第14話 タートルネックの女(10)

 突然の紗栄子の開き直りに、忘木達は二の句が継げなかった。

 クローゼットの中に一瞥もくれず、紗栄子は一人で淡々と話し始めた。その口調に先日の優雅さはかけらもなかった。空中に話しかけるような、ボソボソと上ずった声に、署員たちは彼女の狂気の気配を感じ取った。


「私は普通に動物が好きで、普通に地元のペットショップに就職した。

 地元では人気店だったけれど、内情は違っていたわ。動物が一番大切。商品が一番大事。

 やる気と愛情をありったけ注ぎ込んでも、それはオーナーの懐を潤すだけ。私たち従業員の生活はまるで楽にならなかった」

 ふわふわと宙を見上げながら語る紗栄子を、忘木はずっと正面から睨み続けた。


「ついに、オーナーは給料の一部を現物支給するようになった。近親交配で生まれた様々な遺伝障害を持つ動物たちを、従業員に押し付け始めたのよ。私たちは、自分の食い扶持すら稼げていないというのにね。

 耐えかねて辞めていく従業員も多かったけど、私にはできなかった。裕福な家で何不自由なく育って、他の仕事で生きていくことなんて、考えたこともなかった」


「…きっかけは?」

 忘木が尋ねた。

「きっかけ?」

「猫を殺すようになったきっかけだよ」

 ああ、と紗栄子は笑った。


「ある日、お腹を空かせた一匹が、寝ている私の首元に噛みついてきたの」

 彼女は髪の毛をたくし上げ、忘木にうなじを見せた。

 さほど目立つ傷ではないが、皮膚が引き攣れているのが分かる。


「笑っちゃうでしょ。私、頭で考えたことはあっても、実際にそうなるまで信じられなかったのよ。気づいたら、飼っていた猫全部殺してた」

 紗栄子は、クローゼットの中の猫の毛皮に手を伸ばし、左右を掴んで引っ張った。捜査員たちが思わず目を背ける。


「そうして、私はあっさりとペットショップを辞めたわ。

 でもね、あれは今でも笑ってしまうのだけれど、職業安定所で紹介された、次の就職先もペットショップだったのよ。

『あなたには無限の可能性がある』なんて、あの頃の私には誰も言ってくれなかった」


 忘木が口をはさんだ。

「こう言っちゃなんだが、お前さんほどの器量があれば、水商売だってあっただろう。そういうのは考えなかったのか」

 紗栄子は薄く笑った。

 きっと逆なのだろう。美人過ぎたからこそ、何をやっても孤立し、利用されてきたのかもしれない。

「でも結局、私はそのペットショップには採用されなかった。

 どの動物も、私に近寄って来なくなったから。

 おかしいわよね。私に触られた猫も犬も、全身を硬直させてカチコチになるの。

 それで、結局はお巡りさんの予想通り、水商売に入った」

 瞬く間に太い客がついて、一時期は都内のタワーマンションに住んでいたこともあるという。

 「何不自由ない生活だったわよ。猫を見ると我慢できないこと以外は、ね」

 紗栄子は声を上げて笑った。


「お前さんの、あの解体ショーをプロデュースしてた奴がいるだろう」

 忘木が話を切り出すと、紗栄子の浮ついた視線が少しだけ落ち着いた。

「…確かに、あの配信は私のアイデアじゃないわ」

「どういう経緯であんな悪趣味なことをし始めたのか知らんが、お前さんは嫌じゃなかったのか」

 紗栄子は、少し考えて答えた。


「…そうね。私は猫を見たら殺したくなるけれど、いないからといってわざわざ探してまで殺したいとは思わないわ。でも世の中には、逆に。」

 当たり前のように話す紗栄子を見て、忘木は深いため息をついた。

 結局、紗栄子もまた、そういう連中に利用されているのだ。異常者に金を払って異常な行為をさせ、それを見て楽しむ。理解しがたい底辺の世界。


「続きは、署でゆっくり聞かせてもらう」

 忘木が捜査員たちを促し、紗栄子はおとなしくパトカーに乗せられた。

 部屋に残った忘木は、もう一度ぶら下げられた猫の首を見た。

 息絶えていた。


 ◇◇◇


 数日後、通常の駐在所業務に戻った姫川がすっかり油断しきったころに、忘木が訪れた。姫川はとびきり苦い顔で出迎えた。


「…それじゃ結局、またトカゲのしっぽ切りだったってこと?」

 お茶を差し出した姫川が、呆れた声を出した。

「まあ、あの事件に関してはそういうことだな。あれほどの大事件になったんだから、しばらくはおとなしくしてるだろうが」


 あの生配信の後、猫動画界隈は大変な騒ぎになった。ただただ猫が好きで自宅の猫の動画を撮っていただけの配信者まで疑われ、動物動画のアップロード数は大きく減少した。あの動画を見てショックを受けた若い女子の呟きがSNSにあふれ、一方で面白がって拡散するユーザーも現れたが、どちらもサービス側の対応により、数日でほとんどSNSから姿を消した。

 TVや他のメディアはというと、ほとんど取り上げなかった。電波に乗せられない動画はいかんともしがたく、放送倫理的にもアウトだったのだろう。殺人こそ起こらなかったが、大量の猫を生きたまま皮だけにしてクローゼットにぶら下げるといった残虐性はむしろ、人でないからこそ際立っていた。


 ズズズと音を立ててお茶をすすりながら、忘木は姫川の足元にいるミケを覗き込み、話しかけた。

「ミヤケ、お前は覚えてるか?最初に俺たちで紗栄子の家に行ったときに、入れ替わりに出ていった男」

 忘木がミケに話しかけ、ミケはミャアと返事をした。

「あれは辻克俊だろう?このへんでしょうもないことばかりしてるチンピラの」

 ミケの言葉を聞いて、姫川も思い出す。

「辻?あの?ちょくちょく恐喝で取調室に来てた、あの?」

 忘木が頷く。

「奴が例の虐待動画を、紗栄子にやらせてたってこと?

 それは無理よ、アタマ悪くて、スマホすらまともに使えなさそうじゃない」

 身も蓋もない反論だった。

「俺も以前のあいつしかみてなかったら、そういう意見だったんだがな。ミヤケはあの日、辻をみてどう思った」

 ミケも改めて問われ、違和感があったことを思い出す。

「確かに普段のあいつだったら、アホだから忘木さんに真っ先にメンチ切ってたよな。女の前で猫被ってたのかもしれないけど…そういう計算高さも、ないよな。辻には」

 姫川も頷く。辻の人物像は、署の全員が同じように語るだろう。

「服装はマルボウ丸出しだったけど、なんかこう、別人みたいな…」

 そこまで考えて、ミケははっとした。


「カラス猫…?」


 そうだ、一瞬だけ目があったときに感じた違和感。

 あれは辻ではなく、カラス猫への既視感だったのだ。


「そうか、あいつこんな…近くにいたのか」

 ぶるっ、とミケは体を震わせた。

 やっと尻尾を掴んだことに対する喜びと同時に、あれだけ接近していたのに全く気付かなかったということへの恐怖が沸き上がっていた。


 その様子を見ながら、忘木がミケに尋ねた。

「カラス猫って、お前さんとネコの中身を入れ替えたカラスのことか。そんな奴が、辻なんぞに成り代わって何をしてたんだ」

 ミケは姫川に、目配せで通訳を促した。


「もしカラス猫なら、紗栄子に猫殺しを依頼していたのは、金儲けのためなんかじゃなかったのかもしれない」

 姫川と忘木は、驚いてミケを見た。

「…どういうこと?」


 単純にカラス猫自身が、猫が殺されるところを見たかったのかもしれない。

 カラス猫に、人間のモラルはないだろうから。


 人間のモラルを、普通の猫が持っていないのと同じように。


 その考えを伝えることを、三毛猫のミケは躊躇った。

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