第33話 風の向くまま(19)

 翌朝、ミケたちは新潟警察署に移送されていた。


 忘木達が覗いたバスの荷室からは、二匹の猫と、三宅将暉、バスの運転手、そしてナナが見つかった。発見時、三宅将暉は意識を失っていて、忘木はこのまま署に連れて行っていいものか悩んだ。世間的には、三宅将暉は長期に渡り行方不明の現職警察官だ。その彼が、今回の現場での数少ない生存者ということで、疑いの目はマスコミだけでなく、署内からも向けられることになるだろう。だが結局、逃がそうとしてもできる状況ではなかったし、何より、彼の妹の静香に会わせずにここで別れるわけにもいかない。


 報道管制が解かれた早朝になって、忘木は姫川たちの待機している芽吹駐在所に電話した。そう、よかった、と息をつく電話口の姫川の後ろから、静香のすすり泣く声が聞こえてきて、忘木は少しだけ肩の荷が下りた気がした。

「で、一体なにがあったのよ、あれから」

 姫川からの質問を耳にして、忘木は緩みかけた気を引き締めた。

「正直、現時点ではどこまで電話口で伝えていいかわからん」

 忘木の答えは歯切れの悪いものだった。

 今頃、政府の上のほうでは会議が紛糾しているに違いない。ただのいかれた若者のバスジャックごっこかと思っていたのが、警察とマスコミを罠に嵌めて皆殺しにしたあげく、反政府ゲリラを公言して闇に消えたのだ。年寄りの国会議員にとっては、年号が二つ前まで戻った気分だろう。

「ただ、政府は国のメンツにかけて、今回の犯人たちを捕らえようとするだろうな。奴らのテロが、この事件だけで打ち止めとも思えん。俺達警察が忙しくなるのは間違いないだろう」

 姫川のため息が、携帯電話を通して忘木の耳元まで漏れてきた。

「じゃあ、詳しい話は戻ってきたら聞かせてもらうわ。それじゃ…」

「まてまて」

 通話を切りかける姫川に、忘木は慌てて声をかけた。

「バスからお前んとこの猫どもが出てきたぞ」

「!?」

 盛大にお茶を噴く音が忘木の耳元に聞こえてきた。


 ◇◇◇


 ミケがバスから出てきたのもびっくりしたが、何より忘木がびっくりしたのは、同行していた相馬とミケが会話を交わすことができたことだ。


 忘木がバスの荷室のハッチを開け、ミケが飛びついてきた時も、忘木はそれが芽吹駐在所のミケなのかどうか確信が持てなかった。(猫の分際で)ヒッチハイクで旅に出ているというのは姫川から聞いて知っていたが、こんな偶然があるとは信じがたい。

 だが、このミケとおぼしき猫は忘木の袖を咥えて、必死に荷室に連れ込もうとした。こんな人間臭い率直な行動がとれるのは、やはり中身が三宅将暉のミケぐらいしか思い浮かばない。忘木は、近くにいた相馬を呼んだ。

「なんだ、なんでこんなところに猫がいるんだ」

「わからんが、知り合いの猫によく似てる。中を見てほしいらしい」

「どれどれ」

 相馬がのそっと荷室に潜り込んだのを確認して、忘木はもう一度周囲を警戒した。遠くからサイレンの音が近づいてくる。到着まではもうしばらくかかると思われた。

「生存者がいるぞ、三人だ」

 相場が声を弾ませた。

「ほんとか」

「一人は失血が多く、意識不明だ。救急につないでくれ」

 忘木は消防本部に救急で電話をつないだ。こんな状況だから出場には慎重にならざるを得ないが、出来る範囲で急いでくれ、と伝えると、電話の向こうで周囲に伝令する声が聞こえた。それなりに状況は伝わっているのだろう。

 忘木は、残る生存者の情報を相馬に訊ねた。

「あと二人は、男女だ。男のほうは気を失ってる。女は…あれ、どこいった?」

 相馬の慌てた声がして、忘木が荷室を覗き込むと、目の前に少女がのっそりと顔を出した。

「あーっ、やっと出られた!おじさん、刑事さん?助けに来てくれて、あんがとね」

 狭い荷台から抜け出して、少女は思い切り身体を伸ばした。猫のようだ、と忘木は思った。

「ところでさ、おじさん。ここってどの辺?朱鷺メッセまで、どれくらい?」

 突飛な質問に忘木は目を白黒させたが、どんなに急いでも二時間はかかるだろう、と伝えると、少女は頭を抱えてうずくまった。

「あーもう、さすがに無理かぁ…」

 朱鷺メッセに何の用事があったのかと忘木は尋ねようとしたが、中から聞こえてきた相馬の声に遮られた。

「おい、こっちの男、三宅将暉だそうだ」

 その名前を聞いて、忘木は反射的に荷台に顔を突っ込んだ。

「ほんとか」

「いま、そっちに押し出す」

 忘木は、押し出されてきた男を雪の上に引きずり出した。

 髪も髭も伸びているが、確かに三宅の顔だった。

「バスジャック犯との乱闘のあと、得体のしれない連中がバスに乗り込んできて、休憩室に逃げ込んだんだそうだ」


 なんだか妙だ。忘木は、思い切って相馬に問いかけた。

「おい、運転手は意識不明なんだろ。お前、さっきから誰と話してるんだ」

「誰って…」


「…猫?」


 ◇◇◇


「…そんなわけで、なぜだか知らんが、相馬もミケと話ができるらしい。相馬を通訳にして、俺にもこいつがミケだってやっと確信したんだ」

忘木の説明を聞いて、姫川はただただ混乱した。

何を質問していいかもわからなかったが、やっと一つだけ聞きたいことを絞り出した。

「…とにかく、ミケも無事なのね?マタザブローも」

「ああ、こいつマタザブローっていうのか。腹を減らしてたんで、いまこっちの職員にキャットフードを買いに行ってもらってるが、元気だよ」

姫川は、ほっと息を吐いた。

「…とっとと帰って来いって伝えて」

忘木は苦笑いした。姫川の口調が、三宅の無事を伝えた時よりも柔らかく聞こえたからだ。

「俺たちと一緒に帰るよう、説得してみるよ」

「紗栄子のほうの用事もあるんでしょ?何かわかったら教えて。じゃ」

 

 電話を切った忘木は、慌てて新潟刑務所に電話を入れた。新潟に来た目的を完全に忘れていた。



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