第27話 風の向くまま(13)

「おお、寒ぅ。ミケ、もっとこっちくっついてくれよ」

 真っ暗なトランクルームの中で、二匹は体を寄せ合って震えていた。

 冬の大型バスのトランクルームがこれほど冷えるとは、ミケにも計算外だった。確かに風は入ってこないが、地面から近い分だけ底冷えがする。


 そして冷える原因がもう一つ。

 なぜか、バスがずっと停車している。

 エンジンも切られているため、エンジン熱の供給も止まり、急激に温度が下がり始めた。のんきに寝ていたミケとマタザブローもさすがに目を覚まさざるを得なかった。

「くそっ、なんでバスは動かないんだ。新潟まではまだ結構あるはずだぞ」

「ミケ、あそこにヒトの荷物がある。あれで何とかしのげないか」

 マタザブローは、トランクルームに置かれている荷物の一つを指した。

「スキー客の衣類か…。薄いビニールみたいだし、破れないこともないかもな。だが…」

「ヒトの持ち物に手を付けないのがミケの信条だってのはわかるけど、命あっての物種だろ」

 その通りだ。ミケもいい加減限界だった。

 あの中には、きっとセーターやスキーウェアが入っているだろう。客が運転手を怒鳴り散らす姿が浮かんだが、そのモラルは無視することにした。

「…よし、破ろう」

 待ってましたとばかりにマタザブローは衣類袋に爪を立て、ひっかき始めた。


 その時、ばたん、という音とともにトランクルームの扉が不意に開き、光が内部に差し込んだ。

 ミケとマタザブローはびっくりして体を硬直させ、目を見開いて扉のほうを向くと、そこに人間が立っていた。

 それが、乗り込むときにすれ違った運転手だと気づくまでにしばらくかかった。

 片手で背中を押さえ、バスにしがみついていた。血の匂いがする。


 ここで飛び出せば、外に出られる。それは二匹ともわかっていたが、運転手の怪我の具合から目をそらすこともできなかった。

 そうこうしているうちに、なぜか運転手はごろりとトランクルームに転がり込み、扉を閉めてしまった。

 「お前も入るんかい!」

 マタザブローのツッコミが聞こえたが、運転手は猫の鳴き声を意に介さず、荒い息でポケットのスマートフォンを取り出した。

 液晶画面の鋭い光が目に刺さり、猫たちは思わず顔をしかめた。

 

 運転手は痛みに耐えながら、たどたどしい手つきで、メッセージングアプリに何事かを入力し始めた。それが終わるまで、ミケたちは黙っていることにした。


『運転手の吉高です。トランクルームに逃げ込みました。犯人は男二名。銃とナイフを持っています。背中を刺され行動不能です。お客様の救出をお願いします。お願いします』


 送信まで5分近くかかったが、運転手は最後まで丁寧な文体を崩さなかった。送信が終わると、運転手は安心したように息を深く吐き、続いてせき込んだ。

 運転手が背中を向けたので、ミケからも背中の傷が見えた。逆光で分かりにくいが、鮮血がにじんでいる。


「こんな、もんかな」

 運転手は、小さな声で独り言を始めた。

「バスジャックには…それなりに警戒して、対策もとっていたつもりだったんだけどなぁ…。自分以外に、けが人が出なければいいけど…。

 もし乗客が全員無事で終わったら、父さん、俺を褒めてくれるかな…」


 運転手の独り言を聞いて、ミケは状況を理解した。

 このバスは、バスジャックされているのだ。

「そういうことか…」

 マタザブローが、説明を求める目線をミケに送った。

「このバスは、悪い奴に乗っ取られたんだ。この人はそいつらにやられた」

 ミケは難しい言葉を使わず、簡潔に説明した。

「とにかく、このままではこの人は死んでしまう。何とかしないと」


 ◇◇◇


 気を失いかけていた運転手は、背中に生き物の気配を感じて振り返った。

「…なんだ?」

 猫だ。二匹の猫が、自分の背中の傷を舐めている。

「なんで、こんなところに猫が…」

 ニャア、とミケが小さく鳴いた。

「そうか、さっきのサービスエリアで轢かれそうになってたの、お前らか。こんなところに迷い込んで…困った奴らだ」

 運転手はまたせき込んだ。今度はミケからもはっきりと、喀血が見えた。


「馬鹿だなあ。いくら猫だって、寒いだろう、こんなとこ…」

 運転手は精一杯手を伸ばして、ミケの頭を撫でた。

 ミケはただ、されるがままにしていた。

 この男は、死を覚悟している。


「そうだ。こんな寒い所より…」

 運転手は、重たい体を反転させ、車両の前方へと這い出した。

 ミケとマタザブローは何とかやめさせようと呼び止めたが、運転手は構わず進み、トランクルームの一番前にたどり着いた。

「普通のバスには、こんな扉はないんだけどさ。会社の先輩がこっそりつけたんだ」

 内緒だぞ、と言って、運転手は奥の小さな引き戸に手を伸ばし、静かにスライドさせた。


 そこには、カプセルホテルのような小さな空間が広がっていた。白いシーツにふとん、毛布もあった。

「俺たち運転手のための仮眠室だ。今日の路線はそんなに遠くないから、使わないんだけどさ」

 ミケは、昔ニュース番組で見たことを思い出した。

 長時間にわたって運転する高速バスの乗務員に無理をさせないために、交代要員をつけることが義務付けられた。併せて、交代要員が待機するための仮眠室がバスの中に設けられた、という話だった。

「ただし、静かにしていてくれよ。真上には、俺を刺したおっかない奴がいるはずだからさ…お前らも、俺の乗客なんだから、頼むから、無茶を…しないで…」

 運転手の意識が遠ざかっていく。

 ミケとマタザブローが、引き戸から仮眠室に入っていくのを見届けて、運転手は目を閉じた。


 ◇◇◇


「ニャッ!」

「うおっ」

 突然耳元で鳴かれて、運転手は再び覚醒した。

 三毛猫が、運転手の眼前に戻ってきていた。


「これ、は…」

 見覚えのあるものが置かれていた。

 仮眠室に常備している救急箱、より正確にはその中身だ。

 包帯や痛み止めのほか、交代要員が不眠でも眠れるように、軽めの睡眠導入剤をこっそり入れてある。

「おまえ、いったい…」

 三毛猫は応えず、再び仮眠室に入り、自分で引き戸を閉めた。


「マタザブロー、ちょっと聞いてもいいか」

「なんだい」

「ここだけの話、人間を襲ったことはあるか?」

 マタザブローは少し考えて、

「正面からじゃなければ」

 と答えた。ミケはそれを聞いて苦笑いした。


「チャンスを見て、ここから上に出る。敵は武器を持った人間二人だ」

 ミケは、運転席後部につながる扉に耳を当てて、中の様子を伺った。

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