第15話 風の向くまま(1)

 二月になった。


 ミケとチャコはコタツに体を埋めながら、受付で市民の相談に耳を傾ける姫川の様子を伺っていた。市民といっても、毎度おなじみフジ子である。

「それでね、この子ってばやっぱり野良が長かったせいか、気づくとぷいっていなくなっちゃうのよね。この寒いのに。あたしゃもう、心配でねえ…」

 キャリーケースから出されてフジ子の膝の上にいるのは、黒猫のアイだ。


 このところ、フジ子はアイの飼い方について相談に来ているのだった。


 ◇◇◇


 事件の後、駐在所にフジ子がアイを連れて来た時には、姫川もミケも仰天した。

 たまたまフジ子との世間話の中であの事件の話になり、保健所で無事だった猫たちの引き取り手を探している、と姫川が見せた写真の中に、アイの姿もあった。

「あれっこの子!!うちのミーがよく連れてくる黒猫じゃないの!!」

「知ってる猫ですか?」

 姫川の問いに、フジ子はブンブンと頭を何度も縦に振った。

「知ってるわよ!そこの河川敷!ずっと寂しそうに暮らしてて、気になってたの!このところ見てないと思ってたけど、こんな大変なことになってたのねえ!」

 涙をボロボロと流しながら喜ぶフジ子をみて、姫川も思わずもらい泣きしそうになった。が、フジ子はそんな姫川を気にも留めず「こうしてらんないわ!」と立ち上がり、あれよあれよという間に電動アシスト自転車で地平線の彼方に消えた。


 そして翌日、自転車の荷台にキャリーケースをくくりつけたフジ子が再訪した。

 フジ子は「私、この子も飼うことにしたわ!」と高らかに宣言した。姫川もミケもあっけにとられるしかなかった。

 キャリーケースの中を姫川が覗くと、中に入っていたのはアイだけではなかった。もともとフジ子の飼い猫であるブチ猫のミーも、連れてこられていた。

 「猫二匹は正直大変だけど、これも何かの縁!ミケちゃんとチャコちゃんも仲良くしてあげて!」

 そんなフジ子の気合をよそに、狭いキャリーケースの中で憮然とした顔で睨みあっているミーとアイの姿を見て、ミケとチャコは笑いをこらえるのに必死だった。


 ◇◇◇


「ちょいと」

 フジ子の膝の上から、アイがミケを呼んだ。

 こちらに来たがっているようだ。ミケは仕方なく「ミャア」とわかりやすく返事をして、アイを離すようフジ子にアピールした。

「あら、ミケちゃんたちと遊びたいのかい」

 いっておいで、とフジ子が床にアイを置くと、アイはいそいそと歩き出し、ミケたちのコタツに潜り込んだ。

「ああ、あったかい。やっと解放されたよ。しばらくだったね」

 アイは手足を伸ばし、リラックスした様子を見せた。

「ミーとはうまくやれてるか?」

 カメムシを噛み潰したような顔になったアイを見て、ミケとチャコはすべてを察した。

「あいつ、先に家にいたからって、何でもかんでも文句つけやがって…うっとおしいったらありゃしないよ。アタシが来たから餌が半分になった、とか思ってるに違いないね」

 さすがにミーはそんなこと考えないだろう、とミケは思ったが、アイにも相当溜めこんだものがありそうだ。

 …ということは、ミーはその三倍は溜めこんでいるに違いないのだった。


 とはいえ、

「この寒さじゃ、集会もなかなか集まらないだろう」

 ミケが尋ねると、アイは首を振った。

「そうでもないよ。アンタたちもたまには顔を出しなよ」

「寒くてなあ」

「寒くてねえ」

 チャコも真似をした。

「そんなこと言ってると、あっという間に春だよ。そうだ、いまちょうど、ボスが戻ってきてるんだ。挨拶に来なよ」

「ボス?」

 ミケは、まだこの地域のボス猫に会ったことがないのを思い出した。

「そういや、まだ一度も見たことないな。どんな奴なんだ」


 ミケが尋ねると、アイは珍しく、うっとりとした顔つきになった。

「とにかく、でっかい男さ。体も大きいし、喧嘩も強いけど、なにより器がでかいっていうか…すごい男なんだ」

 そんなアイを見て、チャコがおお~、と驚きの声を上げる。

「アイさんが乙女の顔になってる…」

「ば、バッカ!そんなんじゃねえよ!」

 はっと我に返ったアイが、恥ずかしそうにコタツの布団に顔を埋める。

 こうなると、ミケも俄然そのボス猫とやらに興味が出てきた。

 男勝りのアイが手放しで褒めるほどの猫とは、どんな猫だろう。何しろミケには、猫の社会の上下関係や評価基準すらよくわかっていないのだ。

「わかった。次の集会は行くから、迎えに来てくれ。裏口から呼んでくれればわかる」

 ミケが答えると、アイはぱっと表情を明るくした。


 ◇◇◇


 翌日、迎えに来たアイと一緒に、ミケとチャコは久々の集会に足を運んだ。

 今日は久々に日差しが温かく、風も穏やかだった。猫たちは車のスクラップの中から日当たりのよい場所をみつけ、陣取っている。

「で、ボスはどこにいるんだ」

「あれがボスだよ」

 アイの目線を追うと、スクラップの山のそう高くはない位置に、体の大きな猫が横たわっているのを見つけた。キジトラのようなガラをしているが、ひときわ体が大きい。太っている感じではなく、精悍な目つきをしている。

 アイはミケとチャコをボスの下まで連れていき、挨拶をさせた。

「ボス、新入りの猫を連れてきました」


「アイちゃん、ご苦労様。僕はマタザブロー。いつもあっちこっち行っててなかなか会えないけど、よろしくね」

 意外な低姿勢に、ミケとチャコは顔を見合わせた。アイの話しぶりからして、もっと威厳を出してくるものだと思っていた。

「俺はミケ、こっちは妹のチャコだ。そこの交番の世話になっている」

 コーバン…、とマタザブローは困惑したような顔を見せた。

「あの、コーバンっていうのは、あの赤いのがグルグル回ってる…」

「ああ、あれかあ」

 チャコが解説すると、マタザブローはようやく合点がいったようだ。

「あそこ、確かしばらくヒトも住んでなかったよね。また誰か住み始めたんだ。君たちと住んでるヒトも、やっぱりこの辺をウロウロするの?」

 ああ、と答えながら、ミケはマタザブローの顔を見つめた。頭がいいというか、好奇心の強い猫のようだ。ここまで人間の習性や行動を注意深く見ている猫に、ミケは出会ったことがなかった。ボス猫を務めるだけのことはある、ということか。

「あれは巡回といって、人間同士の争いを止めたり、悪い奴を捕まえたりするために見回りをしているんだ。あそこに住む人間は、それをするのが仕事なんだ」


「そうなんだ…ミケは、ヒトに詳しいんだね?」

 マタザブローの眼が一瞬だけ大きく見開き、ミケは少したじろいだ。

 ミケは、他の猫に自分のことをどこまで話してよいのか、ずっと考えあぐねていた。人間の記憶を持っていることや入れ替わったことはともかく、人間の社会に詳しいこと、逆に猫の社会に疎すぎることは、いずれ誰かに怪しまれるだろう。

 ここは、言葉を濁すことにした。

「まあ、飼い主の仕事を見ているだけだけどな」

 マタザブローは、少しだけ訝し気な表情を見せたが、

「そっか、僕はずっと野良だからなあ」

 と深く探ろうとしなかった。


 ◇◇◇


「そんなことより、ボスの旅の話を聞かせてよ」

 アイが割って入ってきた。

「旅?」

「そうだよ。ボスは、あちこち遠くまで気ままに出かけては帰ってくるんだ。何日も縄張りを離れて、面白いことを探しに行くのさ」

 アイが目をキラキラさせている。ふと見ると、周りの猫も耳をそばだてている。

「ボスのみやげ話は、いつもすごく面白いんだよ。気が付いたら、みんな夢中でボスを囲んで話を聞いてる」

 いつの間にかミーも来ていた。

「いつか、ボスと二人きりで旅に出てみたいもんだねえ」

「おや、あたしが先だよ」

「あんたじゃボスの足手まといだよ、ろくにネズミも捕まえられないくせに」

「言ったね?あんたこそ…」

 マタザブローを巡るメス猫の見にくい言い争いが始まったが、マタザブローは気にも留めていなかった。堂々たるモテっぷりだ。

「なあ、ミケ」

 小声でマタザブローがミケに話しかけてきた。

「明日、君の家に行ってもいいかい?色々、ヒトの話を聞きたい」

 今じゃだめなのか、と訊くと、マタザブローは言葉を濁した。

「ここじゃ偉そうにふるまってるけど、僕はヒトについては知らないことが多い。なんとなくだけど、君は僕より何倍もヒトに詳しいんじゃないかと思ってさ」

 マタザブローの口調に悪意は感じられなかったが、それでもミケはこのボス猫の言葉に警戒した。

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