第12話 タートルネックの女(8)

 その日の23時頃、忘木は河川敷に停めていた車の中で、姫川からの電話を受けた。

「例の動画チャンネル、配信始まったわよ」

 忘木が紗栄子の自宅を見上げると、確かに二階の窓に明かりが灯っていた。

 21時ごろから降り出した雨はすっかり本降りになっていて、猫が外を歩くにははばかれるように思えたが、忘木は計画通り、ミケを車から出した。

 ミケは忘木のほうを一度だけ振り返り、すぐに紗栄子の家のほうに向けて歩いて行った。ずぶぬれで雨の中を歩く猫の後ろ姿は、ふだんあまり見ることがないだけに、ある種の凄みを感じさせた。


 ミケは雨で滑りやすいのをものともせず、そばに生えている木を足掛かりにして、あっさりと二階のベランダに飛び乗った。そこからミケが何度も鳴き声を立てると、そのうちサッシがカラカラと開く音がした。


「どうだ、そっちの映像は」

 つないだままの電話から、姫川の声を聞く。

「カメラを回したまま、サッシを開けてミヤケを引き入れたわ。配信中のちょっとしたハプニングってとこね」

 忘木は一息ついて、車内で電子タバコをつけた。

「あいつが合図を出したり、何か騒ぎがあったら、他の車のうちの連中と踏み込むって話になってるが…おかしなことがあったらすぐに知らせてくれ」

「わかってるわよ。忘木さんが直接スマホで動画を見てくれればいいのに」

「よくわかんねえんだよ、こういうの。じゃあな」


 一方的に電話を切られた姫川は、コタツの上のノートPCに映し出されている配信アプリの映像に目を向けた。

 ずぶぬれのミケをタオルケットで拭きながら、紗栄子がカメラの前に戻ってきた。

『えー、動画視聴者のみなさん、こんばんは。紗栄子です。さっきの猫の声ですが、なんとベランダに知らない猫が来てました』

 紗栄子が困惑しながらも、笑顔でPCに向かって話している。

『いえ、本当に知らない猫で、正直戸惑ってます。近所でもこんな三毛は、見たことが…ないですね…』

 少し紗栄子の表情が変わった。

 タオルで拭き上げたことで顔立ちがはっきりし、ミケだと気づいたのかもしれない。

『とにかく、明日まで預かって、一度保健所に行ってみようかと思います。この雨で迷子になっただけかもしれませんし。ね?』

 紗栄子がミケの顔を覗き込んでにっこりと笑った。ミケは自然に目をそらした。


『さて、飛び入りゲストのこの子にはいったんはけてもらいまして…よいしょ。本日の保護猫はこの子です』

 紗栄子はミケを床にのけると、足元のケージを拾い上げ、中にいたもう一匹の猫を両手で取り上げた。

『きれいな毛並みの真っ白な猫ちゃんです。3歳くらいかしら?昨日から保護しているけれど、とてもおとなしくて飼いやすいと思うわ』

 ミケは目を丸くした。先日この家の周辺で話を聞いた、白猫のシロだった。


(シロ!)

 ミケが小声でシロに呼びかける。

(ん…?ありゃあ、おめえこないだの三毛じゃねえか!)

(むこう向いたまま話してくれ…どうしたんだ、捕まったのか)

(昨日、どうしても中から聞こえてくる悲壮な声が気になっちまってよ。ベランダまでこっそり登って聞いてたら、とっ捕まってこのザマだ。ヤキが回ったぜ)

 ミケは首を振った。猫は好奇心が強いものだ。

(その猫の声、どこから聞こえてきてたかわかるか)

 ミケがこの部屋に入ってから、アイの声はまるで聞こえてこない。

 手遅れかもしれない。

(ほれ、女の後ろの、その扉の中だよ)

 ミケは女が背を向けているほうを見上げた。備え付けのクローゼットだ。


 意識してみると、はっきりとそこが異質だとわかる。

 ミケが先日廊下から感じ取っていたのは、悲鳴だけではない。

 かすかに鼻をつく汚物の匂い、そして、臓物と血の匂い。

 これだけ近づくと、猫なら誰でもわかる。

 本能がここに近づくのを拒否している。


『…そんなわけで、この子の飼い主になりたい、という方がいたら、できるだけ急いで連絡をください。この子もとても可愛いのだけれど、どうしても子猫のほうが人気があるので。大人の子には大人ならではの魅力もあるって、猫好きの方にはわかってもらえると思うんですけどね』


 生配信ももうすぐ終わってしまいそうだ。

 ミケはいよいよ仕掛けることにした。

(シロ!これから一芝居うつから、隙をみて隠れてくれ)

(ん?なんだって?)

 シロはまったくわかっていないようだったが、構わずに実行することにした。紗栄子の足元から膝まで飛び上がり、踏み台にして卓上のシロに頭から突っ込む。

「ギニャアアアア!」

「ムギャアアア!?」

 二匹が絡まりながらテーブルを転げ落ちる。

(いてて、なにすんだ、いきなり!)

 シロが抗議する。

(あの女の気を引いててくれ!)

 言うや否や、ミケは再びテーブルに駆け上り、部屋の照明スイッチを探した。

 スイッチは出口のドアのすぐ横にあった。テーブルから届くかどうか不安はあったが、他の足場を探す暇はない。ほとんど助走も取れないまま、ミケはスイッチに飛びかかった。

 かろうじて前足がスイッチにひっかかり、部屋は暗転した。

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