第11話 タートルネックの女(7)

 姫川がミケを連れて二階に上がると、隅で丸くなっていたチャコが顔を上げた。

「お疲れ様、新人のお守りありがとうね」

 チャコはまだ少し気が立っているようで、うんざりという顔をしていたが、姫川がドアを開けると一緒に部屋に入った。


「おう、本当に散らかしてるな」

 突然、背後から男の声がしたので姫川は慌てて振り返った。忘木だった。

「ちょっと!帰ったんじゃなかったの!?」

「まだお前さんに聞きたいことがあってな」

 不意打ちで部屋の中を見られた姫川は罵声を浴びせる気満々だったが、あまり騒ぐと一階の新人たちが不審がって上がってくるかもしれない。さすがに新人たちに見せるには、二階の散らかり具合は少し刺激的すぎる。姫川は怒りを抑え込んだ。

「…ちょっとだけ部屋を片付けるから、そこで待ってて」


 部屋に散らばる私物を足で押しのけて、一応二人ほど座れる程度のスペースを空けただけで、姫川は忘木を部屋に入れた。ミケですら一言いいたくなるくらいの態度だったが、忘木は気にもせずに床に腰を下ろした。

「娘の大学時代のアパートもこんなんだったわ」

「いいわよ、別に。それで、聞きたいことって?」

 忘木は、姫川の顔を見据えた。

「…その猫、将暉だろ。何がどうなってんだ。全部話せ」


「…どうして?」

 姫川の返答に困る様子に目もくれず、忘木は話し出した。

「どうしてもクソもねえ。そいつの反応を一日見てたが、完全に俺の言葉を理解してやがる。初めは気のせいかとも思ったが、紗栄子の気をそらすための俺のまでツーカーだ。そんな奴ぁ、署の中でも将暉くらいなもんだ」

 頭をボリボリと掻きながら、忘木がミケを見る。

「…まあ、もう薄々勘づいてるだろうとは思ってた。忘木さんになら、いいんじゃないか」

 ミケが姫川に白状すると、姫川は深いため息をついた。

「ミケがそういうなら…。忘木さん、首を突っ込んできたのはあなただからね」

 ミケと普通に会話する姫川を見て、忘木は目を丸くした。


 ◇◇◇


「…なるほどね。要するに、その動物や人間と自由に入れ替わる、カラス猫ってのが、三宅さん夫婦を殺したかもしれないってことか」

 胡坐を組んで考え込む忘木に、姫川は話を続けた。

「正直、私たちにもよくわかっていないことが多いの。私は刑事辞めちゃったしね。忘木さんが情報を提供してくれると、とても助かる」

 ミケも言葉を添えた。

「俺からもお願いしたい。引退間際の大先輩に頼むのは気が引けるけど、忘木さんの情報網がほしい」

「ミヤケ、おめえ…」

「やってくれますか」

「ニャーニャー言ってねえで、何か言えよ」

「…」


「…まあ、あの事件のことは俺にもいくつか気になってることがある。ちょいと調べてみるよ」

 ミケがミャッと鳴いた。姫川も、そっと胸をなでおろした。孤軍奮闘するストレスはそれなりにあったのだろう。

「それより、今日の捜査のことだ。ミヤケとヒメが会話できるってんなら話が早えや。おめえ、あのとき二階で何を聞いたんだ」

「えっ、ミヤケ、何かあったの?」

 言われて思い出したミケは、二階の扉の前で聞こえた声について話した。


 忘木が深いため息をつく。

「…そりゃあ、一刻の猶予もねえな。聞きに来てよかった」

 その通りだった。あの声の様子だと、アイはもって1,2日といったところだ。

「猫の証言で強制捜査ってわけにもいかないしな。少し無茶をするしかないか」

「そうは言っても、何か手段はあるの?」

「俺たちは警察官だし、令状もなしに動くわけにはいかねえ。だがよ」

 忘木がミケの顔を見た。

「ミケのガールフレンドを見捨てるのも寝覚めが悪い。やるだけやってみるさ」

「…恩に着る。ありがとう、忘木さん」

「いいってことニャ!」

「いや、無理に猫語とか使わなくていいんで」

 姫川がツッコミを入れた。


 ◇◇◇


「でも不思議ね。ミヤケが聞いた声、忘木さんには何も聞こえなかったんでしょう?」

 姫川が尋ねると、ミケも「そういわれれば、確かに」と言った。

 すごく高い声ではあったが、普通に声として聞き取ることが出来た。

 忘木のほうを見ると、忘木は

「猫にしか聞こえない周波数の鳴き声がある、って話を聞いたことがある。それで会話しているらしいぞ。動物番組でやってた」

 と答えた。

「何でも、『サイレントニャー』って言うらしい」

「サイレント…ニャー…」

 姫川とミケは、その何とも言えず消化しがたい専門用語を飲み込むのに苦労した。

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