのね!?」

「なんですか。お嬢様。大げさな。そりゃあ生きてますよ。坊ちゃまは生まれつきお身体が少しお弱いですが、このヴィレットがきちんと育てれば、お嬢様のお年になられる頃には、家じゅうを飛び回れるくらいに元気になりますよ」

「ええ。ええ、そうね。ヴィレット。ごめんなさい。少し変な夢を見て混乱していたみたい。とにかく、ウィルに会いたいわ。この部屋を出て、右だったわよね?」

「あらあら。最近とんと暑いですからね。暑いときはいけません。悪い夢を見やすいんですから。そういう時は、脚は冷やさずに、わきの下と首元を少し涼しくするといいんですよ。ああ。坊ちゃまの部屋へ行くんでしたね。ええ、ええ。この部屋から右に三つめのお部屋ですよ」


 ヴィレットの言葉を聞き終えるより先に、私はウィルの部屋へと駆けて行った。

 ウィルは両親を亡くした後の、私の唯一の肉親だった。

 生まれつき身体が弱く、何度も高熱を出したり、病に侵されながら生きていたけれど、私がマートンから家を追い出される半年前に、病に倒れ帰らぬ人となった。

 もしウィルが生きていれば、マートンが皇帝にどんな言葉を使ったとしても、父が持っていた侯爵位を継承したのはウィルだっただろう。

 無茶ともいえるマートンの進言がまかり通ったのは、唯一の後継者である私が女だったから、というのは想像に難くない。


 ヴィレットから聞いたウィルの部屋。

 徐々に鮮明になってきた、私の記憶とも合致している。

 眠っていると聞いてたので、できるだけ音をたてないように扉を開いた。


「あぁ……! ウィル……!!」


 こらえきれず、声を漏らす。

 ウィルは寝室に一人、すやすやと寝息を立てていた。

 私よりも五歳離れたウィルは、同年齢の子供が動き回る頃になっても、多くの時間をベッドで過ごしていた。

 両親が健在だった頃は、ベッドの上には様々なウィルのためのおもちゃが置かれていた。

 だけど今見る限り、ベッドの上にはひとつのおもちゃすら置かれていない。

 そのことが示すのは、抗うことの出来ない事実。

 私より少し遅れてやってきたヴィレットに、念のため確認の質問をしてみる。


「ウィルはぐっすり眠っていたわ。やっぱり私、悪い夢を見てたみたい。ところでヴィレット。今年はブライト歴何年だったからしら?」

「今年の暦ですか? あら、いやですよ。アイラお嬢様。いくら悪い夢を見たって言っても、お勉強されたことを忘れてしまうなんて。今年はブライト歴一八三年ですよ」

「ああ。そうだったわね。ちょっと自信がなかったの。でももう大丈夫。そういえば、巣を作っていた琥珀鳥アンバードはもう巣立ったからしら?」

「庭のモレアの木に巣を作った鳥ですね。いいえ。まだエサを求めて雛たちが毎日可愛い声で鳴いていますよ。あの様子だと、あと二月はかかるでしょうね」

「そう。ありがとう。私、部屋へ戻るわね」


 ヴィレットに笑顔でそう言うと、私は元来た道を戻り、自室に入ると一息吐いた。

 琥珀鳥は竜月になると巣立ちを迎える。

 それから二月前ということは、今は虎月。

 ブライト歴一八三年の虎月……両親が亡くなったのは同年の牛月。

 忘れもしない。

 今の私は八歳で、後見人としてマートンたちがこの家に我が物顔で移り住んできた最初の月だ。


「ああ! 神様! ウィルにもヴィレットにもまた会えたというのに! お父様とお母様に再び会うことは許されないというのですか!!」


 いや……そもそも自分が昔に逆戻りしたと決め付ける方がおかしいのかもしれない。

 これはもしかしたら、私の夢の世界かもしれない。

 もしかしたらまたあの優しい笑顔で、私に話しかけてくれるかもしれない。

 そう思うと、居ても立ってもいられなくなり、再び部屋を出る。


「アイラお嬢様? どちらへ?」


 見覚えのある侍女が話しかけてきたけれど、「ちょっと散歩に」と答えるだけにした。

 両親がどこにいるなどとは聞けなかった。

 望まない答えが返ってくるのが恐ろしかった。


 いくら早く動かしても思ったほど速度の出ない私の身体に苛立ちを覚えながら、両親がよく時間を過ごしていた庭へと向かう。

 そこで、私は両親の代わりに、会いたくなどなかった人物に出会ってしまった。


「ディラック……」


 私の呟きが聞こえたのか、従兄弟のディラックが私の方へと身体を向ける。

 父親であるマートンの面影を色濃く引き継いだ、グリーンブラウンの髪と深緑の目を持つディラックもまた、私と同じく幼い容姿をしていた。

 

「うん? なんだ。アイラか。なんだよ。睨みやがって。伯父さんたちが死んでお父様と一緒に俺たちが移って来たのは数日前だが、良い加減慣れろよ」

「そう……よね……お父様とお母様もう、この世には……」

「おいおい。大丈夫か? 自分の親が亡くなったことをまさか忘れたなんて言わないよな?」


 私を少し馬鹿にしたような口調のディラックの言葉が胸を打った。

 両親はやっぱりこの世を去ってしまっている。

 絶望に飲まれそうな私の心の奥から、小さな希望の光が沸き起こってきた。


 なぜ私が過去に戻って来たのかは分からない。

 過ぎた過去を変えることが出来ないことは嫌というほど経験してきた。

 だけど……これからの未来なら?

 まだ生きているウィルを救える未来があるかもしれない。

 ヴィレットとあんな形の別れになることも防げるかもしれない。


「私が……ちゃんとすれば……」

「うん? なんか言ったか? おい。どうしたんだ? さっきから動かないで。弟のように病にでもかかったか?」


 相変わらず馬鹿にするような口調のディラックを睨み付ける。

 小さい頃から淑女の嗜みについて指導されて来た私が、睨むなんてことをしたのは今世では初めてだろう。


「な……なんだよ」


 ディラックは目を逸らしながらたじろいでいた。

 前世ではかなり図太くなっていた神経も、幼い頃はそれなりだったらしい。

 私は踵を返し、自室に戻り姿見の前に全身が映るように立った。

 今の自分と、前世の自分の姿を重ねる。


「私は……ものを知らな過ぎたわ。善悪についても」


 思えば両親が生きている間は、なんの不自由もなく生きて来た。

 全ての人の善性を信じ、悪どい考えをする人なんていないとまで思っていた。

 それが間違い。

 世の中には羅刹や悪魔のような人間がいる。

 そういう者たちの前では、小さな善など踏み潰されてしまう。


「ウィルを救うための方法を探すにしても、私が今から動かないといけないわ。そのためにはなんだってやる! 今世は……立派な悪女(ワル)になる!!」

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