第2話

 2010年代の後半から、スポーツの世界は、四つの問題を抱えていた。

 独裁化・閉鎖化するスーパースター、競技の限界、差別の問題、エンターテインメントの多極化である。


 各競技において、トップの選手はマスメディアを排除し、SNSなどを通じて自分で発信するようになっていった。当初、それはスターとファンの接近を意味していたが、次第に選手が発信する情報を取捨選択するようになっていくのは当然のことである。

 選手達がSNSを駆使することによって既存メディアは力を奪われ、スター選手の我儘や暴走を止める存在は少なくなっていった。必然、大型スポーツイベントも彼らを取り込んで運営する方向性に走ることになり(こうした運営もまた独裁的・閉鎖的であったことは言うまでもない)、一部の選手が競技自体を掌握する事態に進んでいったのである。

 経済の世界で言われる1%理論はスポーツの世界ではより大きくあてはまる。ほぼ全てのスポーツで、上位1%、いや0.1%が99%前後の収入を独占する状況となっていたのである。


 また、科学の発展に伴い、これまでには分からなかったスポーツの後遺症なども明らかになってきた。ラグビー、アメリカンフットボール、プロレスリングなどの脳震盪による後遺症は深刻な犯罪にも影響することが分かってきた。サッカーやラグビーなどは限界を超えるまで走ることが必要となり、それに伴う心疾患などの問題も増えてきた。

 こうしたことから、各競技団体はルール改正などを伴い、選手の安全を考える必要が出てきた。これにはもちろん、スーパースターの利権確保にも適するものであった。それは多少、競技の安全を担保したものの、結果として競技全体の迫力などを削ぎ落す結果となった。


 スポーツが人間社会の縮図である以上、差別の問題も避けられない。スタジアムで繰り返される差別的言動は先進国の閉塞ムードとも相まって更に過激になった。

 また、2010年以降、性差別に対する意識は日を追うごとに強化されていった。同一競技における男女の格差改善とそれに対する反論(女性には体力的な限界があるため、興行としての迫力やエンタメ度を欠くので格差があるのはやむをえない)も激しかった。


 そしてエンターテインメントの多極化である。例えば、日本では野球、アメリカではアメリカンフットボール、ヨーロッパではサッカーといった具合に、20世紀には主流の競技がその地域のエンタメをほぼ独占していた。

 しかし、インターネットの発展に伴い、様々な競技、その他のエンタメとアクセスできる環境になり、こうした独占体制は崩れてきた。


 こうして、スポーツ界でバランスの崩壊が起きている中で、完全崩壊に導かんと挑戦する者達が現れてきた。

 その戦いは当初、静かに進行していたが、2033年の上海で決定的な事態が発生した。

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