第30話 風の向くまま(16)


「…?」

 三宅将暉は、誰かに呼ばれた気がして周りを見渡した。


 ナナのほうを見ると、ナナは最後尾の席で頭を抱えて震えていた。カチカチと奥歯の鳴る音が周囲にまで響いている。他の乗客も似たようなものだった。自分を守るのに精いっぱい、といった風情だ。この連中に呼ばれたわけではなさそうだ。


 次に赤い髪の男を見ると、折れた指を痛そうに押さえて三宅を睨んでいる。

「お前か…?」

 一応聞いてみただけだったが、赤い髪の男は、三宅の問いかけを無視してまくしたてた。


「なんなんだ…、なんなんだよ!お前!!」

 先ほどまでの余裕は微塵もなかった。仲間の出血に動揺し、狼狽するだけ。

「よくも、俺たちの革命を邪魔してくれやがったな!!お前ら!後ろの連中もだ!!ここから無事に帰れるとか思うなよ!!俺たちは『黒いプラスチック』だ!俺たちは…」


 くだらない。


「それはさっき聞いた」


 三宅は、黒メガネの男に腹に突き刺していたナイフを引き抜くと、その勢いのまま赤い髪の男の首筋を薙いだ。

 首筋がぱっくりと裂け、鮮血が飛び散った。

 噴水のように吹き上がる血が、周囲を赤く染めていく。

 他の乗客の何人かに容赦なくかかっていたが、みな頭を抱えたままで、顔を上げようとはしなかった。


 そうやって丸くなったまま、こいつらはここで死んでいくんだろう。


 三宅は、床に落とした自分の荷物を拾い上げると、今度こそバスを降りるために出口に向かった。


 ◇◇◇ 


「ミケっっっ!!待てっ!!!」


 今度こそ三宅は聞き逃さなかった。バスの前方、足元のほうだ。

 目を向けると、一匹の三毛猫が、全身の毛を逆立てて三宅を威嚇していた。


「あれ、猫…いや、俺…?」

 見覚えのある猫の風貌に、三宅は混乱した。


「そうだよ!その入れ替わった体の持ち主!!」

 ミケが懸命に叫ぶ。

「そしてこれは、元々のおまえの体だろ」

 そして、三宅にはその叫びの意味がすんなり理解できる。


「え、なに、お前…、俺、なのか…?」


 三宅は膝をつき、ミケを抱きかかえようと手を伸ばした。

 だが、ミケは飛びのいて、三宅から距離をとった。


「…自分の両手をよく見ろ、ミケ」


 言われるまま、三宅は自分の手を見た。

 鮮血で真っ赤に染まり、ヌルついている。


「命がけの状況だったとはいえ、ここまでやる必要はあったのか」

 ミケがゆっくりと、しかしきつい口調で問いかけてくる。


 三宅は、不思議そうな顔で、目の前の三毛猫の鳴き声を聞いていた。

 が、三宅には、ミケの言わんとしていることが何も理解できなかった。


 目の前に、自分だったものがいる。

 そいつが、話しかけている。それも、なにやら偉そうに怒っている。

 面倒くさい。

 こいつも殺してやろうか。


 いや、でも、俺を殺したら俺も死ぬ…?


 そう考えたとたん、三宅の視界がぐるぐると回りだした。同時に強烈な吐き気が襲ってくる。

 そして意識が薄れ、三宅は床に倒れこんだ。


 ◇◇◇ 


 昏倒した三宅を見ても、ミケはすぐに駆け寄ろうとしなかった。


 目の前で、現役警察官である自分が、二名のバスジャック犯を殺害した。

 それも確かに衝撃だったが、何よりミケが感じていたのは、三宅の体にいる本物のミケに対する恐怖だった。


 ふと、紗栄子の事件の時に感じた不安が蘇ってくる。

 猫という生物に由来する、自身の体の奥から湧き上がるかのような残虐性。


「これが、猫の本性なのか…?」


 考えてみれば元々のミケは、生まれてからずっと猫の世界で生きてきた。

 そこで培われた社会性や生の概念、モラルといったものがあるはずだ。

 だが、ミケ自身はそういう意味で、ミケという三毛猫のことをまだ何も知らない。


 それこそが、恐怖の正体なのかもしれなかった。


 ◇◇◇ 


「ちょっ…ヒモ!ヒモ男!なに寝てんのよ!行くわよ!!」


 不意に大きな声が聞こえ、ミケが見上げると、女が立っていた。

 三宅の隣の席にいた娘だ。


「はーい、こんな物騒なものはしましょうねー」

 娘は三宅の手にあったナイフを拾い上げ、前方の割れたフロントガラスの向こうに投げ捨てた。

「そうだ、ライブチケット探さなきゃ。このクソ野郎ども、まさか初めから持ってないってことないわよね…?」

 言うや否や、今度は黒メガネの男を押しのけ、犯人たちの荷物を漁り始めた。

「お、おい…」

 乗客の男が見かねて声をかける。

「こんな状況だし、どのみち事情聴取でライブとかは無理なんじゃ…」

「バカね。だからとっとと逃げるんじゃない」

 娘は、こともなげに言った。

「ライブは明日の夜!いま拘束されるより、一日逃げ切ったほうがワンチャンある!」

「えぇ…」

 乗客の男は困惑を隠さなかった。


 その直後、バスの外から大きな重低音が響いた。

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