箱の底に残るもの

「退避! 退避しろぉーっ!」


 誰かが大声で、今すぐ此処から逃げるように促した。

 言われて、ようやく千尋は我に返る。インベーダーの円盤がこちらに迫っているという事は、奴等は自分達を攻撃するつもりだという事。後方支援部隊にろくな装備がない事などお見通しだろうに、インベーダーはそれすら許すつもりはないようだ。このままぼうっと突っ立っていたら、間違いなく先の砲撃で焼き払われてしまう。

 逃げなければならない。例え勝ち目がなくとも、絶滅が不可避だとしても、抗わねばならない。

 諦めてしまったら、ほんの一欠片の奇跡さえも掴み損ね、本当に滅びるしかないのだから。


「ぴ、ピュラー! 逃げて! 兎に角遠くに!」


【ギ、ギギギゥ!】


 千尋に促され、ピュラーも走り出す。彼女は円盤に攻撃された身だ。円盤から放たれる閃光がどれほど苛烈で恐ろしい攻撃なのか、身を以て知っている。

 全力で逃げるしかない。

 しかしインベーダーの方も理解している筈である。ピュラーが、少しの間なら自分達の攻撃にも耐えられる存在であると。あの時は(今思えばパンドラとの戦いで疲弊していたのかも知れない)見逃してくれたが、此度はそんな慈悲を掛けてくれず。

 明らかにピュラーを狙って、インベーダーは攻撃を始めた! 無数の閃光が、ピュラーに降り注ぐ!


【ギグゥウゥ!? ギ、ギギリリリィ!】


 ピュラーは悲鳴を上げながら、一直線に走る。少しでも速く、少しでも遠くに、円盤から離れるために。

 良かった点を挙げるなら、ピュラーは怯えつつも足が止まらなかった事。一度は手痛くやられた相手だからこそ、その恐怖は経験済み。慣れていれば身体は動き、適切かどうかは兎も角、行動を起こせる。足が竦んで立ち止まるという、最悪の振る舞いだけは避ける事が出来ていた。

 されど最悪でないだけで、状況は何一つ改善していない。

 何故なら円盤の動きが速いから。確実に音速を超えるスピードで、ピュラーに迫ってくる。対してピュラーは、全力疾走でも時速数百キロしか出ていない。円盤を振り切る事は出来ず、常にピュラーの頭上に陣取られていた。

 これで、せめて他の人間達の逃げる手助けになれば、『人間』としては意味があるのだが……円盤下部にある円錐型の砲台は、小さなものであれば何百と存在するのだ。そのうちの二つか三つが他の対象を狙ってもピュラーへの火力は然程変わらず、そして人間にとってはたった一本の光で致命傷となる。


「く、クソぉおおっ!」


「ひぎゃああっ!?」


 薙ぎ払うように大地を駆け抜けた光が、一気に何十という数の人間を消し飛ばす。それを幸運にも避けた者達は、光が通った後の灼熱に焼かれた。必死になって物陰に隠れた者達もいたが、円盤の索敵能力であれば見通しなのか、物陰ごと吹き飛ばされていく。

 数百人はいた後方支援部隊も、一分と経たずに壊滅。いや、『殲滅』させられてしまった。

 あまりにも一方的な暴虐。

 しかしこの結果も、インベーダーが高度な科学力を有した異星人だと思えばなんら不思議はない。ニホンオオカミが駆除される時、人間に一矢報いただろうか? ドードーが絶滅間際に一人でも人間を殺せたか? どちらも否だ。桁違いの力の差を持てば、抵抗など無意味なものでしかない。そして人間にとって、これらの結果は当然のものだ。

 人間にとっては驚きと絶望の景色も、インベーダーにとっては想定内に過ぎないだろう。


【ギギュギギギ……!】


 インベーダーにとって例外は、パンドラとピュラーだけ。だがパンドラは破壊され、ピュラーは背中で受ける無数の光で苦しむばかり。

 このまま彼女も焼き払われ、そして彼女の手に乗る自分達も終わるのか。

 実に容易く想像出来る末路。最早恐怖すら感じない絶望に、千尋は身体から力が抜けてしまう。秀明も、何かを考えている様子はなく、すっかり呆けていた。

 ……ある意味で、それが大人というものかも知れない。状況を正しく把握出来てしまうがために、手がないという現実を理解して、諦めて何も出来なくなってしまう。

 逆に『子供』は違う。何も知らない、何も分からない。

 だから、がむしゃらにもなれる。


【グガ、ギ、ギガッ!】


 ピュラーは突然吼えるや、千尋達を乗せた手を大きく動かす。強力な慣性、そして突然の動き。千尋には何が起きたか分からない。

 次いで、浮遊感に見舞われた。

 なんだ、と此処でようやく言語化した疑問が浮かんだが、その答えを知る前に臀部に痛みが走る。痛みでまた頭は真っ白になり、呻く事しか出来ず。

 ようやく我を取り戻して辺りを見渡し、そこで千尋は自分がピュラーの手ではなく――――口の中だと理解した。

 ピュラーは千尋達を別の場所に移したのだ。傍には秀明もいて、彼も自分達がピュラーの口の中にいると気付いたのか、動揺した表情を浮かべている。

 平らで優しく包んでくれた手と違い、口内の乗り心地は最悪。何故か紐状のワイヤーが無数に置かれ、生々しさが感じられて生理的な悪寒が走る。

 どうしてピュラーは、自分達をこんな場所に移したのか?


【ギガィ! ギガィキラギギガギィィッ!】


 癇癪を起こしたように荒々しく叫ぶピュラーの行動が、それを教えてくれる。

 ピュラーは立ち止まると円盤の方へと振り返り、自由になった両腕を広げたのだ。さながら獣が、天敵に威嚇するかの如く。光の雨は未だ降り注ぎ、ピュラーの装甲を焼いていくが……ピュラーは退かず、怯まず、向かい合う。

 口の中から故、千尋にはピュラーの全体像は見えない。けれども身体の揺れ動きの激しさ、雄叫びと共に発する闘争心を感じ取れば、彼女が何をしようとしているのかは理解出来た。

 戦おうとしているのだ。怖がりで臆病なピュラーが、どうにか活路を切り開くために。

 それが『本能』によるものか、或いは自棄になっているのか。どちらにしても無茶だ、という言葉が千尋の喉奥まで込み上がる。どう考えても、ピュラーに勝てる相手ではない。戦ったところで犬死にだ。

 だが、その言葉を千尋は飲み込む。

 無茶であろう、犬死にだろう。ではどうするのか? 大人しく光に焼かれて死ぬべきなのか? 今し方呆けていた自分達のように?


「(そうじゃない! そんな事、ない!)」


 無駄だから何もしない。それこそ、インベーダーの思う壺ではないか。無意味だとしても、虫の足掻きだとしても、何かをすれば『奇跡』は起きるかも知れない。

 何より、どうするかを決めるのはピュラー自身。千尋に言う資格など、ない。

 誰にも止められないピュラーは、勇ましく円盤に立ち向かう!

 とはいえいくら立ち向かう意思があっても、ピュラーには戦うための武器を持ち合わせていない筈。円盤は見た目の上だと然程高く飛んでいないが、実際には一〜二キロは離れているのだ。五十メートルしかないピュラーが腕を振り回したところで、決して届かない。仮に即興で何か、ミサイルのようなものを作ったとして、そんなものが役に立つとは思えない。

 千尋が抱く、現実的な思考。されどピュラーは『子供』だ。良く言えば常識に縛られない、悪く言えば行き当たりばったりで動き回る。


【ギギガギギァッ!】


 猛々しい雄叫びと共に、ピュラーは近くにあった大岩……ざっと十メートルはある巨岩を掴む。

 そして力強く振りかぶり、円盤目掛けてぶん投げた!

 どうやらピュラーが選んだ攻撃は、極めて物理的なものだったらしい。恐らくは考えなし、情動的な行動だろう。

 投げられた大岩は余程高速らしく、放物線を描かず真っ直ぐ、弾丸のように飛んでいく。直径十メートルの大岩であれば、質量はざっと数十トンはある。それが空を飛ぶような速さで動いているのだから、激突時の衝撃は相当なものだろう。きっと、人間が持つどんな建物も装甲も耐えられない。

 ある意味世界最強の『弾丸』だ。しかしそうだとしても、あまりに原始的な反撃。人間の幼子が癇癪を起こした時、傍にあるあらゆるものを投げ付けてくるのと同じである。運動エネルギーは質量と速度の二乗に比例するため、あの大岩の物理的破壊力が凄まじいのは間違いないが……だとしても、円盤には核攻撃も通じなかった。今更こんな攻撃が通じるとは思えない。

 そう千尋が考えていると、円盤が動き出した。

 人類が知る物理法則を嘲笑うように、なんの音も奏でず、なんの噴出物もなく、大きくその姿勢を傾けた。軽やかな軌道がもたらした結果は、ピュラーが恐怖を乗り越えて繰り出した一撃が空振りに終わるというもの。一時的に攻撃が止んでいたため、その動きはとてもハッキリと確認出来た。

 つまるところ――――のだ。


「……え?」


 千尋は呆けた。思っていたのと異なる、予期せぬ展開に。

 円盤は核攻撃にも耐えたと、自衛隊の指揮官は話していた。混乱する世界情勢の中、どれだけ正確な情報なのかは分からないが……しかし世界中で殺戮を繰り返し、アメリカ軍の猛攻すら耐えた円盤に、どの国も核攻撃をしていないとは考え難い。そしてこれに耐えたという話も、技術力の差を思えば頷ける。

 そんな防御力を持つ相手にとって、ピュラーが投げた大岩なんて羽虫の突進ぐらいの意味しかない筈。ところが円盤はそれを避けた。いくら驕りのない、徹底的な戦い方をするインベーダーといえども、全く効果のない攻撃を躱すとは思えない。事実、パンドラの攻撃はなんやかんや全て受け止めていた。

 どうして円盤は回避をしたのか。しかも攻撃を止めたのは何故?

 まさか、あの円盤は――――

 一つの『妙案』が千尋の脳裏に浮かぶ。そう、妙案である事は間違いないのだが……しかしそれを実行する手立てがない。加えて、やはり円盤は容赦がない。

 ピュラーの攻撃を回避した後、円盤はどんどん高度を上げたのだ。一〜二キロの高さの時点で、岩を投げる程度の攻撃しか出来なかったのに。そこから更に高く、三キロは離れてしまう。

 幼いピュラーも、この高さは届かないと思ったのか。攻撃の手が止まり、棒立ちしてしまった。

 そこを円盤は見逃さない。

 下部にある砲台を、一斉にピュラーへと向けた。機械であるピュラーに顔色などなく、口の中にいる千尋にも見えない。けれども、間違いなく……強張ったピュラーの『身体』の動きからそれが察せられた。

 だからといって千尋達には、彼女を助ける力などない。

 無数の光がピュラーを再び襲う。


【ギギギガギィィィィ……!?】


 ピュラーが苦しみで呻き、転倒。口内にいる千尋達は慣性で外に放り出されそうになるが、口内にあった無数のコードを掴み(今更ながらこれは『シートベルト』の代わりだったのか)堪えるが……いっそ外に放り出され、頭から落ちた方が良かったかも知れない。

 必死に耐えるピュラーと、そのピュラーを執拗に攻撃する円盤。絶望的な光景を目の当たりにするぐらいなら、そのまま墜落死した方が楽だったろうに。


【ギガ、ギ、ギ、ギィ……!】


 両腕を前に出し、どうにか身を守ろうとするピュラー。

 しかしいくら防御態勢を取ったところで、反撃の方法がなければただの時間稼ぎ……否、悪足掻きでしかない。自衛隊が先の電磁パルスと光により焼き払われた今、ピュラーを助けてくれる兵力はないのだ。

 後はただ、嬲り殺されるのを待つだけ。

 待つだけで良いのに、円盤は容赦しない。全体にくまなく浴びせていた光を束ね、一点集中の攻撃に転じたのである。その狙いは主に両手両足の付け根だ。

 ピュラーは円盤が何をしようとしているのか気付いたのだろうハッとしたように身体を強張らせた後、両手両足を振り回す。少しでも狙いを逸らそうとしたのかも知れないが、そんな悪足掻きでどうこうなる相手ではない。円盤が束ねた光は、ピュラーの動きを正確に追尾。執拗に手足を焼き……

 ついに、ピュラーの腕が切断されてしまう。


【ギギャアアガガガッ!? ギッギァア!】


 腕が焼き切られ、ピュラーは半狂乱に陥る。存在しない腕を振り回し、意味のない行動を繰り返すだけ。

 これでも円盤は情けを掛けない。一本の腕を焼き切ったら、光をもう一本の腕へと集中。ただでさえ切れかかっていた腕は、この集中攻撃で瞬く間に切られてしまう。

 腕が切られたら次は足。足がなくなれば今度は尻尾。尻尾もなくなったら下半身……身体を一つ一つ、着実に奪われていく。切断面からは溶解した金属が血のように飛び散り、断面のコードやフレームが剥き出しとなる。壊れているのは『機械』であり、決してグロテスクな光景ではないのだが――――口の中から見える範囲だけでも、千尋は痛々しさを覚えてしまう。

 これまで円盤がピュラーの頭を狙ってこないのは、頭だけは攻撃させないとピュラーが必死に揺れ動かしていたからだろう。けれどもその無様な抵抗も、手足と下半身がなくなればどんどん小さなものとなっていく。

 狙いを付けられるようになったら、光は身体を焼き払いながらピュラーの頭へと迫ってくる。


【ギリ、ギ、ギ、ギギギギ……!】


 これでもピュラーは諦めず、身体を起こそうとする。逃げるためと言えば聞こえは悪いが、必死に、最後までとしている。

 対する人間達の反応は、諦め。


「も、もう良い……頑張らなくて良いんだ……」


 秀明は宥めるように、ピュラーに声を掛ける。

 抵抗する姿があまりに痛々しくて、諦めるよう勧めてしまう。

 それは抵抗する側から見れば、あまりにも身勝手な物言いだろう。勝手に諦め時を決めるな、嫌になっていると決め付けるな……そう言われても仕方ない。けれどもそう思ってしまうほど、今のピュラーの姿は痛々しい。現存する中で人類最強の『兵器』に、思わず頑張るなと言ってしまうほどに。

 そして千尋は、達観してしまう。

 やはり駄目だったか――――あまりにも不誠実な感想を抱きながら。


「(勝手な話、だとは思うけど)」


 ピュラーであればもしかしたら、と思っていた。人類文明を滅ぼしかけた、世界最強の『ロボット』の娘。その力を使えばひょっとしたら……と期待していた。

 しかし円盤の力は、ピュラーの力を遥かに超えていた。

 分かり切っていた事である。『彼女』でさえ一方的にやられてしまったのに、彼女の娘であるピュラーがどうして勝てるのか。機械故にバージョンアップなどで世代を経る毎に強くもなるだろうが、ピュラーは今まで争い事とは無縁だった、無邪気で無垢なお姫様。剣を渡されてもろくに戦えないのに、素手で何が出来るというのか。

 この結果は必然のもの。改めて現実を突き付けられただけ。わーわー騒いだところで、現実を理解出来ていなかった滑稽さを晒すだけである。

 悔しさも恐怖もない。故に千尋はピュラーになんて言葉を掛ければいいか分からない。


【ギギギギリリリギリリィイィーッ!】


 ピュラー渾身の、されど最早悲鳴にしか聞こえない鳴き声。こんなもので円盤が止まる事はなく、円盤下部にある砲台を一斉に光らせ――――

 太陽が如く眩い閃光が、千尋達の視界を埋め尽くした。

 円盤からの一斉砲火か。目にした光景から、いよいよ終わりの時が来たと千尋は思った。しかしその考えは、すぐに撤回せざるを得なくなる。

 響き渡る轟音と共に、円盤の下部で大爆発が起きたのだから。


「えっ、きゃあっ!?」


「深山くん!」


 次いで襲い掛かってきたのは衝撃波。突然の事に対処出来ず、千尋は突き飛ばされてしまう。秀明が後ろから支えてくれなければ、頭ぐらいは打っていたかも知れない。

 本来なら感謝の一つでも伝えるべきであろう。されど今、千尋の頭の中を満たしたのは先の光景に対する疑問。

 何が起きたのか。口を開くよりも前に千尋は円盤の方に目を向ける。

 ――――円盤が、傾いていた。

 大きく傾いていた。今にもひっくり返りそうなぐらいに。ピュラーが岩を投げ付けた時でさえ、ここまで大仰な動きはしていない。

 そして下部の装甲が、一部破損している。

 そう、壊れているのだ。核攻撃でさえ壊れなかった、人類がどれだけ力を集結させても破れなかった壁が、今崩落を始めている。

 一体何が起きた?

 疑問の答えは、『当人』が告げる。


【ギキギギキキキガギギギガアアアッ!】


 雷鳴を思わせる、激しい咆哮と共に。

 ピュラーは振り向いた。ボロボロで、手足もない身体であるが、頭ぐらいはほんの少しだけ動かせる。そしてピュラーが見れば、口の中にいる千尋達にもその姿は見えた。

 巨大な、金属の『怪獣』が。

 堂々たる佇まい。悠然と振るう尾、遠目からでも分かる巨大な背ビレ……あの時となんら変わりない。おまけに千尋は十年以上その姿を見てきた。ほんの十日前など掌に乗せられていた。今更見間違う筈がない。

 けれども彼女は壊れ、跡形もなく吹き飛んだ筈。

 ならば幻覚だろうか? そうかも知れない、それだけ待ち望んでいたから……等という心の奥底で抱いた人間達の考えを嘲笑い、踏み潰すかのように、大怪獣は再び吼える。人間のちっぽけな身体が、空気の振動だけで破壊されそうなほど震えた。

 現実だった。

 パンドラ。誕生と同時に、この世に絶望を振り撒いた厄災の女。

 そして最後に残った希望が、世界を救いにやってきたのだ――――

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